Vol. 127 博物館の未来を考える( R8.3.17 文責:武井)

 近頃、博物館の未来に大きな影響を与える話題が立て続けに報道されています。
 1つ目は博物館法施行規則「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」について、2つ目は独立行政法人国立文化財機構と国立美術館の「次期中期目標について」です。

 1 博物館法施行規則「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」

 施行規則とは、法律の理念を実行するための具体的な実施方法、手続き、基準等を定めたもので、今回改正案が出された標記規則は、文字通り博物館を設置・運営する上で望ましい基準を明文化したものです。「望ましい」とあるように、努力目標であり強制力はありませんが、各博物館の運営のよりどころとなり、また各館の基本的な指針にも影響を与える大切な規則です。
 改正案は昨年の11月25日に公示され、今年の1月4日までパブリックコメントが募集されていました。なお、パブリックコメントの募集は締め切られていますが、改正案は公開されておりますので、ご関心のある方はぜひご覧ください。

「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」に関するパブリック・コメント(意見公募手続)の実施について|e-Govパブリック・コメント

改正案では記述内容の見直しや条文の追加など、多くの変更案が示されましたが、その中で特に注目されたのが、資料の収集、保管について記された改正案第六条に、「廃棄」の文言が含まれているという点です。以下に該当部分を抜粋します。

「第六条 2 博物館は、博物館資料の将来的な整備及び発展的な活用に向け、寄贈、寄託、借用、購入等による博物館資料の充実や、博物館資料の再評価に基づく交換、譲渡、貸与、返却、廃棄等を含めた博物館資料の管理の在り方について検討するよう努めるものとする。」
 これに対し、現場の学芸員や各地の研究会、専門家から「安易な廃棄につながる」、「廃棄は例外的措置であり、あくまでも最終手段であることを明言すべき」等といった批判、意見の声が相次ぎ、2月に開かれた文化庁の博物館ワーキンググループでは「特に博物館資料の廃棄について検討する場合には、多様な関係者の意見を聴きつつ、長期的かつ総合的な見地から慎重に行うものとする」という一文を追加した修正案が出され、再検討されました。そこでも、廃棄に至るまでの処分の基準が明らかでない点等を理由に廃棄の明文化への反対意見が出され、現在も調整が続けられています。
 「博物館資料の廃棄」という言葉が与える衝撃は大きく、この改正案についての報道を目にした方も多いのではないでしょうか。当館にも、以前資料をご寄贈くださった市民の方から「博物館資料廃棄のニュースを見たのですが松本市立博物館の資料は大丈夫ですか?」と心配のお声を頂戴しました。
 実は、博物館資料の廃棄は博物館の現場ではかなり前から取り沙汰され、そして現在も多くの館が頭を悩ませている問題です。
 資料廃棄を検討せざるを得ない原因の一つに、いわゆる「収蔵庫問題」があります。
 博物館が収蔵すべき資料は、増加することはあっても減少することはありません。一方で、収蔵スペース(収蔵庫)は有限です。そのために、全国各地の博物館の収蔵庫がキャパシティを超え、新たな資料を受け入れることができない、資料を適切に管理することができない等といった問題に直面しています。この問題に対する効果的な解決策を見いだせないまま現在に至っていますが、何とかして収蔵スペースを確保しようと検討する中で出てくるのが「資料の廃棄」です。
 そして、その廃棄の矢面に立たされてきたのが「民具資料」です。
 民具とは、人々が生活の中で使ってきた道具全般のことで、博物館では古い農具が代表的なものでしょうか。
 民具(とりわけ農具)は、唐箕や千石通し等大型で場所をとるものが多く、生活の中で使われていたため数も多く、その上見た目が似たものが多く、何より身近で使われていたために「これがそんなに大事なの?」と思われがちです。
 また、各地の博物館に収蔵されている民具の多くは高度経済成長期に収集されたものなのですが、詳細な調査研究が行われず、そのため活用もされず、「ただ集めただけ」になってしまったものが少なくありません。そうした民具たちは「情報がなく、活用もしづらく、ただ場所をとっている資料」として扱われてしまいます。
 上記のような理由から、民具は真っ先に廃棄対象として挙げられてしまうのです。
 しかし、民具はただ場所を取る邪魔者ではなく、地域の文化、歴史、生活を知る上で欠かせない重要な文化財です。民具はその性質上、資料一つだけで唯一無二の価値を持つようなものではありません。ですが、生活に密着したものであるため使いやすくなるよう各地域や各家庭で様々にカスタマイズされており、そうした工夫の形跡は、複数の民具を集めて比較することで浮かび上がってきます。つまり民具というのは、ある程度の数を収集し、それぞれを比較したり関連付けたりすることで、人々の生活を浮き彫りにしてくれるのです。
 ただ、そうした民具の多くが活用されず放置されてしまっている現状においては、民具のことをよく知らない、また興味がない人にとっては、「ただでさえ大きいのに同じようなものがたくさんあって、スペースの無駄なので廃棄したい」と思われるのは当然とも思います。
 また、現場の学芸員からしても、先ほどお話しした「収蔵庫問題」はかなり切迫しており、資料の廃棄は既に避けられない状況になっています。
 博物館資料を未来にわたって適切に管理していくためには、長期的な目線での収蔵スペースのマネジメントが重要です。その観点から考えると、資料の廃棄はマネジメントの中の一つの選択肢としては必要なものです。
 しかし、あくまでも廃棄は最終手段であり、そこに至るまでには他施設への移管や地域への返還等、他に活用できる方法がないかを徹底的に模索し、資料の詳細な情報をしっかりと記録する等厳格な手続きが求められます。
 そうした必要な手続きが周知されないまま「廃棄」の文言だけが独り歩きしてしまうと、適切な手順が踏まれないままに安易に資料が廃棄されてしまう危険性が非常に高まります。これらは民具に限った話ではありません。
 こうした悲劇が起こらないよう、収集方針や廃棄も含めた収蔵庫マネジメント方針及びその手順を検討することに加え、情報がなく活用ができない資料を少しでも減らすために日ごろから資料整理・調査研究を継続し、その成果を展示等で広く伝え博物館資料の重要性を共有する、といった博物館の基本的な役割をコツコツと積み重ねていくことが、今まで以上に重要になってきていると言えます。

