Vol.114 「地獄占い」が大好評! ( R7.8.7 文責:武井 )

 現在開催中の特別展「地獄の入り口―十王のいるところ―」。
 その中でひそかに好評をいただいているのがこちら!

 地獄占い

「地獄占い」(全8種)です。
 地獄の入り口(展示室)で多くの十王様にお目見えした後、あなたにはどのような裁きが下されるのか…!というコンセプトで展示室出口に設置しているおみくじで、地獄しか出ないにもかかわらず多くの方々に楽しんでいただいております。

 そこで今回は、地獄占いに使用した8つの地獄、「八大地獄」について、より詳しくご紹介したいと思います。まだ展示をご覧になっていない方は観覧前の予習として、すでに展示をご覧いただいた方は、自分が引いた地獄が具体的にどのような場所なのか、ぜひ思いをはせてみてください。

 

1 等活(とうかつ)地獄 ― 殺生を犯した者が堕ちる

 刑期:1兆6653億1250万年
 刑罰:亡者同士が鋭い鉄の爪で傷つけあう。獄卒に包丁のような刃物で細かく切り刻まれる。亡者は死んでも、獄卒が「活々」と唱えたり、涼しい   
 風が吹いたりすると元通り蘇り、責め苦を受け続ける。

 ◇主な小地獄(各地獄に16ずつ付属している)
 ①刀輪処(とうりんしょ)
 他人を傷つけた者が堕ちる。熱せられた鉄や刀が雨のように降ってくる。

 ②屎泥処(しでいしょ)
 小動物を殺したりいじめたりした者が堕ちる。煮えたぎる糞尿の池に落とされ、糞尿を食わされたり、固いくちばしを持つ虫に食われたりする。

『和字絵入往生要集』より 等活地獄

『和字絵入往生要集』より 等活地獄

2 黒縄(こくじょう)地獄 ― 殺生のほか、盗みを犯した者が堕ちる

刑期:13兆3225億年
刑罰:焼けた鉄縄で身体に線を引かれ、その線に沿ってのこぎりなどで切り裂かれる。柱に張られた熱い鉄縄を渡らされる。下には煮えたぎる釜が
待ち構えており、落ちると砕かれ煮られる。

◇主な小地獄
①等喚受苦処(とうかんじゅくしょ)
真面目に働かず嘘の教えを説いた者が堕ちる。熱い鉄縄で縛られ、高い崖から刀が突き出す熱い地面へと落とされ、そこでは鉄の牙を持ち炎を吐 
く狗(いぬ)に食われる。

②畏熟処(いじゅくしょ)
食べ物を盗み他人を餓死させた者が堕ちる。刀や弓矢を持った獄卒に昼夜を問わず追いかけられ続ける。

 
『和字絵入往生要集』より 黒縄地獄

『和字絵入往生要集』より 黒縄地獄

3 衆合地獄 ― 殺生、盗みのほか、みだらな行いをした者が堕ちる

刑期:106兆5800億年
刑罰:牛頭・馬頭などの獄卒に鉄山の間に追い込まれ、その山が押し寄せてきてすりつぶされる。鉄の臼・杵で搗かれたり、獣や鳥に体を食われた
りする。赤銅の川の中に突き落とされ、亡者は天に向かって泣き叫ぶ。

◇主な小地獄
①悪見処(あくけんしょ)
他人の子どもを虐待したり淫行を犯した者が堕ちる。他人の子どもが受けた苦しみと同等の責め苦を、自分の子どもが受けるところをひたすら見
せられる。

②忍苦処(にんくしょ)
他人の妻を奪った者が堕ちる。鉤を体に打ち込まれ木に吊るされ、炎でゆっくりと焼かれる。

 
『和字絵入往生要集』より 衆合地獄

『和字絵入往生要集』より 衆合地獄

4 叫喚地獄 ― 殺生、盗み、みだらな行いのほか、飲酒の罪を犯した者が堕ちる

刑期:852兆6400億年
刑罰:獄卒に追い込まれ火が燃え盛る室に押し込められ炙られる。口をこじ開けられ熱した鉄を無理やり飲まされる。

◇主な小地獄
①火雲霧処(かうんむしょ)
他人に無理やり酒を飲ませて笑いものにした物が堕ちる。獄卒に抱えられ、高さ90mにもなる炎の中に投げ込まれる。

②火末虫処(かまつちゅうしょ)
水で薄めた酒や盗んできた酒を売った者が堕ちる。人類を死滅させるほどの恐ろしい404種の病気に苦しめられた上に虫に食われる。

 
『和字絵入往生要集』より 叫喚地獄

『和字絵入往生要集』より 叫喚地獄

5 大叫喚地獄 ― 殺生、盗み、みだらな行い、飲酒のほか、嘘をついた者が堕ちる

刑期:6821兆1200億年
刑罰: 猛火に包まれ枯草のように焼かれ泣き叫ぶ。ここで受ける苦しみは、等活~叫喚地獄で受けた苦しみの10倍とされる。

◇主な小地獄
①受無辺苦処(じゅむへんくしょ)
獄卒に舌や目を抜かれるが、すぐに再生し、また抜かれ続ける。また刀で体を削られる。これらはすべて嘘をついた報いである。

