Vol.068 アソビバ!オリジナル( R5.8.29 文責:高木 )

新博物館の「子ども体験ひろばアソビバ!」は博物館の特別な遊び場です。この、子どものための特別な空間に、いくつかオリジナルアイテムを用意しましたので、今回はそれらを紹介したいと思います。

「まつもとすごろく」
新博物館をふりだしに、ゴールの開智学校を目指して、松本市内の名所をぐるりと巡ります。あっちへ飛んだりこっちにもどったり、すいかの収穫で足止めされたりとなかなかゴールできません。モニタリングでは小学校5年生が男女一緒にとても盛り上がって遊んでいました。遊びながら自然に松本観光ができます。

すごろく

まつもとすごろく

「まつもとパズル」
古荘風穂さんのイラストで創った「まちをつくろう」を56×42㎝のジグソーパズルにしました。小学校6年生の子が二人で真剣にやって30分かかっていましたので、大人がやっても楽しめると思います。遊びながら地区の特徴や特産品などがわかってきます。

ぱずる

まつもとパズル

「オリジナル積み木とマグネット」
「まちをつくろう」に描かれたマップの建物を三角の積み木にしました。これも古荘さんのイラストです。マップの中を探して正解の場所に置くのもよし、自分の住んでいる場所を探して、隣に松本城や美しの塔を置くのも楽しいでしょう。
「まつもとファーム」の壁に貼って遊ぶマグネットには、松本伝統野菜の―本ネギや保平かぶ、カブトムシもいます。これも風穂さんのイラストです。
どちらのアイテムも子どもたちが遊びやすいように素材や大きさを検討するだけでなく、積み木の角はすべて丸く削り、誤飲を防ぐためマグネットをネジ式にしたりと安全にも配慮しています。

三角積み木

オリジナル積み木

野菜

まつもとファームマグネット

「前掛けと提灯」
ままごと遊びのコーナーには、酒屋さんでおなじみの昔ながらの前掛けに博物館のロゴを入れてオリジナルを作りました。子ども用もあります。この昔ながらの綿織物の前掛けにはしっかりとした紐がついています。このひもを丹田とよばれるおへその下にしっかりしめることによって、重いものを持っても腰を痛めないそうです。前掛けは服を汚さないというよりも、重労働から体を守る機能があったんですね。また、このロゴでオリジナルの提灯も作っています。

前掛け

オリジナルエプロン

提灯

オリジナル提灯

「六面体パズル」
正方形の積み木の六面にそれぞれイラストが描かれています。松本てまり、松本城、七夕人形、シガマッコウクジラ、山岳ヘリとFDA、松本一本ねぎと保平かぶの6種類です。新博物館のエントランスに掲げた大型イラストとエジタルサイネージを組み合わせた「ようこそ松本」のイラストレータースズキサトルさんの作品の一部を使わせてもらいました。

六面体パズル

六面体パズル

ようこそ松本

ようこそ松本

「てまり温泉」
ヒノキで作られたボールプールにてまりがたくさん入っています。このてまりは松本市のリユース事業で持ち込まれたてまりを使わせてもらいました。様々なてまりが120個と、てまり温泉用に特別に作っていただいた優しい色合いのてまりが100個入っています。子どもだけでなく大人もこの温泉に入って癒されてほしいと思います。

てまり温泉

てまり温泉

temari

パステルカラーのてまり

開館まで40日を切りました。アソビバ!のオリジナルアイテムで子どもたちが遊んでくれる日が近づいています。

Vol.067  西善寺を訪ねて ( R5.8.22 文責:前田 )

この秋冬は新しい博物館オープンを記念した特別展が2つ開催されますが、来春以降も引き続き、多彩な展覧会で皆さんに楽しんでいただけるよう、それぞれの担当者はその準備にとりかかっています。

私が携わる展覧会で、ぜひとも出展させていただきたいと熱望しているのが、西善寺所蔵の「紙本着色釈迦涅槃図」(享保14年・1729)です。このほど所蔵先である西善寺関係各位のご厚意で拝見する機会がありました。