 2 文部科学省及び文化庁が策定した「中期目標」

 独立行政法人国立美術館と国立文化財機構が令和8年度からの5年間で達成すべき業務運営に関する目標で、これを元に各館が中期計画を策定するものです。今年の2月27日に公開されました。→94338101_01.pdf94336201_01.pdf
 この目標が、「国立博物館や美術館に収入目標、未達成なら閉館含め再編検討」という衝撃的な見出しで報道され、博物館関係者を中心に大きな話題となりました。ただ、中期目標の中に「閉館」の文字はなく、文化庁も報道後速やかに「国立博物館・国立美術館の次期中期目標につきまして」という説明資料を公開し、再編は閉館を想定しているものではないことや、収入目標を設定する理由、目標を設定するのは展示事業のみであること等を説明しました。しかし、いまだに多くの人が不安の声を挙げています。
 また、こうした国の動きが地方の博物館施設にも影響を与え、展示が収入を得られるようなものに今以上に偏重していってしまうことが懸念されています。(以前から収入目標を設定するよう求められたり、収支バランスを改善するよう指示されている博物館施設は全国に少なくないものと思われます。)
 そもそも博物館法の中で、博物館施設は営利目的の施設ではなく、社会教育施設として位置づけられており、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情がある場合以外は入館料等の対価を徴取してはならないと明記されています。そのため、収入を評価指標に据えること自体、博物館施設にはそぐわないと言えます。
 収入だけで評価されないようにするためには、各館の使命・目標を設定し、それを達成できているかどうかを判断・評価するための指標を、各館でよく検討して設定し、公開していかなければなりません。しかし、令和2年時点でなにかしらの評価を定期的に実施している博物館の割合は48.8%で、そのうちその結果を公開しているのは、自己評価が4割、外部評価、設置者評価が6割となっており、公開を含め評価を博物館運営・管理に組み込んでいる館は多くないという現状があります。
 今後、「収入による評価」という波にのまれないためにも、多くの館で評価指標の検討及びその実施が望まれます。
 そもそも、評価云々にかかわらず、少子高齢化が進み、将来にわたって人口や税収が減少していくことが自明である現代において、博物館施設はその存在自体が危ぶまれる状況にあります。そのような情勢の中で「少しでも博物館の持続可能性を高めるために、自力で収入を獲得できるようになろう」という考えが出てくるのは、至極まっとうに思えます。
 ただ、目先の利益にとらわれて、収益につながる展示企画にばかり偏重し、そのほかの博物館として果たすべき役割が蔑ろにされるようなことがあってはなりません。
 あくまでも収入獲得は博物館を持続させていくための方策の一つであり、稼ぐこと自体が博物館の目的となってしまわないよう、しっかりと舵取りをしていかなければなりません。

 博物館資料をはじめ文化財は未来へ守り伝えるべきものですが、その「守り伝える」役割を担うのは「現代に生きる人」です。そのため、できるだけ多くの「現代に生きる人」の理解を得て味方を増やしていくことが、これからの博物館には必要不可欠です。
 「廃棄」や「閉館」といったインパクトのある言葉を見ると、私はつい「何てことを!」と反射的、感情的に反発したくなってしまいます。ですがそれでは味方を増やすことにはつながらず、場合によっては逆効果にさえなってしまいます。
 「文化財は絶対に守り伝えられるべきだ」という思う気持ちは死守しつつも、決して驕らず冷静に、より多くの人に博物館資料、文化財の魅力や大切さを共有できるよう、博物館活動に取り組まねばならないと気を引き締めました。