②受鋒苦処(じゅほうくしょ)
お布施を受けたのに受けていないと嘘をついたり、逆にお布施をしていないのにしたと嘘をついた者が堕ちる。木に縛り付けられ、熱した針で舌
と口を縫い合わせられ泣き叫ぶこともできない。

『和字絵入往生要集』より 大叫喚地獄

『和字絵入往生要集』より 大叫喚地獄

 

6 焦熱地獄 ― 殺生、盗み、みだらな行い、飲酒、嘘つきのほか、邪見の罪を犯した(仏教の教えに背いた)者が堕ちる

刑期:5京4568兆9600億年
刑罰:巨大な鉄の串で頭から足までを貫かれ、鉄網の上で串焼きのように焼かれる。あまりの火の強さに、体のあらゆる穴から炎が吹き出す。焦熱
地獄の炎を一粒でも現世に置くとすべてを焼き尽くしてしまうといわれる。

◇主な小地獄
①闇火風処(あんかふうしょ)
 仏教の無常の教えを認めず、邪説を説いて回った者が堕ちる。激しい暴風のなかで、亡者の体は粉々になりそこらじゅうに飛び散る。

②分荼梨迦処(ぶんだりかしょ)
「飢えて死ねば天に昇れる」と邪説を説いた者が堕ちる。分荼梨迦とは白い蓮のこと。「この先に分荼梨迦の池があり水も木陰もある」という声 につられ池に入ると、分荼梨迦が燃え上がり焼き尽くされる。

 
『和字絵入往生要集』より 焦熱地獄

『和字絵入往生要集』より 焦熱地獄

7 大焦熱地獄 ― 殺生、盗み、みだらな行い、飲酒、嘘つき、邪見のほか、尼僧を汚した者が堕ちる

刑期:半中劫(中劫の半分 ※中劫=永遠にも等しい歳月)
刑罰:猛烈な炎の中に落とされ、獄卒に「お前は炎ではなく自身が犯した罪に焼かれているのだ。火を消すことはできてもお前の罪を消すことはで
きない」といって責められる。

◇主な小地獄
①普受一切資生苦悩処(ふじゅいっさいししょうくのうしょ)
尼僧に酒を飲ませてたぶらかした者が堕ちる。剣で体中の皮を剥がれ、そのまま灼熱の地に置かれ、熱鉄を注がれる。

『和字絵入往生要集』より 大 焦熱地獄

『和字絵入往生要集』より 大 焦熱地獄

 

8 阿鼻地獄 ― 五逆罪(殺母・殺父・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)を犯した者が堕ちる

刑期:中劫(永遠にも等しい歳月)
描写:阿鼻城という城があり、その四隅には銅でできた巨大な番犬がいて、すべての毛穴から猛火を噴き出していて、その煙は比べるものがないほ
どの悪臭である。獄卒は18匹いる。目が全身に64個あり、上向きに曲がった牙の高さは4由旬(44.8km~57.6km)もあり、その先端から
火が噴き出し、阿鼻城には炎が満ちている。城を囲う壁の間には8万4千匹の蛇と500億の虫がいて、それらが吐き出す火が雨のように降っ
ている。

刑罰:亡者は2,000年かけてここまで落ちてくる。獄卒に口をこじ開けられ、鉄の塊を無理やり飲まされる。獄卒に舌を引き伸ばされ杭を打たれ
る。炎に満ちた城で、さまざまな獄卒からの責め苦を受け、無数の大蛇や虫や、それらが放つ悪臭に苦しめられる。

◇主な小地獄
①鉄野干食処(てつやかんじきしょ)
寺院に火をつけ仏像を焼いたり僧侶を焼き殺した者が堕ちる。雨のように降りしきる鉄の瓦に体を砕かれ、その身を犬に食われる。

②閻婆度処(えんばどしょ)
川を汚染したりして自然環境を破壊した者が堕ちる。閻婆度という巨大な鳥についばまれ、地獄の底に落とされて粉々になる。

※刑期

八大地獄において、1日の長さは一様ではありません。1等活地獄~6焦熱地獄までは、それぞれ六欲天での寿命を1日の長さの基準としています。
各地獄の基準となる六欲天や刑期をまとめると次の表のようになります。

 地獄刑期一覧

これだけではわかりづらいので、一番刑期が短い等活地獄を例に刑期を計算してみます(1年を365日として計算しています)。
等活地獄の基準となる四王天の1日は人間界の50年です。つまり、四王天での1年を人間界の年数に置き換えると、
50年×365日=18,250年となります。
等活地獄における1日は、四王天の500年に相当するので、500年×18,250年=9,125,000年です。
これを基に等活地獄の1年を算出すると9,125,000年×365日=3,330,625,000年となります。
そして等活地獄の刑期は500年なので、500年×3,330,625,000年=1,665,312,500,000年、これが人間界の年数に置き換えた等活地獄の刑期となります。

※六欲天…欲望に束縛されている6つの天界、またそれらに属する神々のこと。

 

 いかがでしたでしょうか。
 江戸時代に刊行された『和字絵入往生要集』のイラストとともに各地獄を紹介いたしました。
「地獄占い」は、この『和字絵入往生要集』を使ったオリジナルデザインのおみくじとなっております。
 ご観覧の記念にぜひ引いてみてください。

 皆さまのご来館をお待ちしております!