涅槃図とは、お釈迦様が入滅した時の情景を描いたもので、仏教三大行事の一つである涅槃会の本尊として用いられる仏画です。なかでもこちらの涅槃図は地方寺院最大級といわれるとおり、巻いた状態で長さ5メートルを超す巨大な軸です。

最初に学芸員8人がかりで、普段保管されている蔵から地区の公民館まで、細心の注意をはらいながら移動。あまりにも大きく、あつかう自分たちが小人になったかのようなスケール感です。ひっそりとした趣のあるお寺の参道を、大きな軸が運ばれていく様子は、おとぎばなしみたいな光景でした。

いざ、畳敷きの広間でひろげてみると、そこにはお釈迦様の命の終焉という悲しい場面でありながら、その教えの永劫性をたたえた荘厳なる世界が繰り広げられていました。

男女や階層の差なく宗派を超えて信仰された融通念仏の精神のもと、松本藩の御用絵師によって描かれたこの涅槃図。もとは松本きっての巨刹とうたわれた旧念来寺の什物(じゅうもつ)でしたが、明治の初め、廃仏毀釈の嵐の中にあったその寺から、信徒たちによって救い出され、巨大な寺宝の数々とともに同系の西善寺に運び込まれたのでした。

息をのむような壮麗な涅槃図。その迫力に圧倒されながらひろげていきます。

息をのむような壮麗な涅槃図。その迫力に圧倒されながらひろげていきます。

 
今こうして貴重な文化財の数々を拝んでいると、150年前に仏さま達を窮地から救った先人たちのひたむきな行いと、これを受けて大切に守り続けてくださっている地域の皆様に対して「よくぞ残してくださいました」と心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

そして今度は、博物館として何ができるかを考える番。多くの方にこの素晴らしい松本の文化財を知っていただくには・・・。この大きな文化財に負担をかけない展示にはどんな方法がふさわしいか・・・。

実は今回の調査には、当館のおおうちおさむアソシエイトプロデューサーも同行していました。おおうちプロデューサーは、展覧会のトータルデザインや芸術祭のプロデュースを手がける凄腕のアートディレクターで、松本市立博物館の新たな挑戦をグイグイ牽引してくださる方だと感じています。ご自身の経験に裏打ちされた展示のアイデアにより、障害さえも味方につけて、より良く見せようとする柔軟な思考力。この日も涅槃図を前に、おおうちさんから次々とひらめきが飛び出しました。きっといい展覧会になる、もうその予感しかありません。

 市内各所に点在する文化財はそれぞれの歴史を今に語りかけてくれます。それらに耳を傾けるきっかけをつくり、松本の歴史や文化により親しんでいただける展覧会になるよう努めてまいります。

阿弥陀如来坐像と右脇侍の勢至菩薩。 清水の大仏(おおぼとけ)と親しまれた阿弥陀さまは、西善寺に運び込まれた際、あまりの大きさで本堂に入れられず、やむなく光背上部を切り取ったといわれています。

阿弥陀如来坐像と右脇侍の勢至菩薩。
清水の大仏(おおぼとけ)と親しまれた阿弥陀さまは、西善寺に運び込まれた際、あまりの大きさで本堂に入れられず、やむなく光背上部を切り取ったといわれています。

 松本は「まるごと博物館」です。旧念来寺から和田境地区まで「清水の大仏」などとともに貴重な什物を運び出した150年前の人々に思いをはせるためにも、現地に足を運んで西善寺の涅槃図をご覧になることもおすすめします。涅槃会に合わせて一般公開される春分の日を中心とした数日間が、西善寺にて涅槃図をご覧いただけるチャンスです!