  以上、近年のニュースを足掛かりに、博物館の未来について私なりに考えたことを書かせていただきました。
 博物館内部の人間としては気が重くなってしまいそうなニュースばかりですが、センセーショナルな言葉につられて瞬発的に反発するのではなく、博物館のこれからを考え冷静に議論していけるよう努めたいと思いました。
 また、こうした話題も多くの人が博物館の未来を考えるきっかけの一つになれば嬉しいと思います。

 

 

〇参考資料(今回はネット上で閲覧できるものを中心に参考にしました。興味のある方はぜひご覧ください。)

博物館法(e-Gov法令検索)
https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC1000000285/#Mp-Ch_1-At_9

ITmedia NEWS「「“閉館”どこにも書いてない」──国立の博物館や美術館に収益目標設定の真意、文化庁に聞いた」
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2603/05/news101.html

朝日新聞「訪日客に「二重価格」国立博物館など導入へ 財務省、閉館も含め圧力」https://www.asahi.com/articles/ASV352V2QV35UCVL010M.html ※有料記事

宇仁義和・本間浩一・持田誠・石井淳平2025「民俗資料の収集と廃棄の基準を議論するための事例紹介」 『博物館学雑誌』50-2 全日本博物館学会 69-88頁https://nodaiweb.university.jp/muse/unisan/files/unietal_2025.pdf

高井健司2020「博物館評価の現状と今後―新たな制度の構築に向けて―」 『日本の博物館のこれからII ―博物館の在り方と博物館法を考える―』大阪市立自然史博物館79-92頁
https://omnh.repo.nii.ac.jp/records/1520

日本博物館協会2020「令和元年度 日本の博物館総合調査報告書」
https://www.j-muse.or.jp/02program/pdf/R2sougoutyousa.pdf

日本民具学会 「博物館法施行規則「博物館の設置及び運営上の望ましい基準の全部を改正する告示案」に対する意見表明」
https://www.mingu-gakkai.com/seimei_20251226

文化庁「国立博物館・国立美術館の次期中期目標につきまして」
https://www.bunka.go.jp/bunkacho/shokan_hojin/94340601.html

文部科学省「博物館の設置及び運営上の望ましい基準」https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/1282457.htm

文部科学省「独立行政法人国立文化財機構が達成すべき業務運営に関する目標(第6期 中期目標)」https://www.bunka.go.jp/bunkacho/shokan_hojin/pdf/94338101_01.pdf

文部科学省「独立行政法人国立美術館が達成すべき業務運営に関する目標(中期目標)」https://www.bunka.go.jp/bunkacho/shokan_hojin/pdf/94336201_01.pdf

読売新聞オンライン「国立博物館や美術館に収入目標、未達成なら閉館含め再編検討…30年度までに文化庁」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20260304-GYT1T00003/

 ※いずれも最終閲覧日2026年3月7日

Vol.126 収蔵史料の紹介「時局資料蒐集記録」(R8.3.11 文責:石井)

 当館のはじまりに関わる史料を紹介します。
「明治丗八年九月 時局資料蒐集記録 松本尋高小学校」です。

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当館の起源は、明治39年9月21日に開館した明治三十七八年戦役紀念館です。
 日露戦争に出征した松本町出身兵士達が、ロシア兵の肩章や軍票(軍隊発行紙幣)、戦地の草花、写真などを母校である当時の松本尋常高等小学校(開智学校)に寄せ、教員達がこれを国民教育に資するため保存し、児童生徒に公開しました。
 その後も出征兵士による民俗資料・写真などの寄贈が相次ぎ、感激した三村寿八郎校長は、資料1点ずつに説明を記して校舎の一室に陳列し、時局室として一般にも公開しました。
 その経緯を「時局資料蒐集記録」で見ていきます。

 「時局資料蒐集記録」は明治38年9月5日の委員任命から始まります。
 男子部から木村鎮来、等々力茂登太郎、大久保久寿、新井明八の4名、女子部から川井源勝、三溝博而の2名、源池部から鈴木喬夫、加科長治の2名の計8名が任命され、9月7日に委員会が開催されています(9日に1名追加、棚橋万却次郎)。
 委員会では校長から13個の課題が提示されています。