 

 <特別展情報>

「地獄の入り口―十王のいるところ―」
・会  期:令和7年7月5日(土)~令和7年9月1日(月)
・開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
・会  場:松本市立博物館 2階特別展示室
・料  金:【特別展単独券】大人:1,100円、大学生等:800円
【常設展・特別展セット券】大人:1,300円、大学生等:1,000円
 高校生以下無料
・閉 室 日:毎週火曜日(祝日の場合は翌平日)

 

 

Vol.113 モミジの七夕 ( R7.8.5 文責:前田 )

行事食を調査しています

 フィールドワークなどを通じて松本のすばらしさを再発見し、その魅力を発信してくださっている市民学芸員。今年も新たに市民学芸員の養成講座がスタートしました。第14期となる今回のテーマは「行事食」。このほど受講者の皆さんとともに、田川地区と安曇地区へ、主に七夕にまつわる食べ物の調査を行ってきました。その成果については、養成講座の集大成として、今後受講生の皆さんに発表していただく予定です。どうぞお楽しみに。
 その前振りに、今回聞くことができた安曇地区の前田隆之さん(79歳)の少年時代のお話がとても素敵だったので、少し紹介させてください。

 
前田さんの興味深いお話に聞き入る受講者のみなさん (7月26日の養成講座)

前田さんの興味深いお話に聞き入る受講者のみなさん
(7月26日の養成講座)

 
青々としたモミジの葉に色とりどりの飾りがきれいな七夕飾り (今年閉館する安曇資料館にて/8月2日撮影)

青々としたモミジの葉に色とりどりの飾りがきれいな七夕飾り
(今年閉館する安曇資料館にて/8月2日撮影)

七夕の思い出

風穴で有名な稲核(いねこき)では、七夕飾りに青竹ではなくモミジ(カエデ)が昔から使われます。 

生まれも育ちも稲核の前田さんは、小中学生の頃、8月6日にモミジの枝を伐り出してきて、七夕飾りをしました。そして七夕の次の日(8月8日)の朝にはその飾りを持って、5歳下の妹さんと梓川の岸辺へいき「七夕さま、あばよ。また来いよ」と言いながら川へ流しました。

七夕流しの後は、集まった子どもたちとともに、パンツ一枚になって川で泳いだり、お手製の水中めがね「水面(すいめん)」と魚を突くヤスを使ってカジカを獲ったりしました。

お腹がすくと河原の流木で焚火(たきび)をし、旬のジャガイモやササゲを飯盒で煮て食べました。この「芋煮」の味付けは自家製の味噌を使い、出汁(だし)として獲ったばかりのカジカを入れたそうです。

こうして河原で一日過ごした後、来た時のズボンにはき替え、川遊びでぬれたパンツはヤスにひっかけて、家に帰っていきました。家に着くころにはパンツもすっかり乾いていたそうです。

大人たちは養蚕で大忙しの時期、子どもたちはその手伝いからしばし解放され、友だちとのびのびと遊ぶ8月8日が、とても楽しみだったそうです。1960年頃から始まる安曇3ダムの建設工事にともない、七夕流しが行われていた河原はダムに沈んでしまいました。それでも、前田さんのように当時の子どもたちにとっての七夕は、楽しい夏の思い出として、地元の方々の心に刻まれているようです。

 

時は流れて

ところで現在の稲核の七夕はどんな様子なのでしょう。

今年度のPTA役員の方のご協力で「七夕焼き」を取材させていただきました。ここ最近は第1土曜日に開催されており、今年は8月2日に行われました。七夕を片付けるにはすこし早いと思われますが、伝統行事を継続していくためには柔軟に取り組んでいくことも大事なのかなと考えます。

 園庭に集まってきたこども  七夕焼き1

 

七夕焼きの朝、小中学生のいる4家庭がそれぞれの七夕飾りを手に、安曇保育園の庭へ集まりました。消防団のお父さんも2名いらっしゃいます。

この七夕飾りは、事前にモミジの木のあるお宅のお父さんが、4軒分を伐ってきて、各家庭に配ってくれたものだそうです。

 七夕焼き2 七夕焼き3 

午前8時、園庭に積み上げられた七夕飾りに火が点けられました。燃えた短冊が煤(すす)となり、煙とともに天に舞い上がっていくのを皆さんが見守ります。

七夕焼きの片付けが終わると、もう一つお楽しみ企画が待っていました。この後皆さんで奈川地区へ行き、シャワークライミングという川遊びをするとのことです。70年前、梓川の河原で繰り広げられたのと同じように、清冽な川の水しぶきに子どもたちの歓声が響く夏の一日となったことでしょう。

