学芸員雑記 施設敷地内の石碑など

 旧山辺学校校舎の敷地には、色々な石碑や像があります。

敷地内石碑などの配置図

敷地内石碑などの配置図

 明治18(1885)年に建てられたこの校舎は昭和3(1928)年3月まで学校として使われており、その後改築して7月からは役場、公民館、保育園などに活用されてきました。明治の頃から地域の人々の集まる場所であったこの地だからこそ、存在している物があるのでしょう。

学校ゆかりのもの

県宝記念柱
「長野県宝 旧山辺学校校舎」の木柱

「長野県宝 旧山辺学校校舎」の木柱

 旧校舎は昭和56年から復原工事が始まり、昭和60年11月21日長野県宝に指定されました。これを受けて翌昭和61年10月「長野県宝 旧山辺学校校舎」の木柱が建てられました。校門から玄関へ通じる石畳の西側に東向きに立ち、周囲をツツジがぐるっと囲っています。

二宮金次郎像
二宮金次郎像

二宮金次郎像

  石畳の東側に西を向いて二宮金次郎像があります。ただし、この像は山辺学校にあったものではく、昭和8年に開智小学校へ寄贈されたものです。昭和38年、開智小学校と田町(たまち)小学校が統合された際に、新しい開智小学校へは田町小学校にあった像が設置されました。紆余曲折の末、こちらの像は山辺学校へとやって来ました。

山辺ゆかりのもの

道神面
道神面

道神面

 平成5(1993)年7月から9月にかけて、松本市で国宝松本城400年まつりが開かれました。この際に展示された「道神面(どうじんめん)」が、二宮金次郎像の東側に、南向きに移設されています。
 道神面とは、宮田嵐村(らんそん)によって作られた民芸品で、道祖神がモチーフとなっています。
嵐村は、現在里山辺(さとやまべ)にある「おっとぼけ美術館」の場所で制作活動を行っていたそうです。道神面は本来、木彫りや張り子ですが、この像は安山岩です。

 役場ゆかりのもの

忠魂碑

 昭和3年11月、「帝国在郷軍人会里山辺村分会」により忠魂碑(ちゅうこんひ)が建てられました。総高420cmあり、敷地内でも存在感があります。

忠魂碑

忠魂碑

 表には「元帥伯爵 東郷平八郎 書入」とあり、裏には戦没者氏名が146名刻まれています。一番古い戦争は西南戦争(1877年)ですから、珍しいと言えるでしょう。忠魂碑は西を向いています。

忠魂碑の裏 一番古い戦争は西南戦争

忠魂碑の裏 一番古い戦争は西南戦争

里山辺村忠魂碑序幕式

里山辺村忠魂碑序幕式

里山辺村役場跡記念碑

  里山辺村は明治8年に立村し、昭和29年に松本市に編入されました。編入30年を記念して「里山辺村役場跡」の碑が建てられました。石畳の西側に東向きで立ち、裏(西)側には立村と編入の年が刻まれています。

「里山辺村役場跡」の石碑

「里山辺村役場跡」の石碑

「里山辺村役場跡」の裏

「里山辺村役場跡」の裏

道標
道標の裏

道標の裏

  御即位記念で建てられた道標は、村役場跡の碑の西側、施設敷地の北西角にあります。大正四年十一月十日とありますので、大正天皇の即位の礼の年です。

 四角柱で北面には「左 上金井区を経て武石(たけし)峠を越え小県(ちいさがた) 入山辺村を経て扉峠を越え和田駅」とあり、西面には「薄町区林区を経て中山村に通ず」とあります。敷地の北西角は兎川寺(とせんじ)交差点に当たります。現在は柵で囲われて見えにくくなっていますが、以前は道行く人はこの道標を見て行ったのでしょう。

道標の北面 左

道標の北面 左

道標の西面 右

道標の西面 右

 

道路元標
道路元標

道路元標

 道標のすぐ南側には道路元標が立っています。建立年代は分かっていませんが「東筑摩郡里山辺村」とありますので、少なくとも昭和29年よりは前の物です。

兎川寺交差点を向く道路元標

兎川寺交差点を向く道路元標

 道路元標は兎川寺交差点(北西)を向いていますので、庭から文字を見ることができません。交差点から柵の隙間を覗いてみましょう。

南庭のもの

 校舎の南側には芝生の庭があります。風の気持ちの良い季節には、市内の幼稚園、小中学校がやってきて昼食をとったりしています。

浅井冽の歌碑
浅井冽の歌碑

浅井冽の歌碑

 この庭のアカマツの下にあるのが浅井冽の歌碑です。松本市教育会の100年を記念して、アルプスを一望するこの景勝地に昭和59年11月、西向きに建てられました。前年の昭和58年に、校舎南側に建つ教育文化センターが落成しています。
 和歌は、長野県歌「信濃の国」の作詞でも知られる浅井冽83歳の作で、元の書を松本市教育会が所有しています。「山やまの高嶺をこえて来る雁の 雲のかよひ路けふ見つるかな」と彫られています。

「鳥と遊ぶ」ブロンズ像
「鳥と遊ぶ」ブロンズ像

「鳥と遊ぶ」ブロンズ像

 歌碑の北側には「鳥と遊ぶ」と題されたブロンズ像が建っています。像を松本ライオンズ・クラブ、台座を山辺地区の方に寄附していただきました。校舎が県宝に指定されたことを記念して、5周年の平成元年に建立されました。当初は西向きに設置されていましたが、今は南を向いています。
 作者は立川(たてかわ)義明、長野県諏訪市出身の彫刻家で、立川流初代(和四郎富棟)の末裔にあたる方です。里山辺には県宝に指定されている須々岐水(すすきがわ)神社のお船がありますが、その多くは立川流やその作風で作られています。なにかしら縁があるのでしょうか。

謎なもの 郵便ポスト

校舎の北にある郵便ポスト

校舎の北にある郵便ポスト

 校舎の北の庭には、赤い郵便ポストがあります。口はふさがれていて、実際に投函することはできません。昭和24年以降に作られた形状で、現在はあまり見かけなくなりました。「ふみの日」の文字が印字されていますので、1979年以降の物かと思われます。
 このポストがなぜこの地にあるのか、分かっていません。設置された経緯を示す書類などが見付かっていないのです。以前、校舎の東側に郵便局があったそうです。この郵便局が無くなる際に、ポストだけ記念に旧山辺学校に置いていったのではないか、という説がありますが、これが有力な気がします。

 黒と白の印象の強い旧山辺学校校舎において赤いポストは異彩を放っています。経緯をご存知の方は、ぜひご一報ください!

(学芸員:岡野)