    一、時局地図第二号及戦地色別地図新調ノコト

  一、出征軍人及ビ戦争ニ関スル来状ノ始末

  一、戦争ニ関スル重要ナル日誌ヲ集メ置クコト

  一、我校ヨリ出征軍人ヘノ送状ヲ集メ置クコト

  一、国債ノ応募額ヲ表ニシテ作ルコト

  一、時局紀念寄贈品ノ備付法

  一、軍人写真ヲ集メ且ツ備付タル方法

  一、海軍鎮守府及各師団表

  一、日露軍艦比較表ヲ大キク作ル直スコト

  一、旅順戦ノ戦死者表

  一、海戦々死者数 表

  一、我校ヨリノ後援事業日誌

  一、時局資料備付室ヲ定ムルコト

 
 以上の課題について協議した結果、「写真額ヲ五枚新調スルコト」、「時局地図シタガキヲ作ルコト」「重要日誌ノ財料ヲ集ムルコト」「海軍鎮守府及師団ノ表」にそれぞれ担当を決めています。
 10月6日に開催された委員会では、時局下図の確認などが行われています。誤字の訂正のほか、日本領を赤色に、ロシア領を草色に、水は浅藍色とすることなどが決められています。
 12月5日の日付では「我軍ノ損害総数(小池軍医総監調査)」とあり、戦死者43,219名、戦傷者153,673名、生死不明者5,081名などの記載が見えます。

 翌39年4月14日、委員が改任され10名になり、時局室の名称を明治三十七八年戦役紀念館に改められています。
 4月23日には寄贈名簿や時局表の新調、新たな資料収集、借用、代々校長写真準備などが校長から命令され、この頃着工された紀念館の開館に向け準備が進められます。

 そして紀念館開館を迎えました。開館は9月21日ですが、「時局資料蒐集記録」では「九月二十二日開館式ヲ行フ町会議員学務委員、本校教員各校々長出席」と記録されています。来館者は22日が1,038人、23日945人、24日1,176人とあり、3日間の当番が記載されています。日付が混乱するほど忙しかったのかもしれません。
 10月1日には、「授業時間中ノ参観ハ手アキノ教師案内スルコト」、「放課後ハ掛員四時マテ案内スルコト」と取り決められています。
 その後は農商務大臣の来館の記録や皇族の来館に向けた準備、目録などの作成についての記録が見えます。最後の記録は、翌年3月5日の記事で、3月10日に予定されている団体旅行の対応について協議しています。

 当館常設展示室では、明治44年に小学校の教員達によって製作された松本城下町模型を展示しています。「時局資料蒐集記録」や模型からは、当時の先生達の熱意がひしひしと伝わってくるようです。

紀念館発行の絵葉書

紀念館発行の絵葉書

Vol.125 抱亭五清のお福様 ( R8.2.12 文責:前田)

 観る人をおもわず笑顔にしてしまう─そんな力が宿っているかのような掛け軸があります。新春の伝統行事・あめ市(初市)の日、本町三丁目の拝殿に御神像として掲げられていたと聞けば、その存在感に御納得いただけるでしょう。本作は、所蔵元である本町三丁目町会の御協力により、冬の期間限定で、常設展示室「にぎわう商都」のあめ市を紹介するコーナーに展示しています。

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 このお福様を描いたのは、江戸から来た浮世絵師・抱亭(ほうてい)五清(ごせい)。文政年間に松本に拠点を移し、生安寺小路に暮らしながら、生涯を閉じる天保6年(1835)までこの地で活躍しました。令和5年夏、長野県立美術館で開催された「葛飾北斎と3つの信濃―小布施・諏訪・松本―」展では、葛飾北斎の高弟の一人として取り上げられ、初期から晩年までの素晴らしい作品とともに、その画業が回顧されています。

 先の展覧会で紹介された五清の肉筆画に描かれる女性たちは、いずれも細面(ほそおもて)。スッと目尻が引き上がった涼やかな目元が愛らしく、時に気高さをも感じさせます。また、ほっそりとした体つきでキメたしなやかなポージングには、そこはかとない色香が漂い、「五清美人」と称されます。

 さて、本題のお福様に目を向けてみましょう。

「御福様御神像」 抱亭五清/天保元年(1830) 紙本着色 本町三丁目会議

「御福様御神像」
抱亭五清/天保元年(1830)
紙本着色
本町三丁目会蔵

 迷いなく引かれたぷっくりとしたフェイスラインと、顔の下半分に集まった目、鼻、口は、福笑いでおなじみのまさに福の神。その下に描かれた柔らかそうな鏡餅と相まって、親しみやすさの中にも神聖さを漂わせています。さらに注目したいのは、唇の端をキュッと上げた口もとと、墨の濃淡によって円が重なる印象的な瞳。これらはいずれも、五清が美人画を描く際に用いた特徴的な表現です。

 狂歌にも親しんでいた五清は、文芸をたしなむ松本の商人たちと交流がありました。町の発展を担う人々の心意気が示される祭典で、五清は絵筆をもってそのにぎわいを支えていたのでしょう。このお福様に加え、あめ市で配られる大黒天の摺り物を手がけたこともあり、五清と町人たちとの間に築かれた信頼関係がうかがえます。

 このお福様を見つめていると、かつて町の人々が絵を囲んで語らい、あめ市が終われば大切に仕舞い、次のあめ市ではどんな趣向を凝らそうかと相談しあう―そんな情景が浮かんできます。城下町に生きた人々の暮らしや願いがこの一幅に託されて、時代を超えて今もなお、私たちの前でニッコリほほえんでいます。
 
 五清のお福様にあやかって、今日も口角を上げてまいりましょう!

