令和4年度 第2回探古会を開催します

第2回探古会(古文書読解講座)
武家文書を読む(6) -信長・秀吉・家康-

令和4(2022)年度第2回探古会(古文書読解講習会)を開催いたします。
「古文書を読んでみたい」、「古文書に興味がある」という方はふるってご参加ください。

  • 日 時  令和5年2月26日(日) 午前9時~正午
  • 講座内容 武家文書を読む(6) -信長・秀吉・家康-
  • 会 場  松本市教育文化センター3階 視聴覚ホール
  • 定 員  40名(要予約・先着順)
  • 料 金  500円(テキスト代として)
  • 持ち物  筆記用具、飲み物(必要な方)
  • 講 師  後藤芳孝氏/松本市文化財審議委員
  • 申し込み 2月11日(土)9時から
  • 問合わせ 旧山辺学校校舎(℡ 32-7602)
令和3年度の探古会のようす

令和3年度の探古会のようす

上條館長の山城案内 波多山城

波多山城(はたやまじょう)松本市上波田 

平成23年3月22日松本市特別史跡

さて今日は波多山城(はたやまじょう)です。波多山城は小笠原氏の影響を受けた山城と考えられます。もともと波多氏はこの地域の牧を支配していた豪族だったのですが、やがて没落し、のちに小笠原氏が直参を派遣し、支配していきました。飛騨や木曾とも通じるこの道も大切な道だったのです。

ちなみにこの地域は波多村として発足したのですが混乱した時期があり、「波多し」の地名がよくないと1933年波田村になったそうです。

 さて、道順ですが、まず、波多神社、田村堂を目指します。アルピコ電鉄 淵東駅の道を南に上っていく道もありますが、道がやや狭いので、波田の商店街を抜けていく道を紹介します。

波田小学校前交差点

波田小学校前交差点

まず、国道158号線を上高地方面に向かいます。そして波田庁舎、波田小の交差点を左折します。

郵便局前交差点

郵便局前交差点

踏切を越えてしばらく行くと郵便局があるので、その手前を右折します。

石張り道路

石張り道路

仁王門

仁王門

すると石張り道路が現れます。この道は車ではなく、歩いて散策するのがよさそうですが、この石張りの道を進むと正面に仁王門が見えてきます。その左の道を進み、若澤寺跡への道案内の通りに進みます。

若澤寺跡へ

若澤寺跡へ

看板が出てきます。ここを左折して進みます。

若澤寺まで1.5km

ここからは林道。右手は崖。ちょっとスリルがあります。ここから1.5kmと表示があり、何とか歩いてでも上ることはできます。車で登り口までいけます。

分岐点

分岐点

そしてまた、分岐点があります。ここは案内板の通り左に行くのが正解です。

最初に来たとき、右に上って行ってしまいました。行けども行けどもそれらしき案内はなく、軽トラとも何とかすれ違い進むと工事現場にでてしまいました。今、送電線の鉄塔建て替え工事をしているらしく、令和5年11月までの予定だそうです。慌てて引き返し、びびって最初の林道入口まで戻り、空き地に止めて登城することにしました。結構大きなトラックも上がっていったので気を付けてください。

第13丁目丁石

第13丁目丁石

さて、若澤寺跡方面に向かうと丁石というものが設置されています。1丁(109m)ごとに17か所あったそうです。今は4カ所残っています。

この林道は水沢山林道といいますが、石畳や粗いコンクリート舗装で落ち葉もあり、急坂で車も上りにくいだろうなとは思います。そして、突き当りが若澤寺跡です。林道はなお続きますが、立ち入り禁止です。

案内図

案内図

最初登り口がわからず、困ってしまいましたが、若澤寺跡を探索した後、ちょっと戻るとこんな看板がでていました。最初は気づかなかったのですが、波田山城跡(ここは田の字でした)の文字があるではありませんか。軽トラならまだ、進めそうですが、杉が育ち、倒木も多そうなのでこの辺りに車を止めて歩くのがいいと思います。300mほど歩きます。

 

登城口

登城口

そしてついに登城口につきました。迷っただけにようやく来たかという感じです。

止め山

止め山

地元の方によってきちんと整備され、とても上りやすく、ここからはあっという間です。こちらは搦手口でしょうか。それにしても止め山の表示が多い。よっぽど地主さんは気にしているんでしょうね。採っていく人がいるんでしょう。疑られないように秋は止めたほうがいいようにも思います。