稲核の七夕の習わしは時代の流れとともに変わってきましたが、自然豊かな山ふところに育つ子たちがいつか思い出すであろう七夕の原風景は、変わらずに残ってほしいと思いました。

 

 

Vol.112 「知りたい!」に応えたい~博物館資料の調べ方(R7.7.8文責:會田)

「資料特別観覧」という言葉をご存じでしょうか。聞きなれない言葉で初めて知る方も多いと思います。「資料特別観覧」は学芸員の業務の一つで、多くの博物館美術館施設等では、収蔵庫に保管されている資料、また展示室に展示している資料を調査、閲覧できる制度があります。(事前申請要、許可制/有償※減免の場合あり)  

 当館では、松本市立博物館条例第7条で定めており、「学術研究者やその他教育を目的とした事由で閲覧ができる」としています。研究の最前線で調査をしている学術研究者や教育関係者が、論文に掲載したい、画像を学校教材として利用したいなど、調査研究・教育のために、学芸員の立会いのもと当館収蔵資料を閲覧利用できる制度を設けています。

 「資料特別観覧」は条件がありますが、「松本市立博物館にどんな資料があるのか知りたい!」と思ったときには、実は誰でもネット上で調べることができます。

 このコラムのページ内の「収蔵品検索」のアイコンを押していただくと、検索画面が表示されます。キーワードを入力すれば、該当資料の画像や資料名、制作年代などが閲覧できます。

収蔵品検索アイコン 検索画面

全国の博物館美術館施設などでは、近年収蔵資料情報のデータ化が進められており、当館もいち早く取り組みを始めています。
眺めていると、まるで“仮想世界のミュージアム”のようですよね。

 「こんなものも収蔵されているんだ」「これは何だろう?」など様々な発見があるかもしれません。どなたでもご利用いただけますので、ぜひ覗いてみてください。

Vol.111 文明開化の時代を映すラベリング ( R7.6.20 文責:遠藤 )

松本市立博物館の常設展示は、8つのテーマ展示から構成されています。
そんな常設展示の一角に、文明開化期の松本を紹介するコーナーがありますが、今回はそのコーナーから明治の時代の“ラベリング”の様子を紹介します。

ラベリングとは、事物に名前を付け、詳しく説明することを意味する心理学用語とされますが、レッテルを貼って決めつけること、というようにネガティブな意味合いを持つ場合もあります。現代においても“Z世代”や“勝ち組と負け組”のように大小さまざまなラベリングが行われています。

鎖国や身分制度をはじめとしたさまざまな支配の枠組みが崩れ去った明治初期、世間は新しい時代の象徴となった西洋文化をなんとか取り入れようと躍起になっていました。有名な「散切頭(ざんぎりあたま)を叩いてみれば文明開化の音がする」の一説が示すように、この時代は文明開化の時代と呼ばれ、あらゆる分野で西洋化が進みました。松本にある国宝旧開智学校校舎も、文明開化していることを示すために無理をしてでも洋風の建物を求めた人々の想いの結実といえます。

そんな時代ですので、文明開化を果たしている人は“開化の人”ともてはやされ、反対にちょんまげを大事にしている人や伝統的な風習を大事にしている人は“旧習因循(きゅうしゅういんじゅん)の人”と呼ばれ、早く開花するようにと諭されるのが一般的でした(ちょっと前に話題になったアマビエ・アマビコも当時の新聞で“迷信”扱いされ否定されています)こうした開化を基準にしたラベリングが広く行われましたが、これが小学校で使用する教科書にまで登場していました。

その教科書は『万国地誌略』(明治7年)で、世界地理を勉強するための本です。明治初期の小学校の教科書として広く使われていました。この2巻に「人民開化等級の略説」という章がありますが、その中で世界の国々が文明開化の度合いでランク分けされています。「文明開化の民」が頂点となり、順番に「半開化の民」、「未開の民」、「蛮夷」と分類されています。「文明開化」を果たした国には欧米の各国が挙げられ、アジアの国々は「半開化」に分類されることが多いです。「未開」の国は遊牧民の人々、「蛮夷」には欧米に植民地にされた国の原住民の人々が当てられています。当時の“開化至上主義”ともいえる考え方が反映されたラベリングといえます。

この本の中で日本は「文明開化の民」に分類されています。当時の日本は開国したばかりですので「半開化」が妥当なところでしょうが、だいぶ背伸びした分類に感じます。

当時は一刻でも早く欧米列強の国々に追いつくことが国を挙げての大命題となっていたとはいえ、学校教育の現場でこのように世界の国を勝手にラベリングした内容を教えていたことは驚きです。現代の感覚からするととても問題のある内容に感じますが、急いで欧米のような強い国にならなければ日本が植民地にされてしまう、という恐怖心が根底にあったことも見逃せません。

