今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔12月の短歌〕

     冬空をあふぎし我が眼移し見れば

              妻もあふげりその冬空を

                                   第6歌集『泉のほとり』所収

     晴れわたる静かな冬空を仰いでいた眼を、ふと傍らの妻に移すと
                      妻もまた同じように冬空を仰いでいた空穂と藤野

 空穂と妻(藤野)とに通いあう深い心に触れています。                  
 晴れわたる冬空を仰いでいた空穂が、その眼を傍らの妻に移すと妻も
また同じように冬空を仰いでいるという情景。
 夫の味わう今の気持ちはそのまま妻の気持ちであるのに気づいた心と
いっていいでしょう。
 無言のうちに通いあう心、冬空のもとに生かされている自分自身に、
互いに思い入るしみじみとしたものであり、信じあう夫婦の心境が思わ
せられる歌です。この短歌は

「巷にと出て行く自分を、妻は子を連れて送って来、暫くを護国寺の側の草原で遊んだ」という詞書のある3首の中の1首です。                        この短歌の前後には                                                                           

・ ここにとて子を坐らす冬の日のさし来て光る枯芝の上に
・ われ呼びて追ひ来し妻はかがまりて裾より取りつ草の枯葉を

という短歌があり、空穂が藤野をとても愛おしく思う様子がうかがえます。                「巷へと出ていく」とありますが、空穂が読売新聞社へ出勤するときの模様のようです。妻(藤野)は2人の幼い子ども(長男・章一郎 長女・ふみ)を連れて途中まで見送る日があり、護国寺のそばの草原で暫くの時間を空穂と一緒に遊んだ様子がうかがえます。                                  この時、妻(藤野)は次女を身ごもっており、2人の結婚生活はまずしくても、豊かで愛情あふれるようであったことがわかります。                                       しかし、この短歌から数ヵ月後、苦楽を共にしてきた愛妻藤野が亡くなってしまします。             それを思うと、考え深い3首といえるでしょう。