秋葉城跡石碑

秋葉城跡石碑

少し上ると城跡の石碑が秋葉城と書いてあります。これは本城に秋葉神社の祠があったからそう呼ばれたそうです。

段曲輪、帯曲輪

段曲輪、帯曲輪

本城への登り口と堀切

本城への登り口と堀切

虎口

虎口

 

 

 

 

 

 

 

まず、左手の本城に進みます。段々畑のように段曲輪が並んでおり、広さも十分あります。大きな堀切沿いに進むとすぐに本城です。本城入り口には上り口が用意されていますが、帯曲輪をぐるっと回り、西側が虎口のような気がしました。

本城

本城

井戸跡

井戸跡

 

 

 

 

 

 

 

主郭には井戸跡やお社があります。土塁が周りを取り囲んでいます。小笠原の城のように石積みは見当たりません。

南城

南城

南城から本城

南城から本城

 

 

 

 

 

 

 

虎口を降りると馬出らしきものがあり、左に折れて南城にいくとここにも大きな堀切。竪堀といってもいいかもしれません。大きく分断しています。広さもあり下を見るといくつも段曲輪があります。

北城から本城

北城から本城

ぐるっと本城の帯曲輪を通って北城に向かい、堀切を越えるとこちらも広く、下にいくつもの段曲輪が見えます。本城を中心に大きく羽を広げた形にも見えてきます。大手道と思われる北西方面に重きを置いた縄張りのように思います。

みはらし台

みはらし台

その後、東尾根を行き、見晴らし台に向かいました。今は木々が茂って景色はよくありませんが、松本の街並みも見え、木々の伐採が進んだら素晴らしい展望台になりそうな気がしました。

 

波多山城は林道を車であがれば、全然、疲れない良い山城です。歩いて登ってもいい運動になります。ぜひ足を運んでください。若澤寺跡もすごいですよ。石積みや礎石がきちんと残っていて、山城のようです。こんな大きなお寺がこんなところにあったとは、しかも本来はまだ奥の山にあったといいます。人間の信仰心のすごさを感じます。

※終了しました※体験講座「お正月リース作り教室」

ドットライン

しめ縄を基調として、水引や折り紙を飾って作るお正月リースです

ドットライン

※終了しました。ご応募ありがとうございました。※

 子どもから大人まで楽しめる教室です。

  • 日 時:令和4年12月11日(日) 午前9時から12時
  • 会 場:旧山辺学校校舎内 2階
  • 定 員:5組10名(小学校3年生以下は保護者同伴) 要予約
  • 料 金:1人500円(材料費込み)
  • 講 師:宮坂ヤス子氏
  • 持ち物:はさみ、定規、飲み物(必要な方)
  • 申し込み・問い合わせ:12月3日(土)9時から旧山辺学校校舎(℡ 0263-32-7602)

 コロナウィルス感染拡大防止対策を実施して開催します。マスク着用にご協力お願いします。

令和3年お正月リース作り教室のようす

令和3年お正月リース作り教室のようす

お正月リース

お正月リース

※終了しました※体験講座「しめ縄作り教室」

はっぱライン

藁をなってお正月のしめ縄飾りを手作りします。

はっぱライン

※終了しました。ご応募ありがとうございました。※

  • 日 時:令和4年12月4日(日) 午前9時から12時
  • 会 場:旧山辺学校校舎内 2階
  • 定 員:30名(小学校3年生以下は保護者同伴)要予約
  • 料 金:通常観覧料(高校生以上200円、中学生以下無料)
  • 講 師:荒田直氏 ほか3名
  • 持ち物:はさみ、飲み物(必要な方)
  • 申し込み・問い合わせ:11月19日(土)9時から旧山辺学校校舎(℡ 0263-32-7602)