 

Vol.066 令和の「ぼんぼん・青山様」レポート(R5.8.15 文責:鈴木)

ここ数年間、コロナ禍で地域の行事が思うように実施されない状況でしたが、今年の5月以降、ようやく再開されてきました。こうした中、「松本の夏の風物詩」ともいえる「ぼんぼん・青山様」も今年は各地区で行われました。
 ―「ぼんぼん・青山様」については、「広報まつもと 2023年8月号」に掲載されていますので、こちらからご覧下さい。
そこで、近所の町会や中央地区で行われた「ぼんぼん・青山様」にご一緒させて頂きましたので、その模様をお伝えします。

1.下横田町(上土町と合同):7月29日(土)

町内の「鯛萬の井戸」から出発して岡宮神社を目指します。神社でお参りをしてから一旦「鯛萬の井戸」に戻って一休み。その後、下横田町会内を一回りしました。青山様のお神輿は高学年の子が4人で担ぎます。「青山様だい、わっしょいこらしょ」のかけ声を聞いた町内の方が外に出てきてお賽銭を下さることもありました。ぼんぼんの女の子は、浴衣を着て薄紙で作った花を髪に飾り、ほおづき提灯を提げた姿で歩きました。ぼんぼんの歌は保護者の方がCDプレーヤで流していました。
下横田町会での「ぼんぼん・青山様」は4年ぶりのため、4年生以下の子は初めてとのことでした。

1.下横田 2.下横田2
2.桜町:7月29日(土)(28日(金)と2日間に分けて町内を回ったとのこと)

下横田町の「ぼんぼん・青山様」のあと、別の方角から青山様のかけ声が聞こえてきたため、少しだけご一緒しました。青山様のお神輿は2人で担ぎます。町内の各家々の前で青山様のかけ声に加え、笛や鐘、太鼓を鳴らします。お賽銭をもらうと、「わっしょい、わっしょい」の声とともに、お神輿を担ぎながらその家の前でぐるぐる回っていたのが驚きでした。女の子は法被姿と浴衣姿の子がいて、浴衣の子でもほおづき提灯を持たずに青山様の太鼓を持っている子がいるなど、「青山様優先、青山様・ぼんぼん混合型」でした。

3.桜町1 4.桜町2

この町会では、コロナ禍の間も2020年を除いて毎年青山様を続けており、コロナ禍の間は、かけ声を出せない代わりに太鼓や鐘などで賑やかさを出していたとのことです。 

3.今町2丁目:8月2日(水)

この町会は「青山様」だけを行うとのことで、全員が法被姿で集合しました。町会長さんに案内されながらお神輿を担いで(担ぎ手は2人)町内の家々を1軒ずつ訪ね、家の人が外に出てきてお賽銭を下さると、青山様のかけ声のあと「わーいわーい」と言いながらお神輿を前後に揺すります。お神輿の担ぎ手は最初男の子でしたが、途中で女の子に交替しました。

5.今町1 6.今町2

今町2丁目は、町会内のマンションの子どもが小学生になって人数が増えたため、久しぶりに青山様をやることにしたそうです。このため子どもは全員初めてで、数人の保護者と町会の方の記憶だけを頼りにやることになりました。近所の方からは、「久しぶりに青山様が来てくれて嬉しい」とか「できれば続けてもらいたい」といった声が聞かれました。

4.中央地区:8月8日(火)

 「中央地区縁日だよ!全員集合!」に組み込まれるかたちで「ぼんぼん・青山様」が行われました。ぼんぼんに参加する女の子は事前に公民館に集まって、「ぼんぼんの歌」を歩きながら歌えるように練習しました。また、髪に飾る花作りをし、色とりどりの花が出来ました。

7.大手1-1
8.大手1-2 9.大手1-3

当日は四柱神社に集合して、あがたの森文化会館の木下館長から「ぼんぼん・青山様」について教えてもらった後、神主さんにお祓いをしてもらいました。

10.大手2-1 11.大手2-2

松本城大手門枡形跡広場で出発式をしてから、縄手通りを抜けて上土町を通り、松本城に向かいました。松本城で記念撮影のあと、西堀、土井尻を経由して大名町を通って桝形跡ひろばに戻りました。松本城では観光客からも注目を浴びていました。「ぼんぼん・青山様」をやったことがない子どもがほとんどでしたが、青山様のかけ声やぼんぼんの歌を頑張っていました。参加した子どもは、縁日(枡形跡広場で開催)の500円券がもらえたので、終わった後は早速かき氷を食べたり、射的で遊んだりしていました。