いつの時代も他者を勝手にラベリングして自己の安定を得ようとするのは世の常かもしれませんが、こうした行為には人の想いや社会の情勢が大きく影響しています。なぜこんなことしたのか?という点を考えていくと、さまざまなことがみえてくると思います。

常設展示室では今回紹介した『万国地誌略』のほかにも文明開化期の人々の想いや考え方を示す資料が並んでいますので、ぜひご覧ください。

文明開化を紹介しているコーナーの様子

文明開化を紹介しているコーナーの様子

「開智学校印」が押印された『万国地誌略』巻二

「開智学校印」が押印された『万国地誌略』巻二

Vol.110 学芸員の試験認定を受験してきました(R7.6.5 文責:竹藤)

 昨年(2024年)12月に、学芸員の資格を取得すべく、東京まで試験認定を受験しに行ってきました。これまで音楽教員、公共施設(音楽ホール)と勤務してきた私ですが、松本市役所に移り、学芸員の資格を持たずして博物館に配属となった経緯があります。これも良い機会ととらえ、本格的に勉強することにしました。

  学芸員の資格を持つ方の多くは、大学等で所定の単位を修得することで、卒業と同時に資格を取得しています。平成9(1997)年度までは5科目10単位だった要件が、平成10(1998)年度からは8科目12単位、平成24(2012)年度からは9科目19単位となり、ハードルが順次上がっていることが分かります。

 私のように社会人となってから取得を目指す場合に、選択肢となるのが「試験認定」と「審査認定」です。今回話題にする試験認定は、大学で修得できなかった必要科目・単位を、筆記試験によって認定する制度になります。以前は毎年実施されていましたが、令和5(2023)年に施行された博物館法施行規則により、令和6(2024)年度から「少なくとも2年に1回」に変更となりました。

 加えて、全ての科目に合格した後、博物館での1年間の実務経験が必要です。つまり、今回筆記試験合格者となっても、学芸員と名乗れるのは令和7(2025)年度の終盤。不合格だった場合、次のチャンスはさらに2年後となってしまいます。

 「学芸員の資格認定についてー文化庁」

 さて、勉強を開始したのは昨年5月頃でした。教員免許を保有している関係で、1科目はすでに取得していたため、残る8科目の試験対策を行うことになります。具体的には「生涯学習概論」を除いた「博物館概論」「博物館経営論」「博物館資料論」「博物館資料保存論」「博物館展示論」「博物館教育論」「博物館情報・メディア論」の8つです。

 学習のセオリーとしては過去問題をあたりたいところですが、公開されているのは問題文のみで、解答解説等がありません。早速出端を挫かれながらも、まずは学芸員の養成課程等でテキストとして使用されている書籍に目を通すことにしました。

「博物館の歴史・理論・実践」

 教科別に編まれた参考書には古いものも多い中、こちらは平成29(2017)年発行と比較的新しく、最近の法改正等とのズレも少ないため重宝しました。もうひとつ、勉強を進める上で大いに役立ったのが「生成AI」です。実際の手順としては、公開されている過去問題をChatGPTやGeminiといった複数の生成AIに解答させ、記述内容が正しいかどうかを書籍に照らしながら進めていきました。特に試験認定では、複数の事実やデータを組み合わせた論述が求められることも多く、そうした問題はゼロベースで考えるよりも、出力された解答をもとに事実確認していくことで作業効率が上がります。

 令和5年度実施問題からさかのぼり、8教科5年分を終えたところでタイムリミットとなってしまいましたが、大別すると以下のような分類が見えてきました。

 

  1. 法令と博物館史

 ここでは、博物館の設置・運営の根拠となる「博物館法」をはじめ「文化財保護法」「文化芸術基本法」等が基本となります。条文の穴埋め形式のため、暗記のセクションではあるものの、博物館法であれば「博物館の事業」といったように、出題箇所にはパターンがあります。また、法改正のタイミングでは、ほぼ確実に改正のポイントが問われますので、忘れずに押さえておきたいところです。併せて、法令ではありませんが、日本における博覧会と博物館の起源についての記述も、穴埋め問題でよく見かけます。

 

  1. 博物館や学芸員に関する諸課題についての論述

 論述の問題については「財政課題」や「人員不足」をキーワードにしたものが多いため、公立博物館の財政状況や、諸外国との経営体制の違いについてデータを持っておくと解答しやすいというのが実感です。

 

  1. 用語解説

 いずれも定義を簡潔に書く形式になっています。解答欄のボリュームからして、長くとも50字程度の想定と思われます。私はいくつかの博物館に関する事典、情報技術等に関する事項は一般的な辞書から複数の定義を集め、こちらも生成AIに要約と補足を出力してもらいました(本文の後に、参考までに実際に使用した書籍を一覧にしておきます)。

 もちろんこれに加えて、特定の教科でしか出題されない分野もあります。たとえば教育論では、教員の養成課程でも学習するような、著名な教育者や教育法の知識が必要です。また、情報・メディア論では、マスメディアの歴史的変遷や、最新の情報技術に関する問題が頻出します。これらは上記1~3に加えて、少し個別の対策が必要です。