 コロナウィルス感染拡大防止対策を実施して開催します。マスク着用にご協力お願いします。

令和3年しめ縄作り教室のようす

令和3年しめ縄作り教室のようす

しめ縄

※終了しました※令和4(2022)年度 第1回探古会を開催します

第1回探古会(古文書読解講座)
江戸時代の手紙文を読む-仕事上の手紙・女性の手紙・年始状・礼状-

※終了しました。ご応募ありがとうございました。※

令和4(2022)年度第1回探古会(古文書読解講習会)を開催いたします。
「古文書を読んでみたい」、「古文書に興味がある」という方はふるってご参加ください。

今回のテーマは「江戸時代の手紙文を読む」。筑摩郡百瀬陣屋に残っている色々な種類の手紙を読んで学びます。

  • 日 時  令和4年11月23日(水・祝) 午前9時~正午
  • 講座内容 「江戸時代の手紙文を読む」-仕事上の手紙・女性の手紙・年始状・礼状-
  • 会 場  松本市教育文化センター3階 視聴覚ホール
  • 定 員  40名(要予約・先着順)
  • 料 金  500円(テキスト代として)
  • 持ち物  筆記用具、飲み物(必要な方)
  • 講 師  青木教司氏/元松本城管理事務所研究専門員
           現NHKカルチャー「古文書読解入門講座」講師
  • 申し込み 11月6日(日)9時から
  • 問合わせ 旧山辺学校校舎(℡ 32-7602)

※終了しました※令和4年度 バス見学会「山辺の里の道祖神・文化財めぐり」

※終了しました。ご参加ありがとうございました。※

昔から、私たちは路傍の道祖神に祈りを捧げたり、お寺や神社へ深い信仰心をもち、時にはその境内に子どもたちを遊ばせてきました。
松本市山辺地区にはこれらの古くからの道祖神・文化財がたくさんあり、山辺の人びとの信仰に触れることができます。
本年度の「山辺の里の道祖神・文化財めぐり」を、下記のように計画しました。

  • 日 時  令和4(2022)年10月1日(土) 午前8時30分から午後4時
  • 集合場所 松本市教育文化センター南側入口付近(松本市里山辺2930-1)
  • 定 員  20名(先着順)
  • 講 師  出井東亜雄氏(山辺歴史研究会顧問)
  • 交通手段 松本市のマイクロバス利用
  • 持 ち 物  昼食、水筒、筆記用具、カメラ等 マスクを持参してください。
  • 受 講 料 500円(資料代・拝観料)
  • 申し込み 旧山辺学校校舎 ℡0263-32-7602
           9月17日(土)~ 午前9時から午後5時まで

皆様のご参加をお待ちしております。

前回(令和2年度)のようす

R2bustour2

R2bustour1

松本の二宮金次郎像

松本に残る二宮金次郎像

旧山辺学校校舎   開智小学校    源池小学校    筑摩小学校
旭町小学校    田川小学校    鎌田小学校    清水小学校
島立小学校    芝沢小学校    本郷小学校

はじめに

 日本全国の小学校には二宮金次郎(尊徳)像が多く残されています。旧山辺学校校舎にも像が現存しています。
 この金次郎像はもともと山辺学校にあったものではなく、寄贈されたものです。

 子どもの頃の記憶の中には学校にあったような気がしますし、何か所かの学校で金次郎さんを見た覚えもあるので、松本には金次郎像が今、どこに残っているのか、調査してみたいと考えました。
 ここでは、松本市の小学校に残っている金次郎像や市内に残る金次郎像についてまとめていきたいと思います。

 金次郎像がなぜ、設営されたかというと、働きながら読書に勤しむ金次郎の姿は当時の国政にとって、いい宣伝材料になったのではないかということです。金次郎の勤勉さと尊徳が後に藩の財政の立て直しに尽力し、私欲を越えて藩政や農民のために尽くした彼の業績や報徳精神、これこそ献身する気持ちや奉仕の心を国民に育成するためにも必要と考え、意図的に利用されたものと考えられます。
 また、石材業者や鋳物業者の後押しを受けて普及し、そして各地の篤志家にとっても学校へ寄付することが地域への恩返しや子どもたちへのメッセージを伝えられるとともに、実は自分自身の大きなステータスの向上にもつながったものと考えられます。
 太平洋戦争前は青銅製のものが多かったのですが、戦時中、金属供出によって取り壊され、のちに石像が建てられた場所もあるそうです。松本地方は石像が多かったので、残っているものと思われます。
 近年、下校途中の「ながら歩行」を気にして撤去されることもあるといいますが、それは何かおかしな話で、そんな理由でなくなっていってしまうのは惜しいように思います。