12.大手2-3 13.大手2-4
5.ご一緒させてもらって考えたこと

青山様は町会ごとにお神輿の扱い方が少しずつ違っていて、引き継がれていく中で変わっていったようです。また、男の子の行事である青山様に女の子も加えて青山様だけを実施し、女の子限定のぼんぼんはできない町会もありました。中央地区町会合同ではぼんぼんの形にはなりましたが、歌を歌いながら歩くのは難しそうでした。
道路建設に伴う住民の転出、分譲住宅やマンションの新築に伴う子どもの増加など、町内の人員構成は増減します。また、コロナ禍でここ数年は行事を中止せざるを得ない状況でした。このような環境変化の中で伝統行事を続けることの難しさを感じたとともに、町会役員、保護者、地域住民の皆さんが、工夫を凝らしながら伝統文化を守り続けていこうとする想いに頭が下がる思いでした。
「ぼんぼん・青山様」を今後も末永く続けていくためには、いつからどのような意味で行われたものなのか、そして、松本だけで続いている行事であることなどを説明することが大切であり、博物館としてできることを、町会の方々や公民館などと連携して実施することが必要だと感じました。

6.新博物館の収蔵品(青山様のお神輿)

10月7日(土)に開館する新しい博物館には、昔使われていた青山様のお神輿が保管されています。

14.青山様神輿(0009929)

今後、「ぼんぼんと青山様」の説明とともに、このお神輿も常設展示室で展示される予定(開館直後ではありませんが)ですので、新しい博物館でぜひご覧頂ければと思います。

 

 

Vol.065 松本市立博物館の沿革 ( R5.8.8 文責:石井 )

松本市立博物館は明治39年(1906)9月21日、松本尋常高等小学校(旧開智学校)内に「明治三十七八年戦役紀念館」として開館したのが始まりです。日露戦争に出征した同校の卒業生が寄贈した風俗資料や写真を見た教員たちが、これを児童に見せたいと保存・陳列したことが始まりでした。開館時の資料は軍事関係1,308点、風俗関係315点、博物標本2,102点、その他1,699点、図書19,046冊でした。

その後、松本紀念館と改称し、昭和6年(1931)に松本市の管理に移管され、昭和12年に松本城二の丸(松本中学校跡)へ移転します。翌年松本記念館として有料開館しました。当時の観覧料は10銭でした(松本城との共通券15銭)。

戦時下の昭和20年5月22日に閉館し、収蔵資料の疎開を開始しています。

昭和23年に松本城三の丸の地蔵清水へ移転し、松本市立博物館と改称しました。当時は山岳・民俗・考古・歴史・教育の5部門を常設展示していました。

昭和27年には博物館法による登録博物館として登録されました。県下では初の登録博物館でした。この年の11月に再び二の丸(松本中学校跡)へ移転しています。

昭和30年、七夕人形コレクション45点が重要民俗資料(現在の重要有形民俗文化財)に指定され、昭和34年には、農耕用具コレクション79点、民間信仰資料コレクション293点が重要民俗資料に、孔雀文磬が重要文化財に指定されました。昭和36年に重要民俗資料収蔵庫を新築しています。

昭和41年に財団法人日本民俗資料館が設立され、以後平成17年(2005)に資料館が松本市に寄贈されるまで、松本市立博物館と日本民俗資料館の両名併記になりました。

明治期に建築された施設の老朽化が進んだことから、昭和43年に鉄筋コンクリート造り、地下1階、地上2階の日本民俗資料館として、現地(松本城二の丸)で建替えられました。

01_松本市立博物館(本館)

平成12年には松本まるごと博物館構想が策定されました。市域を屋根のない博物館として、自然・文化遺産・産業・暮らしなども博物館の資源・資料ととらえ、博物館を一つの核としてひとづくり・まちづくりを推進する取組みを進めています。

平成11年に「松本城およびその周辺整備計画」が策定され、松本城二の丸からの博物館早期移転が示され、古山地御殿、辰巳隅櫓の復元整備が長期の取組みとして示されています。

