今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔7月の短歌〕

 この家と共に古りつつ高野槇二百とせの深みどりかも

 (このいえと ともにふりつつ こうやまき ふたももとせの ふかみどりかも)
                               歌集『冬日ざし』所収

 

 生家『冬日ざし』は空穂の第14歌集で、昭和14年の空穂63歳の作品「故郷」「家居」と題された3首の内の1つです。
 空穂生家は、父・寛則が明治8年(1875年)に改築をしたものです。空穂はこの家で、誕生から18歳まで、20歳から23歳まで、疎開時の68歳に生活しています。
 生家は、本棟造りといわれる建築で、江戸時代の後半から明治のはじめにかけて多く造られた、長野県の中南信地方に特有の様式です。生家は記念館と道路を挟んだ向かいにあり、緑に囲まれた庭には空穂が詠んだ大きな高野槙がそびえています。
 高野槙は日本固有の常緑高木で、幹が真直ぐ天を指して伸び、やがては老樹となります。槙(まき)は真木とも書き、万葉集などでは、杉・檜(ひのき)などの良材となる木を讃える総称ともなっており、木曾五木の中にも数えられています。和名は高野山真言宗の総本山である高野山に多く生えていることに由来し、高野山では霊木とされています。

 

 2生家歌を詠んだ当時、空穂は二百とせ(200年)と詠み、現在、樹齢300年ともいわれるこの高野槙は、生家の改築時には、樹齢150年と推測され、空穂生家の目印でもあったことでしょう。なお、高野槇は「大きく、まっすぐに育って欲しい」と、秋篠宮悠仁(ひさひと)親王の身の回りの品につける「お印」に、選ばれています。
 窪田空穂記念館では、7月2日(土)から8月14日(日)まで、「松本の七夕・2022」(星に願いを)と題し、空穂生家に七夕人形を飾り、七夕や星の短歌の紹介をしています。空穂生家が七夕飾りに彩られる夏のひと時、緑につつまれた縁側に腰をおろして、高野槇を見上げてみませんか。

6月28日 芝沢小学校の皆さんに清掃活動をしていただきました

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 6月28日、芝沢小学校の児童の皆さんに清掃活動をしていただきました。生家や駐車場など、暑い中、丁寧に掃除をしてくださいました。
 芝沢小学校は窪田空穂記念館から徒歩数分のところにあり、清掃活動や「子ども将棋教室」などイベントへのご参加、市内小中学校へ短歌を募集する「松本子どもの短歌」での多くのご応募など、多岐にわたり本館の活動にご協力いただいております。
 7月7日には芝沢小1年生の皆さんによる七夕の飾りつけが行われます。合わせて七夕人形が飾られますので、是非お越しください。

6月26日 お茶会が開かれました

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6月26日、窪田空穂生家でお茶会が開かれました。 
 表千家の講師をされている笠原隆行さんからご提案いただき、当日は松本大学の学生の方など、およそ20名の方が参加されました。
 普段はご自宅で開かれていたそうですがコロナ渦などで見送りが続き、およそ2年ぶりの開催となる今回は窪田空穂生家を利用していただきました。

 窪田空穂記念館ではこういった生家や会議室の貸し出しなどのご相談を承っております。
お気軽にお電話などでご相談ください。

Tel:0263-48-3440

※この度はお茶会の方々への貸し出しとなっており、参加募集などは行っておりません。

 

令和4年度 窪田空穂生家「将棋教室」開催のお知らせ

窪田空穂の生家で将棋教室を開催します。憧れのプロ棋士と対局してみましょう!

講 師 石川 陽生七段   田中 悠一五段syougi_kids
    日本将棋連盟塩尻支部の皆さん

日 時 令和4年 7月23 日(土)
    ★午前の部(小・中学生対象)  午前10時~正午
    ★午後の部(小・中学生対象) 午後1時~3時
    ※内容は午前午後共通です

定 員 各部20名(先着順)
    ※参加希望は午前か午後のどちらかのみになります

会 場 窪田空穂生家(窪田空穂記念館向かい)

料 金 無料

申 込 電話又はFAXで窪田空穂記念館まで
    ☎ 0263(48)3440 FAX(48)4287

●コロナ対策のお願い

・感染防止のため人数を少なくして実施します
・対象は小中学生のみとします
・感染状況によっては将棋教室を中止にする場合があります
・対局にあたり十分な距離を保てないためマスク着用をお願いします
・生家入り口で検温、手の消毒を行います

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

6月の短歌

この路地の東の果ての曲がりかど茂二郎生きてあらはれ来ぬか

                                                             (歌集 『冬木原』所収)