 学校の七不思議のひとつに「走る金次郎像」がありますが、きっと、たぶん、この金次郎像は走らないと思います。

(旧山辺学校校舎 館長 上條直利)

旧山辺学校校舎

旧山辺学校校舎 全身像

旧山辺学校校舎 全身

旧山辺学校校舎 顔拡大

旧山辺学校校舎 顔拡大

寄贈者  大蔦良七
寄贈年  昭和8年8月17日
設置場所 正面入り口
西向き
像    114cm
わらぞうり
薪の数  約 29本

 

 

 

 

これが旧山辺学校校舎に残る像です。

この像は昭和8年8月に開智小学校に寄贈されたものです。

寄贈されたのは 中町のつたや呉服店の大蔦良七氏です。松本市旧市内に残る金次郎像はほとんどが大蔦さんによる寄贈となります。当時の開智部の学校日誌には「二宮金次郎石像スヘツケ 右ハ仲町呉服店葛(蔦の間違いか?)屋主人、煙草ヲヤメ ソノ貯金ニテ購入セルモノヲ寄付サル」と書かれています。

 昭和38年に開智小と田町小が統合された際、新開智小には田町小の金次郎像が設置されました。開智小の金次郎像が廃棄されるのは悲しいと感じた大蔦さんは城山の自宅に持っていかれたそうです。その後、松本市から寄贈の申し入れがあり、設置場所として旧山辺学校が選ばれたようです。

開智小学校

開智小学校 全身像

開智小学校 全身

開智小学校 顔拡大

開智小学校 顔拡大

寄贈者   大蔦良七
寄贈年   昭和14年8月
設置場所  東前庭
西向き
わらじ
身長    121cm
薪の数   約 28本

田町小学校に設置されていたものと考えられます。  
S14.9.16 田町小学校除幕式

源池小学校

源池小学校 全身像

源池小学校全身

源池小学校 顔拡大

源池小学校 顔拡大

寄贈者 大蔦良七
寄贈年 昭和14年8月
設置場所 北門入り口昇降口前
東向き
127cm
わらじ
薪の数  約20本

昭和14年9月16日
除幕式 「午前11時15分より3年以上参列、全校に飴菓1づつ寄贈を受く」 学校日誌より

筑摩小学校

筑摩小学校 全身像

筑摩小学校 全身

筑摩小学校 顔拡大

筑摩小学校 顔拡大

寄贈者  大蔦良七
寄贈年  昭和14年9月
設置場所 校門横
東向き
身長  127cm
わらじ
薪の数 31本

昭和14年9月2日 除幕式

旭町小学校

旭町小学校 全身像

旭町小学校 全身

旭町小学校 顔拡大

旭町小学校 顔拡大

寄贈者  大蔦良七
寄贈年  昭和14年8月
設置場所 校庭東
西向き
身長   130cm
わらじ
薪の数  26本

昭和14年9月16日 除幕式

午前八時来賓、教育課長、大蔦氏 大蔦氏より児童へ記念に鉛筆一本宛寄贈(学校日誌より)