Vol.124 千の言葉を超える「モノ」との出会い (R7.1.30 文責:會田)

当館の常設展示室の出口付近には「ユア・オピニオン」というコーナーがあります。開館以来、沢山のお言葉が寄せられてきましたが、中でも特に多くいただくのは「実物を見てすごいと思った」「松本のことがよく分かった」というお言葉です。職員一同、皆様の思いを一つ一つ拝見し、日々の励みにしております。

出口付近の「ユア・オピニオン」

出口付近の「ユア・オピニオン」

東洋美術史家であり、歌人・書家としても知られる會津八一(1881-1956)は「千の文献より一つの実物」という言葉を残しました。どれほど多くの本を読んで知識を蓄えたとしても、たった一つの「本物」が放つ圧倒的な説得力には及ばない――。学ぶこと、知ることにおいて、実物に触れることの大切さを鋭く突いた言葉です。

博物館はまさにそんな体験ができる場所だと思っています。展示室に並ぶ、時代の波を経て現代にたどり着いた「モノたち」は自ら言葉を発することはありませんが、その形や質感、記された内容など一つ一つから、かつての歴史や文化を静かに語りかけてきます。

私たちはその「モノたち」の代わりに、キャプション(解説文)を通じて、彼らの物語を伝えています。キャプションはあくまで補助であり、主役は目の前にある「実物」です。

情報があふれる時代だからこそ、あえて足を運び「実物」を見てみませんか。松本の歴史や文化を伝えるモノたちと時空を超えた対話をするとき、きっと「千の文献」では得られない発見があるはずです。

最後に私のお気に入りの展示資料をご紹介したいと思います。
是非、実物を見に来てください!

堀の杭

松本城の堀から発見された防御や土留めのための杭。分かりやすく展示するため、実は上下逆さまに展示しています。

石灰華した樹木

奥の資料は、白骨温泉の温泉水に含まれる炭酸カルシウムが、木の成分と置き換わった化石です。大自然の営みを感じますね。

大のこぎり

材木を切り出すためのこぎりです。特徴ある形は、用の美にも通じるところがあるようにも感じます。これらは山で暮らす人々の生業を支えました。

Vol.123 意外と新しい日本の初詣 ( R8.1.16 文責:遠藤 )

明けましておめでとうございます。
というには少し日が経ってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。

皆さんは初詣に行きましたか?

私は毎年、穂高神社(安曇野市)に初詣に行っていますが、もちろん今年も行ってきました。寒い中、子どもとおみくじを引きましたが、2人とも“末吉”でした。

松本市立博物館のすぐ近くにある四柱神社も、1月1日は境内から縄手通りをこえて、千歳橋の対岸まで初詣のお参りの列が続いていました。

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日本中の人が一斉に(だいたい三が日に)お参りに行く初詣。

すっかり日本の伝統のような顔をしていますが、私たちが現在行っている初詣は明治時代に生まれたわりと新しい習慣だということはご存じですか?

もちろん江戸時代までも初詣はありました。ただし、現在のように年頭に集中するようなことはなく、それぞれが信仰する神社仏閣の縁起の日などに合わせて、仕事があろうと休みにしてお参りするのが一般的でした。

これが明治時代になると、徐々に寺社の縁起日より仕事が優先されるようになり、みんなが休日の正月三が日に初詣が集中するようになっていったといわれています。

そして、その初詣の習慣を広範囲に広めたのが、鉄道会社のキャンペーン合戦です。
鉄道網の発達に伴い、それまで遠くて行けなかった名高い寺社まで初詣を楽しむ人が増えていきます。早くから鉄道が近くを通るようになった川崎大師や成田山では、鉄道会社と協力して初詣の参拝客を呼び込むようにもなります。また、各鉄道会社も自社の鉄道を使ってもらうため、料金割引や深夜運行の開始といったサービス合戦を展開しました。こうして、お正月の三が日に日本中の人が初詣に出かけるようになっていったといいます。

なんだか日本のバレンタインデーのような商業的な臭いを感じてしまいますが・・
やはり年の初めに神様仏様にお参りをするというのは、気持ちよく一年の良いスタートを切るには欠かせないですよね。

今年の4月から始まる特別展「旅心」では、今回出てきた鉄道に注目したコーナーもあります。また、会場内にはおみくじならぬ「旅みくじ」を引いてもらうコーナーも作る予定です。こちらにもぜひ御来場ください。

Vol.122 身近な場所での自然観察・松本城の堀(R7.12.24 文責:内川)