平成20年に松本市基幹博物館基本構想、同21年に松本市基幹博物館基本計画が策定され、平成28年の松本市基幹博物館施設構想で松本城大手門駐車場敷地(三の丸大名町)を基幹博物館の建設予定地とすることが決定しました。

令和2年には基幹博物館の建築工事が着工し、令和4年に竣工しています。

本年10月7日に新博物館開館予定です。

新館夜景

vol.064 松本市立博物館ニュース『あなたと博物館』( R5.8.1 文責:吉澤 )

松本市立博物館では「松本まるごと博物館」の情報誌として、博物館ニュース『あなたと博物館』を刊行しています。今回は、博物館の情報発信を長年支え続けてきた『あなたと博物館』について紹介します。

 

『あなたと博物館』の歴史

『あなたと博物館』のはじまりは昭和59年(1984)8月。当時は市民に博物館の情報を届ける媒体がほとんどなく、「とにかく市民の皆様に博物館を知ってもらい、距離を縮めたい」という思いから創刊しました。『あなたと博物館』という名前には、そんな「市民と博物館を結ぶ架け橋」となる情報誌への強い思いが込められています。

『あなたと博物館』の創刊号

『あなたと博物館』の創刊号

今年で創刊から40年目を迎え、現在までの刊行号数は244号にのぼります。この40年の間に、創刊号では手書き原稿だったものがワープロ原稿になったり、ガリ版刷りからカラー印刷になったり…。『あなたと博物館』は時代とともに少しずつ姿を変え、市民のもとへ博物館の情報を届け続けてきました。

40年かけて積み上げられたたくさんの記事からは、博物館が歩んできた歴史を垣間見ることができます。

11・12号(昭和60年7月刊行)

11・12号(昭和60年7月刊行)

 

創刊号からの手書き原稿を改め、ワープロ原稿が始まりました。

65号(平成3年12月刊行)

65号(平成3年12月刊行)

初のカラー印刷です。

146号(平成18年9月刊行)

146号(平成18年9月刊行)

松本市立博物館が開館100周年を迎えたときの表紙です。

 

『あなたと博物館』でみる「新博物館オープンに向けて

新博物館の情報は、このブログだけではなく『あなたと博物館』でも見ることができます。

松本市立博物館が休館を迎えた令和2年(234号)から一年間かけて「休館通信~新博物館への道~」というコラムを設け、博物館の引っ越しの様子を随時紹介していきました。

休館通信~新博物館への道~

休館通信~新博物館への道~(令和4年9月~令和5年6月発行)

また、令和4年9月刊行の241号からは特集を組み、新博物館の建物や展示製作などの紹介をしています。

新博物館特集が掲載された241~244号

新博物館特集が掲載された241~244号

239号(令和4年3月発行)

239号(令和4年3月発行)

239号では建設中の新博物館を表紙にとりあげました。

次回の245号は、来月の9月15日に刊行予定です。
『あなたと博物館』は松本市内の博物館施設や公共施設で無料配布しているほか、松本まるごと博物館のホームページでPDFファイルをダウンロードすることができます。

 PDFファイルのダウンロードはこちらから。

Vol.063 OMFの展示紹介( R5.7.25 文責:本間 )

松本市は、「楽都松本」と呼ばれるくらい音楽活動が盛んです。
楽都松本を代表する音楽祭として、「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」が挙げられます。
「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」の前身は、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」です。
「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、平成4年に小澤征爾氏が創立した音楽祭です。この音楽祭の名称は、小澤氏の恩師である齋藤秀雄氏の名を冠して付けられました。

 平成27年から「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が、「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」と名を変え、新たなステージに踏み出しました。

OMFでは、世界中の優れた音楽家たちが小澤征爾氏のもと、ここ松本に結集します。そして、サイトウ・キネン・オーケストラを中心に、オペラやコンサートなど多彩な演目が披露されます。

今年のOMFは、8月19日から9月6日にかけて開催される予定です。それに先立ち、現在、松本市立博物館でOMFに関する展示をしています。

今回は、その展示準備から完成までの様子を紹介します。

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展示準備の様子。イーゼルに写真パネルを掛けているところです。

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パネルの他に、色とりどりのミニTシャツも展示しました。

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完成した展示の様子です。
数多くのパネル(全19枚)が展示されており、まさに圧巻です。
9月6日まで展示予定ですので、ぜひ足をお運びください!