田川小学校

田川小学校 全身像

田川小学校 全身

田川小学校 顔拡大

田川小学校 顔拡大

寄贈者 大蔦良七
寄贈年 昭和14年8月
校舎東側元正門前か
南向き
身長 122cm
わらじ
薪の数  23本

昭和14年9月16日 除幕式

鎌田小学校

鎌田小学校 全身像

鎌田小学校 全身

鎌田小学校 顔拡大

鎌田小学校 顔拡大

設置者 大蔦良七
設置年 昭和14年9月
校庭北側
南向き
身長 122cm
わらじ
薪の数  28本

昭和14年9月16日 除幕式

清水小学校

清水小学校 全身像

清水小学校 全身

清水小学校 顔拡大

清水小学校 顔拡大

寄贈者  大蔦良七
寄贈年  昭和14年8月
設置場所 校庭北
南向き
123cm
わらじ
薪の数 約23本

島立小学校

島立小学校 全身像

島立小学校 全身

島立小学校 顔拡大

島立小学校 顔拡大

寄贈者 大蔦良七
寄贈年 昭和14年8月
設置場所 正面前庭
西向き
身長   125cm
わらじ
薪の数  約19本

昭和14年8月3日 建立
9月2日 除幕式

芝沢小学校

芝沢小学校 全身像

芝沢小学校 全身

芝沢小学校 顔拡大

芝沢小学校 顔拡大

寄贈者
寄贈年  昭和13年11月 
設置場所  昇降口前庭
西向き
わらじ
身長   85cm
薪の数  約12本

昭和13年11月5日 建立
昭和49年9月4日 新村部校より移設

本郷小学校

本郷小学校 全身像

本郷小学校 全身

本郷小学校 顔拡大

本郷小学校 顔拡大

寄贈者 
寄贈年 昭和11年2月
設置場所 正面入り口横庭
南向き
141cm
わらじ
薪の数 約30本

昭和11年2月4日 除幕式
昭和18年4月4日本郷の森に据え付け
平成14年  現在地に移設

 

松本市内の二宮金次郎像の情報がございましたら、当館まで、ご連絡いただければ幸いです。

   電話 0263-32-7602

   メール kyu-yamabe@city.matsumoto.lg.jp

   

上條館長の山城案内 稲倉城

稲倉城(しなぐらじょう)(松本市稲倉)  

昭和57年12月20日に松本市特別史跡に指定 

さて、今日は稲倉城(しなぐらじょう)です。かつて、松本平から善光寺や小県、江戸、東京に抜ける街道は、刈谷原(かりやはら)峠、馬飼(うまかい)峠そして稲倉峠を抜ける道が普通でした。現在も稲倉峠を越えて四賀に車で抜けることができます。三才山峠を越える道も含め、ここは交通の要所です。そんな場所に城は築かれてきました。この城は伊那から小笠原氏とともにやってきた赤沢氏が築城したといいます。赤沢氏は小笠原一門であり、伊豆赤沢を本拠地としていたのですが、早い時期に信濃に移り住み、小笠原氏と共に数々の戦に臨んでいます。最初、現在の本郷小学校あたりに屋敷を構え、伊深城の後庁氏を攻め北部地方を掌握しました。

洞交差点

洞交差点

 

さて、道順ですが、伊深城と同じ洞の信号機を右折します。

 

 

 

 

 

国道より

国道より

 

すると100mほど先に左に入る道がありますので、そちらに進みます。

 

 

 

 

稲倉峠入口

稲倉峠入口

やや道は狭いですが、車で3,4分走ると左手に稲倉峠への道が見えてきます。

 

 

 

 

 

稲倉城主御屋敷跡

稲倉城主御屋敷跡

 

しばらくいくと右手に稲倉御屋敷跡の看板があります。

 

 

 

 

 

車用鳥獣除けフェンス

車用鳥獣除けフェンス

 

そこを過ぎるといつもの鳥獣除けフェンスにぶつかります。ここは車が通れるフェンスです。桐原城と一緒です。フェンスを開けて入っていきます。もちろん、きちんと閉めておいてください。

 

 

 

 

登城口

登城口

 

道なりに進むと看板があり、そこに広いスペースがあります。ここに止めて登城です。

 

 

 

 

最初に行ったときは左手の本郭を目指す道を行ったのですが、どこかで間違え、かなり山の上にでてしまい、あやうく熱中症になるところでした。宮坂本では東の竹の入の沢からが大手と提示されています。お屋敷が西にあるのにそんな大回りをするのかやや疑問ですが、西側から急斜面を登るよりいいのかもしれません。

三の郭へ

三の郭へ

 

 2回目は右手の三の郭を目指す道を登りました。登り口からすぐに右に折れます。

 

 

 

 

三の郭へ続くロープの道案内

三の郭へ続くロープの道案内

 

すると、すぐに杭とロープが見えてきます。これは助かります。かなりの急斜面ですが、ロープや鎖につかまりながらのぼると楽ちんです。また、道を間違えることが全くないので安心です。それでもフーフー言いながら三の郭につきました。

 郭の前には石積みがあり、簡単な門でもあったのでしょうか。何段かの平場と堀らしきものがあり、やや狭い三の郭です。大手道だと推測される竹の入の沢からの道はここに続いていると思われます。 

三の郭虎口

三の郭虎口

三の郭

三の郭

 