鬼怒川温泉

応招を前、空穂と茂二郎が鬼怒川温泉へ

 茂二郎(空穂の次男)が路地の曲がり角から現れてこないかと願いながら、幼い頃からの 茂二郎の面影を思い浮かべています。 
 1939年(昭和14年)第二次世界大戦が勃発し、その後1941年真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争に突入します。昭和18年学生の徴兵延期制度が廃止となります。いわゆる学徒出陣です。
 空穂の次男茂二郎も応召となり中国北部へと出征します。出征後は便りなど思いのままにならず、茂次郎宛の手紙が返送されたことで茂次郎は戦線に向かったのだろうかと不安を募らせる空穂でした。

 

 茂次郎のことをいつも思っていた空穂ですが、その後は生死不明のまま終戦をむかえます。中国からの引き揚げも始まり、茂二郎が帰国してくることを期待しつづけた空穂でしたが、昭和28年最後の復員船にも茂二郎が乗っていないことを知り、落胆し、その悲しみを歌にしています。
 茂二郎は終戦の直前に、中国北部から満州へ移動させられ、終戦と同時に捕虜となり、シベリアに抑留され、そして昭和21年2月発疹チフスで病死していることが昭和22年5月のある日、茂二郎の戦友が訪れ明らかになります。

 

 今月の短歌での紹介は難しいのですが、空穂はシベリアの捕虜収容所で悲惨な死を遂げた茂二郎を悼み、悲しみ憤りをこめ壮大な挽歌『捕虜の死』を詠っています。
 戦争がもたらした事実への痛烈な憤りを表現し我が子への悲しみの声を吐露しています。戦争は多くの人々、生きているものが犠牲となり、怒り・憎しみ・悲しみ・落胆そして後悔や懺悔が残る、だれもが望んでいないのです。

(空穂の自由日記より「捕虜の死」記述)

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔5月の短歌〕

 初夏の夕べの空の水浅黄われ一人ゐて電燈つけぬ

 (はつなつの ゆうべのそらの みずあさぎ われひとりいて でんとうつけぬ)
                               歌集『青朽葉』所収

 

窪田空穂生家、離れにて撮影

窪田空穂生家、離れにて撮影

 「初夏の覚ゆる頃に」と題された3首の内の1つです。
 梅雨入り前のある日の夕暮れ時が詠われています。水浅黄(水浅葱)とは、藍色を薄めた浅葱色にさらに水色を混ぜたような、ややくすんだ濃い水色のことを指し、徐々に日が長くなり空がまだ暮れ残っている様子が見て取れます。ひとり電燈を点けるという何気ない動作は、孤独な様子ですがどこか安らぎが感じられます。
 空穂を象徴する作歌態度として「面白いもの」ではなく、「面白いと思ったこと」を詠うというものがあります。日々のこととして電燈を点けた際に、ふと安堵を感じた自分自身の姿を見つけ、そこに面白味を感じたのではないでしょうか。「われ一人ゐて」からは、水浅葱色に広がる世界の中でその様子を客観的に感じている様が見て取れます。
 自身の心の動きを丹念に掬い取りながら、ありのままの日常生活を詠う。空穂の本領といった歌ではないでしょうか。空穂はこの歌を気に入っていたようで、「現代歌人朗読集成」では本人による朗読を聞くことができます。

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔4月の短歌〕

四月七日午後の日広くまぶしかりゆれゆく如くゆれ来る如し

(しがつなのか ごごのひひろく まぶしかり ゆれゆくごとく ゆれくるごとし)
                               歌集『清明の節』所収

 この歌は第23歌集「清明の節」に収められています。晩年の空穂空穂の遺歌集です。そして、この歌はこの歌集の最後に「四月八日」と題して収められた二首のうちの一首です。空穂が亡くなったのは四月十二日なので、死の直前までその心象を歌にしようとしています。「ゆれゆく如くゆれ来るごとし」は、直接には日差しのことをさしていますが、同時に空穂自身の意識の揺れ動いている様を表現しています。命と死のせめぎ合いをも歌にしようとする空穂の生き方は、まさに空穂の歌が「境涯詠」と言われる所以ではないでしょうか。 
 四月は、空穂自身が永眠した月ですが、妻藤野や次女なつが亡くなった月でもあります。四月は、希望あふれるスタートの月、花や緑が増えていく生命力を感じる月ではありますが、空穂にとっては鎮魂の月ともいえるのではないでしょうか。

遺歌集「清明の節」

空穂の葬儀は、昭和42年4月16日早稲田大学大隈講堂で営まれました。そして、遺骨は雑司ヶ谷墓地に埋葬されました。また、遺言により、松本市和田区無極寺の父母の墓に分骨埋葬されました。
 翌昭和43年1月に「清明の節」が刊行され、3月には全集全29巻が完結となりました。