 

 ひと通り勉強した所感として、日々の仕事に取り組む上で、何かが劇的に変化したわけではありません。しかし、学芸業務の基礎となる知識や理解が深まったことで、実際に取り組むことが初めての業務についても、ある程度自信を持って踏み込めるようになりました。何かを発信する際にも、根拠を持って述べるということが、少しずつできるようになった気がします。反面、松本市に建つ地域の博物館の職員としては、まだまだ「松本学」初心者であり、より焦点を絞った勉強を継続していく必要性を感じました。

 結びに、試験の結果ですが、おかげさまで無事に全科目合格し、筆記試験合格者となることができました。ようやくスタートラインに立つことができた思いですが、机上の空論で終わることのないよう、今後の業務におけるひとつひとつの実践を大切にして、学芸員としてのスキルを充実させていきたいと思います。

 

参考文献

  • 今村信隆『博物館の歴史・理論・実践1―博物館という問い』
    京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎藝術学舎,2017.
  • 今村信隆『博物館の歴史・理論・実践2―博物館を動かす』
    京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎藝術学舎,2017.
  • 今村信隆『博物館の歴史・理論・実践3―挑戦する博物館』
    京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎藝術学舎,2018.
  • 全日本博物館学会『博物館学事典』雄山閣,2011.
  • 日本ミュージアム・マネージメント学会事典編集委員会『ミュージアム・マネージメント学事典』学文社,2015.
  • フランソワ・メレス,アンドレ・デバレ編,水嶋英治訳
    『博物館学・美術館学・文化遺産学 基礎概念事典』東京堂出版,2022.

 

 

Vol.109 学芸員の仕事道具って?( R7.5.22 文責:岡 )

学芸員は日々多くの博物館資料と接しますが、そんな“学芸員の仕事道具”について皆さんはご存じですか?おそらく考えた事もない方が大半だと思いますが、漠然と“資料に害を与えない道具”を使っているのは想像できると思います。

博物館では破損や汚損、カビや虫害などに繋がるものは可能な限り排除します。今回のコラムではそんな博物館で日々使われている仕事道具について、具体例を示しながら一部をご紹介したいと思います。

1 手袋
資料の材質によっては布製の白手袋や薄手のゴム手袋を利用します。
ただ指先に力が伝わりにくいなど不便な面もあるため、清潔を保った上で、素手のまま作業する機会も多いです。

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2 マスク
唾などの飛沫が付着しないよう、あらかじめマスクを装着しながら作業します。

3 鉛筆
軽量で先端が尖っておらず、ボールペンのインクと異なり付着物の除去が可能なため、筆記用具の中では推奨されています。

4 計測道具
金属製よりも布製や木製のものが頻繁に使用されます。

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5 ライト
暗所での作業や、透かして資料状態を観察する場面で重宝します。落下を防止するためにも、紐付きのものが好まれます。

6 薄葉紙
薄くて破れにくい和紙です。通気性や柔軟性などに優れるため、資料と接するもの(緩衝材や包みや紐)は基本的に全て薄葉紙から作られます。

薄葉紙

7 綿布団
綿を薄葉紙で包んで作るクッションです。使用頻度は高く、多くは学芸員が手作りしています。

綿布団

8 巻き段ボール(写真の下に敷いているもの)
資料を置く際の下敷きや、梱包材として使用する場合もあります。資料のあるエリアとそれ以外とを区別する役割もあります。

IMG_6673-1746756892875 巻ダンボール

9 テンバコ
安定して積み上げられるように定型の箱が使用されています。

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ご覧いただいた通り、私たちが日々使用する道具に特別珍しいものはありません。ですが、何か問題が起きたとしても被害が最小限になるよう、細かなところで気を配っています。硬い材質より柔らかい材質、付着したとしても取り除きやすい材質、軽量な材質、資料に接しても影響が少ない材質…など、どんな道具を使うにしても、なるべく資料に影響を与えないことが優先されています。

また道具ではありませんが、資料を取り扱う前には落下の危険があるアクセサリーや腕時計は外し、ボタンやチャックがある服装はなるべく避けるなど、身支度にも気を付けます。これも、資料を破損させないように意識されていることの一つです。

資料の多くはそれぞれが館を信頼してご寄贈いただいたものです。そんな大切な財産を保管している以上、仕事道具をはじめとして学芸員が意識すべきことは少なくありません。

今回は一例の紹介に留めましたが、そんな視点も交えながら学芸員コラムを見ていただけると、新たな発見があるかもしれません。

 

Vol.108 特別展「信州の工芸ー作り手たちの原点」紹介 ( R7.5.1 文責:本間 )

松本市立博物館では、4月19日(土)より特別展「信州の工芸―作り手たちの原点―」を開催しています。
松本は“工芸のまち”と呼ばれる程、手しごとが盛んです。本展では信州各地で活動する現代工芸作家の皆様と作品を紹介します。

