Vol.113 モミジの七夕 ( R7.8.5 文責:前田 )
行事食を調査しています
フィールドワークなどを通じて松本のすばらしさを再発見し、その魅力を発信してくださっている市民学芸員。今年も新たに市民学芸員の養成講座がスタートしました。第14期となる今回のテーマは「行事食」。このほど受講者の皆さんとともに、田川地区と安曇地区へ、主に七夕にまつわる食べ物の調査を行ってきました。その成果については、養成講座の集大成として、今後受講生の皆さんに発表していただく予定です。どうぞお楽しみに。
その前振りに、今回聞くことができた安曇地区の前田隆之さん(79歳)の少年時代のお話がとても素敵だったので、少し紹介させてください。
![]() 前田さんの興味深いお話に聞き入る受講者のみなさん |
![]() 青々としたモミジの葉に色とりどりの飾りがきれいな七夕飾り |
七夕の思い出
風穴で有名な稲核(いねこき)では、七夕飾りに青竹ではなくモミジ(カエデ)が昔から使われます。
生まれも育ちも稲核の前田さんは、小中学生の頃、8月6日にモミジの枝を伐り出してきて、七夕飾りをしました。そして七夕の次の日(8月8日)の朝にはその飾りを持って、5歳下の妹さんと梓川の岸辺へいき「七夕さま、あばよ。また来いよ」と言いながら川へ流しました。
七夕流しの後は、集まった子どもたちとともに、パンツ一枚になって川で泳いだり、お手製の水中めがね「水面(すいめん)」と魚を突くヤスを使ってカジカを獲ったりしました。
お腹がすくと河原の流木で焚火(たきび)をし、旬のジャガイモやササゲを飯盒で煮て食べました。この「芋煮」の味付けは自家製の味噌を使い、出汁(だし)として獲ったばかりのカジカを入れたそうです。
こうして河原で一日過ごした後、来た時のズボンにはき替え、川遊びでぬれたパンツはヤスにひっかけて、家に帰っていきました。家に着くころにはパンツもすっかり乾いていたそうです。
大人たちは養蚕で大忙しの時期、子どもたちはその手伝いからしばし解放され、友だちとのびのびと遊ぶ8月8日が、とても楽しみだったそうです。1960年頃から始まる安曇3ダムの建設工事にともない、七夕流しが行われていた河原はダムに沈んでしまいました。それでも、前田さんのように当時の子どもたちにとっての七夕は、楽しい夏の思い出として、地元の方々の心に刻まれているようです。
時は流れて
ところで現在の稲核の七夕はどんな様子なのでしょう。
今年度のPTA役員の方のご協力で「七夕焼き」を取材させていただきました。ここ最近は第1土曜日に開催されており、今年は8月2日に行われました。七夕を片付けるにはすこし早いと思われますが、伝統行事を継続していくためには柔軟に取り組んでいくことも大事なのかなと考えます。
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七夕焼きの朝、小中学生のいる4家庭がそれぞれの七夕飾りを手に、安曇保育園の庭へ集まりました。消防団のお父さんも2名いらっしゃいます。
この七夕飾りは、事前にモミジの木のあるお宅のお父さんが、4軒分を伐ってきて、各家庭に配ってくれたものだそうです。
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午前8時、園庭に積み上げられた七夕飾りに火が点けられました。燃えた短冊が煤(すす)となり、煙とともに天に舞い上がっていくのを皆さんが見守ります。
七夕焼きの片付けが終わると、もう一つお楽しみ企画が待っていました。この後皆さんで奈川地区へ行き、シャワークライミングという川遊びをするとのことです。70年前、梓川の河原で繰り広げられたのと同じように、清冽な川の水しぶきに子どもたちの歓声が響く夏の一日となったことでしょう。
稲核の七夕の習わしは時代の流れとともに変わってきましたが、自然豊かな山ふところに育つ子たちがいつか思い出すであろう七夕の原風景は、変わらずに残ってほしいと思いました。