 

 最後に「四月八日」の他の一首を紹介します。絶詠となった歌です。

まつはただ意志あるのみの今日なれど眼つぶればまぶたの重し

(まつはただ いしあるのみの きょうなれど まなこつぶれば まぶたのおもし)

                      

令和4年度 短歌講座のご案内

思いが伝わる短歌の表現を空穂生家で学びませんか。DSC02889
現代歌壇でご活躍の先生方に皆さんの作品に込められた言葉の魅力をお話ししていただきます。

初心者の方もお気軽にご参加ください。

開催スケジュール

 〔第1回〕  6月 4日 (土)  講師:三枝 浩樹 先生 (「沃野」代表 )
 〔第2回〕  7月 9日 (土)  講師:米川千嘉子 先生 (「かりん」編集委員 )
 〔第3回〕  9月10日 (土)  講師:内藤 明  先生 (「音」編集発行人 )
 〔第4回〕 10月 9日 (日)  講師:大下 一真 先生 (「まひる野」編集発行人 )

 《 時 間 》  各回とも 午後1時40分 ~ 3時50分

会 場

  窪田空穂生家  *窪田空穂記念館向かい

受講料

  1講座につき 1,000円

申込み ※ 受付:4月6日(水)~

〇申込書は下記よりダウンロードすることができます。  郵送をご希望の方は窪田空穂記念館まで
   お問い合わせください。
   令和4年度短歌講座申込書
〇申込書に必要事項をご記入の上、受講料分の定額小為替または現金書留と一緒に窪田空穂記念館
 へお送りください。記念館の窓口でも受け付けます。
〇納入された受講料は、原則としてお返しできません。

講座の持ち方について

〇受付後に「投稿用はがき」を受講回数分まとめてお送りします。 投稿歌をご記入の上、各回の
 締切日(受講票に記載)までにご返送ください。1講座につき1人1首とします。 講座当日に
 先生から1首ずつ講評していただきます。

〇コロナウィルス感染症への対応について
 ⑴ 感染が収束し、緊急事態宣言等の要請が解除された場合
  ○感染防止策を徹底したうえで、予定通り窪田空穂生家での講座を開催します。 

 ⑵ 感染拡大が収まらず、会場での実施が困難と判断された場合
  ①会場での講座を中止する旨、電話とはがきで受講予定者にお知らせします。
  ②投稿歌は、投稿締切日までにお出しください。
  ③講師の先生から各投稿歌に寸評を書いていただき、全員分をまとめて講座資料とし受講者に
   お送りします。
  ④受講料の返金はありません。

問い合わせ

   窪田空穂記念館羽ペン
   電話:0263-48-3440
   FAX:0263-48-4287
   e-mail:utsubo@city.matsumoto.lg.jp

「松本の子どもの短歌・2021」作品展を開催しています(3月12日~4月17日)

DSC03414窪田空穂記念館では、毎年、松本市内の小・中学生から短歌を募集し「松本の子どもの短歌(うた)」を開催しています。
19回目を迎えた今年度は、全体で4,685首の応募があり、その中から最優秀賞4首、優秀賞20首、空穂会賞217首が選ばれました。作品展では、入賞した241首の作品を紹介しています。

会   期〕 3月12日 (土)~ 4月17日 (日)

〔会   場〕 窪田空穂記念館・会議室

〔観覧料〕 通常観覧料 (作品展のみ観覧は無料)DSC03406

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

【3月の短歌】 

       花の枝に来ては見下ろす庭雀 

                   さがす物ありて汝れら忙しき
                             歌集「木草と共に」所収 
                                                 

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   冬の去らない庭に雀が忙しく餌を求めている
   様子詠んでいます。
   雀は身を守ることに敏感で、木の枝に来ては地上を
   見下ろしまわりを伺っています。

 この短歌を詠んだ空穂は80代半ば、足腰も不自由になり足もとがおぼつ                  かないため歩くことにも注意をするような生活を送っていました。四畳半の小書斎に籠り、ガラス戸の外に忙しく働いている雀の動作を細かく眺めるところに、老をしみじみ感じていることを味わいとることができる作品です。
 空穂の書斎の前の空地には、小庭があり石が置かれ木や草が植えられていて老の身の疲れやすい目を遊ばせるのに十分でした。     

04-145-002 空穂はなぜ「木草と共に」を刊行したのでしょう・・・
昭和39年、空穂はいわゆる米寿にあたっており、この年
諸友から祝賀の会を開いていただいています。そこで、自分でも自祝のを心持って何か記念になることをしたいと思い、老の心やりに詠んできた短歌を編んだのです。

 

(米寿の祝賀の会写真)