学芸員雑記 100年前の山辺学校
山辺学校は明治19(1886)年4月に開校しました。当時は、校舎の建っている里山辺(さとやまべ)村と、その東側の入山辺(いりやまべ)村の子どもたちが通っていました。しかし、明治38(1905)年、入山辺尋常小学校が設立されると、里山辺村と入山辺村はそれぞれに小学校を持ち、別々に活動していました。
100年前の大正12(1923)年は、「里山辺尋常高等小学校」と「入山辺尋常高等小学校」に分かれていました。
学校日誌を読む
2校の学校日誌と、入山辺尋常高等小学校の宿直日誌が残っています。日誌から100年前の様子をうかがってみます。
里山辺、入山辺とも、始業式は4/2(月)。翌4/3は当時の祭日「神武天皇祭」でお休み。
4/6(金)と4/13(金)は前晩からの大雪で、とても寒かったとあります。
気象庁の松本市観測データを確認してみます。最高気温は4/6は3.1℃、4/13は6.3℃。大雪前後は10℃を超えていましたし、4/2の始業式の日は19.2℃ありましたので、寒の戻りで間違いないようです。
農業休業と気候
里山辺、入山辺は農業を生業にしている家が多くありました。農業休業も充実しています。
まずは6月。里山辺では6/9(土)~6/25(月)「地久節」まで16日間。入山辺は6/6(水)~6/25(月)の20日間。
このとき、入山辺では「より働くこと」「食物に注意して体をこわさないこと」といった注意が出されました。
次の休みは7月から8月。現在の私たちでいう夏休み時期です。
里山辺は7/25(水)~7/29(日)が農業休業、
7/30(月)~8/19(日)3週間が暑中休業 合計26日間。
入山辺は7/22(日)~7/25(水)が農繁休業、
7/26(木)~8/19(日)の25日間が夏期休暇 合計29日間。
2校とも8/20(月)が始業式でした。
ちょっと驚いたのは、夏休み明けから9月上旬まで午前中授業であったこと。
里山辺は9/8(土)まで、入山辺は9/5(水)まで午後の授業がありませんでした。里山辺の日誌には7:45始業、11:30終業の短縮授業であった旨が記されています。
入山辺の8/20(月)始業式の日の日誌によると「まだ暑さが去らないため半日授業とする」だそうです。
大正の頃は未だそんなに暑くなかったイメージがありましたが、気象庁のデータを確認すると、
松本市では8/19(日)まで最高気温は連日30℃超え、9/8(土)までも、ほぼ夏日以上でした。現在ほどではないにしろ、涼しいとは言えない気温でした。
では秋や冬はどうだったでしょうか? 秋の農業休業という記録はありません。
里山辺は12/29(土)~1/14(月)、17日間が冬季休業。
入山辺は12/29(土)~1/5(土)が年末年始休業、1/6(日)~1/9(水)が冬季休業、合計12日間。
ストーブの炊き始めは、里山辺は12/21(金)、入山辺は12/12(水)。
12/21は暖かったようですが、12/12は最低気温-2.4℃、最高気温4.6℃。12月に入ってからは平均気温5℃以下が多く、冷え込んでいました。
ちなみに昨年令和4(2022)年、旧山辺学校校舎では10/18(火)にストーブを設置し、11月の市内中学校課外授業の際には点けていました。大正の人は我慢強かったのでしょうか。
学校行事
100年前も今と同じような行事がありました。
4月下旬、春季遠足。1年生は片道2~3Kmのところ、6年生になると10Kmを超える場所に行っていました。
10月には運動会と秋季遠足。
入山辺は小学6年生が大町方面へ2泊3日で修学旅行へ出掛けています。
里山辺では高等科2年生(今の中学2年生)が10/31(水)夜12:10~11/5(月)関西へ修学旅行をしています。
また2校とも、高学年男子が山へ植林や薪拾いに行っています。植林教育は明治30(1897)年に始まった、山辺学校独自のカリキュラムでした。
今も昔もおなじ…
9/28(金)、里山辺で注意事項が掲示されました。
1.裁縫室の掃除をなすこと
2.便所の蜘蛛の巣を払うこと
3.下駄や靴を必ず下駄棚の上に乗せ置くこと
4.スノコの上へ下足にて上がらぬこと
5.スノコの上はもちろん下の掃除をなすこと
6.体操場の大掃除をなすこと
児童によく注意すること。
今も昔も、先生は同じことに悩むのです。
関東大震災
100年前の9/1(土)関東大震災が起きました。入山辺の日誌によると、入山辺でも柱時計が止まるほどに揺れたようです。
9/1(土) 正午地震あり、柱時計ために止まる。
9/3(月) 一昨日の地震は東京甚だしく、惨状を呈すとの報あり、然し昨日より東京新聞来らずために確報
を得ず、死傷者145万、帝都の主なる建築物は大方倒潰又は燃焼す。
9/4(火) 東京、横浜方面の惨状、新紙に得る、 損害五十憶とのこと、20年30年後にあらざれば、復旧
の見込みなしと。
9/5(水) 東京、横浜方面惨状に対して 生徒より義損金を募集することを発表す。
9/6(木) 昨日発表せし義損金の応募をきくに状況甚だ佳なり。今回の事変がいかに一般人士に浸入せし
かを知る。
9/10(月) 第一時目に生徒に対して義損金の好成績なし(成し)こと及び今後の吾人の態度について語る
午後義損金を〆切る
総額116円20銭なり 内職員分25円なり
かくも多額に上りしは今回の震災がいかに一般人々の心を刺激せしかを知る、
美はしき極みなり。
入山辺小学校だけで116円20銭、今の価値にして464,800円ほどの募金が集まりました。テレビが普及していなかった時代ですが、東京、横浜の被害が伝えられると、入山辺の人々も心を痛めた様子がうかがえます。
2校とも3/22(土)が終業式、3/23(日)が卒業証書授与式でした。
(学芸員:岡野)