Vol.062 常設展目玉資料!初市の宝船 ( R5.7.18 文責:原澤 )

今回は、新博物館の常設展示の目玉資料の一つである、初市の宝船を紹介します。宝船については、当連載コラムの中でも何回か紹介してきていますが(Vol.015 市民公開による文化財修復 (2021.09.24 更新)、Vol.029 職人の心意気(2022.8.5更新))、ここでは、初市の宝船の歴史に触れつつ、修復され新たな装いになった宝船について紹介します。

以前の博物館で展示されていた宝船

以前の博物館で展示されていた宝船

さて、この宝船ですが、今でも城下町で続けられている「あめ市※」の際に、本町5丁目が明治時代から昭和初期にかけて町に飾ったものです。全長5メートル、高さ4メートル、幅2メートルの大きさを誇る豪華な宝船と七福神人形は、平成5年(1993)に松本市立博物館に寄贈され、長く商都松本の象徴として常設展示室で展示されてきました。
※あめ市の名称は、時代により「初市」とも呼ばれた。資料名は使用された当時の祭りの呼び方である「初市」を使っている。

宝船は、初市の神輿行列の際に本町5丁目の練り物として江戸時代後期に造営されました。その後幕末の火災で焼失し、明治時代中期に再建されました。明治時代には、高さ約2メートル程の櫓に上に飾り、初市のなかでもひときわ目を引く飾り物だったとされています。

常設展示テーマの「にぎわう商都」に展示された宝船

常設展示テーマの「にぎわう商都」に展示された宝船

今回の宝船の修復は、作られた当時の状態にできるだけ近づけようとの考えから、船体の漆塗りもきれいに塗りなおしていただき、帆や旗、七福神人形は現存する資料をもとに、新たなものを制作してもらいました。帆柱は、以前の博物館の常設展示では天井の高さが足りなかったため、短いものと交換し展示していましたが、新しい博物館の常設展示では元々使われていた帆柱を使い展示できるようになりました。当時の初市の際に飾られていたきらびやかで迫力のある姿を再現できていると思います。

開館した際にはぜひ注目して見ていただき、当時の商都松本のにぎわいを感じてもらいたいと思います。

Vol.061 石灰華の採取in白骨温泉 ( R5.7.11 文責:武井 )

突然ですが、これはどこの風景でしょうか。

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正解は白骨温泉です。
しかし、今回の目的は温泉ではなく「石灰華」です。
石灰華とは、温泉水の中に含まれるカルシウム成分が、地表面に湧き出して堆積した堆積物のことです。

白骨温泉の大地には石灰岩が分布しているので、白骨温泉の地下から上がってくる温泉水には石灰岩のカルシウム成分がたくさん含まれています。このカルシウム成分が温泉水の噴出により地表面に堆積したものが石灰華、この石灰華が堆積し続けて円錐形となった地形が噴湯丘です。

これほど大規模な噴湯丘がまとまってみられる場所は日本国内では類例がなく、大変貴重なことから、「白骨温泉の噴湯丘と球状石灰石」という名称で国の特別天然記念物に指定されています。

上の写真は、その噴湯丘の一部を写したものです。成分が層状に堆積している様子がよく観察できます。

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また、いたるところにこのような穴ぼこが開いています。これは噴出孔で、大昔にはこの穴を通って大量の温泉が噴出していたのです。

今までは藪に包まれうまく見ることができなかったこれらの石灰華ですが、近年整備が進み、見晴らしがよくなってきました。今後さらに整備されていく予定ですので、白骨温泉を訪れた際はぜひ探検してみてください。

