Vol.121「ぼんぼん唄」楽譜から見る民俗行事の営み(R7.12.9 文責:竹藤)

 令和7年11月12日付、市民タイムス「ミュージアムから」に寄稿する機会をいただきました。『松本の「ぼんぼん唄」楽譜に残る曲調変容』と題し執筆する中で、紙面の都合上扱いきれなかった部分を中心に、今回は少し考察を深めてみたいと思います。

 改めて、松本市の夏の夕暮れ時、浴衣姿の女の子たちが提灯を手に「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさってはお嫁のしおれ草」と歌いながら町内を歩く光景をご存じでしょうか。これが「ぼんぼん」です。江戸時代には京都や江戸、大坂(大阪)、名古屋など当時の主要な城下町で盛んに行われていたお盆の時期の女児行事ですが、現在では松本にのみ伝承されています。平成4年に市の重要無形民俗文化財に指定、平成13年に県の選択無形民俗文化財に選択されたこの行事は、同時期に行われる男の子の祭り「青山様」とともに、信州松本の貴重な文化遺産として今も大切に守られています。

 松本にこうした風習が伝わったのは、江戸時代から上方を往来した商人たちが都市文化をもたらしたからだと考えられています。北国西街道沿いの宿場町で、旅人たちが目にした洗練された風俗が、やがて城下町松本に根づいていったのでしょう。四方を山に囲まれた盆地という地理的条件も、外部の影響を受けにくく、こうした貴重な習俗を守るという点で一役買ったのかもしれません。

 さて、上記記事ではこの「ぼんぼん唄」について、複数の文献に残された楽譜を比較検討しました。長野県音楽教育学会『信濃のわらべうた』(昭和40年)の資料では、この唄について「旋律は2拍子の陽音階からなるごく普通のわらべうたである」と説明されています。しかし、同時に「各節のつなぎの部分が2拍子+3拍子+3拍子と不規則拍子が入ってこの唄を面白くしている」との記述もあります。これは、日本の古い歌唱様式に見られる複合的な拍子感を示す特徴的な表現といえるでしょう。もとより雅楽や民謡は、むしろ一定のビートを持たないものが一般的でした。

 ところが、別時期に採譜された楽譜を見ると、この複雑な拍子構造が休符で調整され、全体が統一された2拍子に整理されていたのです。また、他の資料では最高音に向かっていく上向きの旋律が簡略化され、より音域の狭い形で記譜されていました。さらに「きょう」「やぐら」といった歌詞の箇所では、跳ねたリズム感が表現されるものと表現されないものがあります。

 こうした違いはなぜ生じたのでしょうか。ぼんぼん・青山様伝承保存連絡協議会の資料には「歌いながら歩きやすいよう、歌のごく一部を修正しています」との記載がありました。女の子たちが20人程度で行列を作り、実際に町を歩きながら歌うという実践の場では、シンプルな拍子感や狭い音域の方が、集団で歌い続けるのに向いていたのかもしれません。また、明治期以降に欧米から童謡・唱歌などが舶来し、4拍子や3拍子といった楽曲が普及したことも無関係ではないでしょう。採譜者も異なるため、単純に記譜の個人差による違いもあるかもしれません。

 加えて、口承による自然な変化も大きな要因と考えられます。女児たちが代々歌い継ぐ中で、歌詞が少しずつ変わったり、町内ごとに独自の節回しが生まれたり、そもそも異なる町内の歌を聞いて影響を受けたりと、日常的な変容が重ねられていくものです。

 楽譜という形で記録されたものを丁寧に比較することで、私たちは民俗行事がいかに生きた営みであるかを改めて認識させられます。静的で不変のものではなく、時代や担い手たちのニーズに応じて柔軟に変わり続けるもの。それも、民俗文化の魅力のひとつではないでしょうか。

村杉弘編『信濃の民俗音楽』(平成元年)より

村杉弘編『信濃の民俗音楽』(平成元年)より

ぼんぼん・青山様伝承保存連絡協議会「松本のぼんぼん」より

ぼんぼん・青山様伝承保存連絡協議会「松本のぼんぼん」より

長野県音楽教育学会『信濃のわらべうた』(昭和40年)より

長野県音楽教育学会『信濃のわらべうた』(昭和40年)より