私は以前、アルプス公園にある分館・山と自然博物館に勤務していましたが、令和5年度にリニューアルオープンに合わせて本館に異動してまいりました(山と自然博物館も引き続き担当しております)。そこで、せっかく本館勤務になったのなら、と始めた企画が冬に松本城で見られる野鳥の観察会です。
もともと、旧本館が松本城の敷地内にあったこともあり、博物館に異動してきた年から松本城の生きものついて調べていました。特に冬の時期にやってくるカモは、種数や数は近隣の観察地には劣るものの、細長い堀の形から、観察に適した場所でした。そんなカモたちの様子は、あなたと博物館№232でも紹介しています。それから数年、他の野鳥に関する知識も身につけ、自分でも講師をある程度やれるようになったため、観察会も始めました。ほぼ確実に野鳥が見られること、身近な場所であることから、初心者の方も楽しみやすい観察会にしやすい場所でもあります。
観察会では、カモ以外にも何種類かの野鳥が見られます。中でも観察会で見られると嬉しいのがカワセミです。1回目の観察会では、黒門の横で水に飛び込む様子が何度も見られ、参加者のみなさんを楽しませていました。

カワセミ

 

観察会で見られるカモの中から松本城の代表といえる種、オカヨシガモを紹介します。カモ類のオスのほとんどはメスと異なる姿をしていて、派手な見た目をしていることが多いのですが、オカヨシガモはメスとは異なるものの、そこまで派手ではありません。ただ、そのシックなグレーは、地味ながら美しいように思います。

左がオス、右がメス

左がオス、右がメス

オスが首を伸ばす求愛行動をしメスが応える

オスが首を伸ばす求愛行動をしメスが応える

このオカヨシガモは付近の観察地でも見られますが、あまり数が多くなく多くても十数羽で、しかも池の対岸付近に集まっていることが多く、中々観察しやすい鳥とはいえません。
ところが、松本城では毎年安定して3~40羽ほどが見られます。そして、狭い堀で観察しやすく、個体によっては割と近くまで寄ってきます。また、日中も活発に活動していて、見ていて飽きません。

観察会は今年度も来月、令和8年1月10日(土)に開催予定です。申込締切は25日(木)までですが、定員割れの見込みですので引き続き受付を行う予定です。興味があればお問い合わせください。

申込はこちらから

Vol.121「ぼんぼん唄」楽譜から見る民俗行事の営み(R7.12.9 文責:竹藤)

 令和7年11月12日付、市民タイムス「ミュージアムから」に寄稿する機会をいただきました。『松本の「ぼんぼん唄」楽譜に残る曲調変容』と題し執筆する中で、紙面の都合上扱いきれなかった部分を中心に、今回は少し考察を深めてみたいと思います。

 改めて、松本市の夏の夕暮れ時、浴衣姿の女の子たちが提灯を手に「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさってはお嫁のしおれ草」と歌いながら町内を歩く光景をご存じでしょうか。これが「ぼんぼん」です。江戸時代には京都や江戸、大坂(大阪)、名古屋など当時の主要な城下町で盛んに行われていたお盆の時期の女児行事ですが、現在では松本にのみ伝承されています。平成4年に市の重要無形民俗文化財に指定、平成13年に県の選択無形民俗文化財に選択されたこの行事は、同時期に行われる男の子の祭り「青山様」とともに、信州松本の貴重な文化遺産として今も大切に守られています。

 松本にこうした風習が伝わったのは、江戸時代から上方を往来した商人たちが都市文化をもたらしたからだと考えられています。北国西街道沿いの宿場町で、旅人たちが目にした洗練された風俗が、やがて城下町松本に根づいていったのでしょう。四方を山に囲まれた盆地という地理的条件も、外部の影響を受けにくく、こうした貴重な習俗を守るという点で一役買ったのかもしれません。

 さて、上記記事ではこの「ぼんぼん唄」について、複数の文献に残された楽譜を比較検討しました。長野県音楽教育学会『信濃のわらべうた』(昭和40年)の資料では、この唄について「旋律は2拍子の陽音階からなるごく普通のわらべうたである」と説明されています。しかし、同時に「各節のつなぎの部分が2拍子+3拍子+3拍子と不規則拍子が入ってこの唄を面白くしている」との記述もあります。これは、日本の古い歌唱様式に見られる複合的な拍子感を示す特徴的な表現といえるでしょう。もとより雅楽や民謡は、むしろ一定のビートを持たないものが一般的でした。

 ところが、別時期に採譜された楽譜を見ると、この複雑な拍子構造が休符で調整され、全体が統一された2拍子に整理されていたのです。また、他の資料では最高音に向かっていく上向きの旋律が簡略化され、より音域の狭い形で記譜されていました。さらに「きょう」「やぐら」といった歌詞の箇所では、跳ねたリズム感が表現されるものと表現されないものがあります。

 こうした違いはなぜ生じたのでしょうか。ぼんぼん・青山様伝承保存連絡協議会の資料には「歌いながら歩きやすいよう、歌のごく一部を修正しています」との記載がありました。女の子たちが20人程度で行列を作り、実際に町を歩きながら歌うという実践の場では、シンプルな拍子感や狭い音域の方が、集団で歌い続けるのに向いていたのかもしれません。また、明治期以降に欧米から童謡・唱歌などが舶来し、4拍子や3拍子といった楽曲が普及したことも無関係ではないでしょう。採譜者も異なるため、単純に記譜の個人差による違いもあるかもしれません。