新博物館の常設展示では、「開かれた盆地」というテーマで、松本市の温泉に関する資料を展示します。そこで白骨温泉の石灰華も展示予定なのですが、当館ではきれいな石灰華を所蔵していませんでした。

そこで今回、構造地質学の専門家である大塚勉先生ご指導のもと、特別な許可を得て、展示に適した石灰華の採取を実施しました。

まず探索を開始したのは、隧通し(ついとおし)の周辺です。

隧通しは天然のトンネルです。谷に石灰華の塊が崩落して谷を埋めた後、川によって内部が浸食されてトンネルができました。

現在は崩落の危険性が高い箇所があるため立ち入り禁止となっていますが、特別に許可を得て立ち入りました。

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川の流れが激しく、隣の人の声を聞き取るのも一苦労です。

道なき道を進み、何とか河原に到着しましたが、残念ながらここでは展示に適した石灰華の発見には至りませんでした。

 気を取り直して川の上流へ移動し、探索を再開。

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先ほどの場所に比べ、流れはとても穏やかですが、河原にはたくさんの転石が転がっています。石灰華と思われる白い石も見られました。

足場が悪い河原を下流に進みながら探すこと10分ほど、ひときわ白い石灰華を発見しました。

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取り出してみると…

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全体的に白く、層状に堆積した様子がよく観察でき、大きさも程よい石灰華であることがわかりました。

大塚先生のお墨付きもいただき、展示用石灰華に決定です。

5㎏以上ある石灰華を何とか車まで運び、新博物館まで持ち帰りました。

 持ち帰った石灰華は水やたわしでよく洗います。

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表面についた土埃や苔が取れ、より白さが際立ちました。

この後、石灰華の特徴をよりよく知っていただけるよう、角度や照明を微調整しながら展示していく予定です。

開館した暁には、この石灰華がどこに展示されているかぜひ探してみてください(ちなみに、今回説明をしなかった「球状石灰石」も展示予定です)。

そして、博物館の展示をご覧いただいた後はぜひ白骨温泉現地にもお越しください。
白骨温泉の成り立ちを理解したうえで入る温泉は、きっと格別ですよ!

※「白骨温泉の噴湯丘と球状石灰石」は国の特別天然記念物に指定されており、かつ中部山岳国立公園の特別地域内に該当するため、採取などの現状変更は原則禁止されています。また、立ち入り禁止区域に許可なく立ち入ることは絶対におやめください。

Vol.060 雑草という名の草はない( R5.7.4 文責:内川 )

今年度前半のNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」の主人公は植物学者の牧野富太郎がモデルです。『日本植物学の父』とも呼ばれる人物がモデルということで、植物学というものが世間から注目される良い機会になっていると思います。

さて、前回(Vol.50)の引き続きで博物館周辺の自然を記事に、と思い立ったとき牧野博士が言ったとされる「雑草という草はない」という言葉を思い出しました。そこで、博物館周辺の『雑草』を調べてみることにしました。

『雑草』の定義は観点によって違いますが、性質としてはおおまかには「日当たりのいい整備された場所で、急速に成長する植物たち」です。昨年の建設地の様子の記事を見ると、博物館前の植込みなどは7月以降に整備された様です。作られてまだ1年、定期的に手入れがされている場所(今回見つけた雑草もそのうち抜かれてしまうでしょう)でも、たくましい『雑草』たちはどこからか入り込んで成長します。

 

イネ科の『雑草』

メヒシバ

メヒシバ

いたるところに生えているので、誰もが一度は目にしたことがあると思います。

スズメノテッポウ

スズメノテッポウ

どちらの種も花が咲いているところです。イネ科の植物は花びらのない地味な花を咲かせます。イネ科に属する『雑草』はとても多く、他にもイネ科の植物がありましたが、穂が出ていない状態では私には判断が難しかったです。 