テーマは「作り手たちの原点」です。どのようなことがきっかけで皆さんがものづくりの道を志されたのか、現在はどのようなものを作られているのかが、分かる展示になっております。
原点となる作品を作家さんご自身にお持ちいただいたり、博物館資料を隣に置かせていただいたりして、皆さんの原点を探らせていただく方法をとっています。
博物館資料と現代工芸作家の作品をコラボレーションするという、松本市立博物館ならではの展示です。ここでは、展示室の様子を紹介します。

作品については以下のような配置にしています。

会場の配置図

展示室の床が白とグレーの市松模様となっています。作家さんごとに作品を分けるために、このような展示方法となりました。
どの作品にも熟練された技術や、作家さんの想いが込められており、見ごたえがあります。

工芸展全体

展示室に入って左手の壁面ケースにも、作家さんの作品や博物館資料を展示しています。

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展示室に入って右手の壁面ケースでは、コラムとして「松本クラフト推進協会」関連事業を紹介しています。
関連作家の皆様の作品を展示中です。どの作品も細部まで精巧に作られており、可愛らしく素敵なものばかりです。

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冒頭で“博物館資料と現代工芸作家の作品をコラボレーション”していると述べましたが、作家さんの作品の隣に、どんな博物館資料が展示されているのでしょうか。

ぜひ特別展へお越しいただき、実際にご覧ください!

 

<特別展情報>

・会 期    令和7年4月19日(土)~令和7年6月9日(月)
・開館時間     午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
・会 場    松本市立博物館 2階特別展示室
・料 金    【特別展単独券】一般(18歳以上):1,000円、大学生等:600円
                      【常設展・特別展セット券】一般(18歳以上):1,200円、大学生等:800円
・閉 室 日      毎週火曜日(祝日の場合は翌平日)
・協 力    NPO法人松本クラフト推進協会

Vol.107 手作り甲冑講座最終回 (R7.4.16 文責:髙木)

去る4月9日に、甲冑手作り講座の最終回が行われました。10月から始まって2月いっぱいで終了するはずが、さらに5回の補習を加えての全21回、壮大な講座となりました。途中、作業の複雑さ難しさに手が止まることもありましたが、8領の甲冑が出来上がり、あと2領も完成間近となりました。

出来上がった鎧(よろい)櫃(びつ)の上にそれぞれの甲冑をセッティングした様子をごらんください。

鎧びつ並び 

これで終わりではありません。最終回の大事な講習内容は、飾り方、着付け方、納め方です。

 セッティング  着付け
 かたずけ 納め方 

厳しくも丁寧に指導してくださった講師の赤廣先生本当にありがとうございました。そしていつも参加者に寄り添って会をまとめてくれた担当職員の吉澤さんお疲れ様でした。

講評

仕上げた甲冑をお互いに着付けしあってから並び、赤穂先生の講評を聞きました。
それぞれに工夫をこらした兜の前立てにご注目ください。みなさん誇らしげです。

着揃え

 

 

 

 

 

 

 娘さんに作ってあげた参加者もいました。

着揃え娘さん 

博物館職員で手分けして作り上げた甲冑はもちろん、加藤館長に着てもらいました。

館長 

最後に記念撮影をして終了!
ではなく、4月19日に松本城に登城して着揃え会を行う予定です。
正式な登城ルートの大手門から、甲冑を身に着けた10人の武士が入ってきましたら拍手でお迎えください。10時前後の予定です。

記念撮影 

19日朝までは博物館のウィンドーギャラリーに展示しています。手作りとは思えない立派な甲冑に歩行者の足も止まり、外国の方は写真をとっていきます。是非ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

Vol.106 第5回博物館まつりを開催しました ( R7 3.31 文責:吉澤 )

 令和7年3月16日、第5回博物館まつりが開催されました。

博物館まつりとは、松本市立博物館やその分館を母体に活動されている皆さんによるイベントです。
「博物館で学ぶ楽しさを多くの方々に伝えたい!」という思いのもと、博物館まつり運営委員会を中心に、子どもから大人まで楽しめる催しをたくさん企画しました。今回は、松本市立博物館での博物館まつり当日の様子をレポートさせていただきます!

エントランスに入ると、素敵なポスターがお出迎えしてくれました。
エクセラン高校の生徒さんに制作していただきました。

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 当日はなんと大雪!お客さんが来てくれるかハラハラです…。

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9時30分、博物館まつりのスタートです。
思いがけない悪天候でしたが、3コースのまちあるきの皆さんも勇ましく「いざ出発!」
銀世界の松本を散策しました。

まちあるき(城下町)2 まちあるき(女鳥羽川) まちあるき(古地図)

3階の常設展では皆さんクイズラリーに熱中していました。
全問正解すると贈られる記念品は、道祖神のお札や収蔵品のポストカードなど、松本の博物館ならではのものです。

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常設展を出たロビーでは、松本まるごと博物館の分館紹介パネル展が開かれました。
好評につき現在も延長展示しておりますので、常設展を見たあとは「次はここに行ってみようか」と松本めぐりの助けにしてみてください!