 加えて、口承による自然な変化も大きな要因と考えられます。女児たちが代々歌い継ぐ中で、歌詞が少しずつ変わったり、町内ごとに独自の節回しが生まれたり、そもそも異なる町内の歌を聞いて影響を受けたりと、日常的な変容が重ねられていくものです。

 楽譜という形で記録されたものを丁寧に比較することで、私たちは民俗行事がいかに生きた営みであるかを改めて認識させられます。静的で不変のものではなく、時代や担い手たちのニーズに応じて柔軟に変わり続けるもの。それも、民俗文化の魅力のひとつではないでしょうか。

村杉弘編『信濃の民俗音楽』(平成元年)より

村杉弘編『信濃の民俗音楽』(平成元年)より

ぼんぼん・青山様伝承保存連絡協議会「松本のぼんぼん」より

ぼんぼん・青山様伝承保存連絡協議会「松本のぼんぼん」より

長野県音楽教育学会『信濃のわらべうた』(昭和40年)より

長野県音楽教育学会『信濃のわらべうた』(昭和40年)より

Vol.120 アソビバ!も2周年(R7.11.20 文責:岡)

 松本市立博物館が開館し、先月でちょうど2周年となりました。

 皆様のお力添えで計10回近くの企画展・特別展を無事終えた当館ですが、足はお運びいただけたでしょうか?各展示の様子はこれまでのコラムでもご紹介したと思いますので、今回のコラムではもう一つの展示室である「アソビバ!」も、少し振り返っていきたいと思います。

 まずアソビバ!ですがこの2年間で累計5万人以上の方にご来室いただきました。来室する度に1個押せるスタンプラリーを、10個コンプリートされた常連様は60人ほどいらっしゃったようです。中には、ひとりで5回以上コンプリートされた超常連様もいらっしゃるとか…。予想以上に多くの方に親しんでいただけて、職員としても大変嬉しく思います。本当にありがとうございます。 

 開館以降、新たに追加されたアイテムもありました。特別展で展示したアイテムや、それぞれのオープニングセレモニーにて使用された小道具など、当館のアソビバ!ならではのアイテムも随時追加されています。他にも、当館の学芸員が選出したミニピアノや珍しい楽器なども追加しています。

過去の特別展に関連するアイテム

過去の特別展に関連するアイテム

開館後、新たに導入したミニピアノ

開館後、新たに導入したミニピアノ

 展示やイベントに合わせた関連イベントも開催しました。紙芝居の上演やワークショップなどをはじめ、今年の夏には七夕人形キットの配布も行いました。このキットは過去にも御紹介した市民学芸員の方々(「vol.44 学都フォーラム2023に参加しました」、「vol.77 市民学芸員「七夕の会」のステップアップ講座」)が一から作ったキットで、快く御提供いただいたものを希望者先着順で配布したものです。好評だったこともあり、6日間で各日昼過ぎには配布終了していました。

七夕キット配布
アソビバ!内で飾られている様子

アソビバ!内で飾られている様子

過去にもアソビバ!の様子は御紹介しましたが(vol.89 大人もアソビバ!)、やはり実際に見ていても、大人と子どもでコミュニケーションを取りながら遊ぶ経験は、ただ学ぶこと以上の意義を持っているように思います。不定期ですが今後もアソビバ!では新たにアイテムを追加したり、イベントを開催していきたいと思います。まだまだ紹介しきれないアソビバ!の魅力を知る意味でも、ぜひ何度も足を運んで、体験していただきたいです。

【松本市立博物館 子ども体験ひろば アソビバ!】

開室時間:9:00~17:00(最終入室は16:30まで)
休室日:毎週火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
料金:無料
入室:未就学児から小学校6年生まで
 ※小学校3年生以下は保護者同伴でお願いします。
  原則として、大人のみの入室はできません。
  休日など利用人数が多くなる際は、入場制限を設ける場合があります。

vol.119 「強靭」とは「しなやか」であること (R7.11.7 文責:髙木)

10月2日より始まった特別展「日本刀は美しい Japanese Swords Are Beautiful」の会期も後半となりました。ここで会期中に行った関連事業について振り返ってみたいと思います。

 10月4日に、刀剣博物館上席専門研究員・石井彰氏の講演「日本刀の魅力」を開催しました。研師の修行経験もある異色の刀剣研究家です。刀剣が出来上がるまでの解説に始まり、特に、押形(形状を拓本で写し取り刃文や働きを手書きで写生したもの)を見せていただきながらの解説は日本刀への愛が溢れる素晴らしい講演でした。