 

 

 

 

 

 

ここから二の郭へ続く道がこの城の見どころ、かなりの段差があり、今は鎖が垂らされています。二の郭がこんなに低くなっているのはあまり見かけない特徴的なつくりといえます。

堀底から見た三の郭への鎖

堀底から見た三の郭への鎖

三の郭空堀

三の郭空堀

 

 

 

 

 

 

 

二の郭

二の郭

二の郭東端

二の郭東端

松本市街地方面

松本市街地方面

 

 

 

 

 

 

 二の郭は平たんな部分が多く、西側、峠道方面にいくつもの平曲輪が築かれています。兵はかなりの数、駐屯できたと思われます。ここが最初の主郭だったのかもしれません。

二の郭の東端の曲輪からは松本平や三才山峠への道がよく見えます。

大空堀標柱

大空堀標柱

 

この二の郭と一の郭の間にも深い堀が築かれています。大空堀と呼ばれていたのでしょうか、標柱が朽ちて倒れていました。

一の郭も広いスペースがあります。ここは後郭のようにも思えます。後からできた居住スペース的なものがあったのかもしれません。

主郭

                   主郭       

主郭への道

主郭への道

 

一の郭には東と西に下っていく道らしきものがみえます。今回は西の峠道、駐車場方面に下りていきます。途中までは道はあるのですが、消えてしまいます。写真にある矢印が登り口です。そこを目指していきましょう。少し薄暗い杉木立の中に入ったら、右手を見ながら進んでみてください。

 

 

水の手?

水の手?

 

沢を下りてくると、もしかするとここが水の手?という窪みもありました。

 

 

 

 

こちらの道は、冬には上から続く竪堀跡が見えるかもしれないのですが、道らしき道はよくわかりません。緑がなくなるころには何とか進めるかもしれませんが、本郭への登りはお勧めできません・・。

 

 

稲倉城は三の郭への登城道が整備されていますので、そちらから登ってみるといいと思います。30分かかりません。三の郭が高く築かれている特徴を持ち、鎖で降りることができるのは探検のようで楽しいと思いますよ。

※終了しました※市民学芸員協働企画令和4年夏「戦争紙芝居」上演

※終了しました。ご参加ありがとうございました。※

太平洋戦争期、日本はプロパガンダによって戦争を美化していました。
紙芝居もプロパガンダに利用されたひとつです。
戦時中に発行された紙芝居を読んで、いかに感情を煽られ歪められていたのか体感してみませんか。 
戦争の悲惨さを、今もう一度考えます。

  • 日 時:令和4年8月6日(土)
         1回目  午前10時20分から10時50分
         2回目  午後12時30分から1時
  • 会 場:旧山辺学校校舎 第4(山辺に残る戦争の影)室
  • 料 金:通常観覧料(大人200円、中学生以下無料)
  • 演 者:市民学芸員
  • 内 容:
    (1) 玉砕軍神部隊 (昭和18(1943)年発行)
         玉砕して戦死した部隊を讃えています。裏にある彼らの悲しみを想像してください。
    (2) あおよ、かえってこい (昭和60(1985)年発行)
         子どもを守って死んだ馬のお話です。
         市民学芸員は軍馬として徴発された馬について勉強し、無念さと悲しみを学びました。
         戦争では動物も殺されてしまうことを思いながら読みます。

  コロナウィルス感染拡大防止対策を実施して開催します。

令和3年の紙芝居の様子

令和3年の紙芝居の様子

※終了しました※令和4年度 夏休みの自由研究にどうですか「昔の道具調べ」

 

電気、ガス、水道のなかった時代、人々は道具を工夫して作っていました。asagao2
どんな道具を使っていたのか、触れて確かめてみませんか?
そして現代の私たちのどんな道具に進化したのか、考えてみましょう。

 

  • 会期: 令和4年7月23日(土)~8月31日(水)
         午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
  • 会場: 旧山辺学校校舎 第5室、第10室
  • 料金: 通常観覧料(大人200円、小・中学生無料)
  • 問い合わせ:旧山辺学校校舎(TEL・FAX 0263-32-7602)

第5室「農家の暮らし」、第10室「山辺の文化財」の2室に昔の道具を展示しています。

昔の道具調べ2022