キク科の『雑草』

イネ科の『雑草』とともによく見かけるのがセイヨウタンポポやヒメジョオン、ハルジオンなどのキク科の植物ですが、今回は目立つものでは1種しか見つけられませんでした。

ハキダメギク

ハキダメギク

ハキダメギクという名前は牧野博士が世田谷区の掃き溜めで見つけたことからついた名前だとか。

ハキダメギク筒状花

コゴメギクというよく似た種がいて(どちらも外来種)、正確に確認するには花を解体して、赤い矢印の部分に毛があるかを調べる必要があります。

カタバミの仲間

カタバミは果実が熟すとはじけて種子を飛ばすうえ、種子にエライオソームというアリが好む部分があるため、アリに運ばれて様々なところに拡散します。

カタバミ

カタバミ 

在来種の野草で、道端など様々なところで見られる黄色の小さな花とハート形の三つ葉が特徴的な可愛らしい植物です。通常カタバミというと葉が緑色ですが、変異が大きく、写真は少し赤みがかっています。葉が赤いのはアカカタバミ、その中間型はウスアカカタバミとも呼ばれます。

オッタチカタバミ

オッタチカタバミ

カタバミによく似た外来種で、カタバミは普通地面を這うように成長するのに対して上に伸びるように成長するためこの名がついています。ただし、カタバミの中にも上に伸びる成長をするものがいるため、より正確に見分けるには葉の根本や毛など、細かい部分を確認する必要があります。

 

他にも名前が分かるものもすぐには分からないもの、様々な『雑草』が見つかりました。解説のとおり、名前を調べるためには非常に細かい部分を調べる必要があることも多く、ドラマの中でも図版で細かい部分まで描写する必要があるために印刷技術を学ぶ場面が描かれています。こうやって『雑草』の名前を調べることができるのも、牧野博士をはじめ先人たちの努力があったからこそです。

Vol.059 これで何見る?-展示室の双眼鏡-( R5.6.27 文責:宮下 )

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上の写真は、新博物館3階の常設展示室内に備え付けている双眼鏡です。展示室と双眼鏡、一見アンマッチにも思える組み合わせですが、実際に使ってみると展示物と向き合う楽しさが2倍・3倍になる、かもしれないアイテムです。

今回のコラムでは、双眼鏡が置かれている展示と、その楽しみ方をご紹介します。
上記の双眼鏡が置いてあるのはここ。

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常設展示室に入ってすぐ目の前に広がる松本城下町ジオラマ(模型)です。天保6年(1835)の松本城下絵図をはじめ、古地図など様々な資料を基に南北2.4km、東西1.2kmの範囲を300分の1スケールで推定復元しています。

訪れた人を江戸時代末期の松本城下へといざなう迫力のジオラマですが、その大きさのため、端から中央部を見るとやや遠くなってしまいます。また、ジオラマの中の人々は、指先ほどの大きさ。古写真などから再現したこだわりの街並みを見るのにも集中力が必要です。そこで細部まで良く見られるようにジオラマの南西部分と北東部分に双眼鏡を一台ずつ用意しています。

双眼鏡でジオラマ見ると、遠くの部分や小さいものが詳細に見られるだけでなく、周りの景色がさえぎられて当時の松本城下に入り込んだような臨場感が感じられます。拡大された世界を、道や川・堀に沿って見てみると、思わぬところで足止めをされたり、いつの間にか路地に迷い込んだり。時に町人や武士とすれ違いながら約200年前の松本を散策している気分が味わえます。

普通に見ると城下の様子を様々な角度で一望できます

普通に見ると城下の様子を様々な角度で一望できます

拡大してみていくと、水路や街角の思わぬ建物に出会えます

拡大してみていくと、水路や街角の思わぬ建物に出会えます

 双眼鏡を使うことで、ジオラマの見え方が変わり広い視点とは異なる形で松本の町との出会いを楽しむことができます。「この道の繋がり方はどう見えたのだろう?」「川沿いを進むと建物がどのように現れるだろう?」。限られた視野だからこそ見えてくる景色があることにお気づきいただけると思います。

展示室の双眼鏡は、数が限られていますが、お手持ちのスマートフォンやカメラなどでも同様に楽しめます。開館の際には、こんな形の「町巡り」もぜひ楽しんでみてください。

ところで、偶然目に入った木の形が、馬のように見えたのは私だけでしょうか。

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