石井さん講演

翌5日には「刀剣乱舞online」の宣伝部長「おっきい こんのすけ」の撮影会を行いました。館の外まで希望者が並び、午前午後2回の開催で400人以上の方に参加していただきました。「ゆるバース2025」でグランプリを受賞したというこんのすけさん、動きがとっても可愛らしくてしかも凛々しく、人気の理由がわかった気がしました。

こんのすけ待機列 こんのすけ2階

10月12日にはこの刀剣展の図録の監修者でもある日本美術刀剣保存協会長野県南支部の会員の皆様による「日本刀の手入れ実演」が行われました。手入れの仕方から太刀と刀の違いなど分かりやすく教えていただきました。「日本刀の手入れ実演」は10月26日、11月9日にも行われました。

実演1 実演2

13日には信州大学居合道サークルによる「夢想神伝流居合道演武」が披露されました。仮想敵を倒す動きが洗練された演武となっていますが、演者の集中力がこちらにも伝わる迫力でした。ラストにOBで五段の方が演じられましたが、真剣を使っているということで、空を切る刀の迷いのない動きの美しさを感じました。居合刀を振ってみる体験も大盛況でした。

居合1 居合体験

25日には宮入法廣刀匠による講演会「日本刀を作る~古作の再現~」を開催しました。80人の定員に対して170人以上の応募があり、熱気のある講演となりました。「反り」や「刃文」が生まれる秘密、再現模造の苦労などを余すことなく教えていただきました。

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11月1日には「日本刀の研ぎの実演」が行われました。日本美術刀剣保存協会が認定する「無鑑査」という一流の研師の称号を持つ、松本市在住の熊井光徹さんによる実演です。刀身がいくら素晴らしくても名刀となるかどうかは研ぎの出来次第だそうです。不安定な態勢で集中して行う研ぎの難しさを実感し、また、貴重な砥石も見せていただきました。

研ぎ実演1 研ぎ実演2

様々な関連事業を通して、日本刀の素晴らしさ、美しさを皆さんに体感していただけたと思います。私がこれらの事業を通して特に感じたことは、日本刀に関わる一流の方々は皆さんが「靭(しな)やか」であるということでした。硬い鋼と軟らかい鋼を組み合わせることで生まれる「折れず、曲がらず、良く切れる」という強靭な日本刀の特徴と同じです。宮入刀匠や熊井研師のお人柄から、強さとは「しなやか」であることだと教えていただいたように思います。

会期も残り少なくなりました。大勢の方々の協力のもとに作り上げた展示です。一人でも多くの方に観覧していただければと願っています。
「日本刀は美しい Japanese Swords Are Beautiful」は11月16日(日)までの開催です。

 

 

 

Vol.118 「松本市立博物館119年の歩み 誕生から今日まで」(文責:本間)

 企画展「松本市立博物館119年の歩み 誕生から今日まで」が、11月3日をもって終わりを迎えました。これは、松本市立博物館で活動している市民ガイドの皆さんが企画したものです。
 さらに、企画展を開催するのにあたり様々な関連行事も実施しました。ここではその内容を紹介します。

記念館

企画展「松本市立博物館119年の歩み 誕生から今日まで」

銅像

1 松本市立博物館誕生記念講演会「松本市立博物館119彩-来し方とこれから」

松本の博物館の歴史をふりかえり、郷土の文化資産を次代に伝える役割を担う市民の学びの場としての松本市立博物館を見つめなおす講演会を開催しました。
学芸員が利用者目線で対話し協働したり、市民ニーズの的確な把握をしたり、市民参加を進めたりすることが大切であるなど、博物館の歴史に加え、市民協働の重要さも分かる講演会でした。

講演会

2 松本市立博物館誕生記念企画展スポットライトツアー

市民ガイドさんは、日頃より常設展示の解説をしています。そんな市民ガイドさんにとってお手の物である常設展ガイドに加え、企画展「松本市立博物館119年の歩み 誕生から今日まで」の解説もあわせたスぺシャルなツアーを実施しました。

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3 松本市立博物館誕生記念ミュージアムガイドウォーク「松本市立博物館119年の歩みをたどる」

企画展と常設展示を見てから、まちなかを巡るガイドツアーを実施しました。松本市時計博物館や松本市はかり資料館も見学しました。参加者の皆さんが、ガイドさんのお話を熱心に聞いたり、質問したりする様子も見られました。

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4 「松本学」研究発表勉強会

博物館を母体に活動している市民の皆さんによる、研究発表を行いました。初めての試みでしたが、大盛況で多くの方にご参加いただくことができました。廃仏毀釈、お蚕さん、あめ市など多岐に渡った発表が行われました。

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 今回の企画は、展示・関連行事共々、市民ガイドさんの発案により実施されました。日頃博物館を中心に活動している市民の皆さんが、調査していることを伝えることができ、学びを深める機会になりました。市民ガイドさんの松本へ対する思いが形になった企画だったと思います。