1階の交流学習室からは賑やかな声が聞こえてきます。

甲冑の着付け、昔の遊び、刀剣や昔の読み方にまつわるクイズなど、どれも楽しそうで目移りしてしまいます。
ちりめんじゃこから小さな海の生き物をさがす「ちりめんモンスターをさがせ!」は、子どもたちに負けじと大人の方も夢中に取り組んでいらっしゃいました。

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甲冑着付け体験

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昔の遊び

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刀剣にまつわる日本語

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チリメンモンスターを探せ

講堂では、3つのワークショップが行われました。

七夕・カータリ人形やコースター、鹿の角の首飾りなど、自分の手でつくった宝物を、博物館まつりの思い出とともに持ち帰っていただけたのではないでしょうか!

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七夕人形作り

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こも編み体験

鹿角アクセササリー作り

鹿角首飾り作り

ガラス張りの会議室では、紙芝居と化石のギャラリートークが行われました。
松本地方につたわる「泉小太郎」伝説の迫力ある読み聞かせのあとは、大昔、松本がまだ海だった頃の壮大なお話が聞けました。

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博物館まつりにあわせて誕生したキャラクター「てまりちゃん」とその仲間たちも会場を盛り上げてくれました。

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今年は思わぬ大雪にみまわれた博物館まつりとなりましたが、例年に負けず劣らず大盛況の賑わいでした。

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来館者の皆さまからの「楽しかった!」「また来ます!」という声と笑顔が本当にうれしかったです。
このようなイベントをきっかけに、松本の博物館に少しでも興味をもっていただけたら幸いです。

Vol.105  重要文化財馬場家住宅の紹介(その1) ( R7.3.7 文責:石井)

 馬場家住宅は、松本市内田地区のほぼ中央に位置し、標高約690m、眼下に松本平が広がり、北アルプスを遠望する立地にあります。屋敷は四方を道路・水路で区切られ、敷地は全体で約12,300㎡です。

 平成の保存修理工事に先立つ史料整理で発見された明治28年(1895)の家相図に基づき、工事では明治28年時点の時代設定で復元されました。

家相図

家相図

 
家相図に基ずく配置図

家相図に基ずく配置図

 屋敷は敷地の西側を通る旧道に面しており、この旧道から後退して表門・門長屋を構え、両脇に塀が延びています。宅地西側を除く三方は土塁により囲まれています。表門を入ると、正面に主屋、右に中門・塀、左に旧灰部屋が前庭を囲んでいます。主屋の北側には旧ひきや部屋があり、主屋の南側は庭園となっています。主屋背後に文庫蔵、さらに後方に隠居屋・奥蔵があり、隠居屋南側の一番高いところに茶室があります。

 これらの建物群を取り巻く形で、ケヤキほかの大樹によって屋敷林が形成され、遠方からも屋敷の輪郭を伺うことができます。なお、屋敷の北西にある祝殿境内にあるケヤキは「内田のケヤキ」として松本市特別天然記念物に指定されています。

 今回は、主屋を紹介します。

主屋正面

主屋正面

 

 桁行18.8m、梁間16.4m、一部二階、切妻造、妻入、鉄板葺(元は板葺)です。旧小屋部材にある墨書から、嘉永4年(1851)の再建と判明しています。
 妻を正面に向け、妻の壁に格子窓をつけ、棟に「雀おどし」と呼ばれる棟飾りつけるなど、県内西南部地域にみられる「本棟造り」の典型例です。 
 
 本棟造りの特徴を3点あげると、板葺きであること、妻(写真で見える屋根の下の三角形の部分)を見せる切妻造であること、妻のある方に入口があることです。

 間取りは中央に広いオエ、その上手にカミオエ、これらの手前に接客空間であるゲンカン・ザシキ、ザシキの前方にカミセッチン、ユドノが張り出す構成です。幕末~近代の松本平の本棟造りに共通する間取りとなっています。

 

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 この図は、痕跡調査などに基づく間取りの変遷です。
 イロリは当初オエにありましたが、明治14年頃にカッテの板の間が増築され、そこに設置されました。
 ナガシが増築されたり、ウマヤがなくなったりとその時々の必要により改築が繰り返されてきたことが分かっています。

     オエ:家族や近所の人たちが囲炉裏の周りを囲んで話をしたり、食事をしたところ
    カミオエ:普段使う座敷
    ザシキ:婚礼や法事の時にしか使わない本座敷
    コザシキ:主人の居間
    イリカワ:畳敷きの縁側。板敷きはロウカと呼び区別される
 (その2)では表門や門長屋を紹介予定です。

   ※図はすべて『松本市重要文化財馬場家住宅第Ⅰ期修理工事報告書』(松本市教育委員会、平成8年)
    より引用

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (その2)では表門や門長屋を紹介予定です。

※図はすべて『松本市重要文化財馬場家住宅第Ⅰ期修理工事報告書』(松本市教育委員会、平成8年)より引用