今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔8月の短歌〕

    母は死に伜(せがれ)生れし八月一日

              今年も旅にめぐりあへるかな

   (はははしに せがれうまれし はちがつついたち(はづきひとひ) 
                     ことしもたびに めぐりあえるかな)

                     歌集『清明の節』所収 

 

03-141-018+

昭和38年 軽井沢にて

  「軽井沢 八月一日」と題された、空穂89歳の頃の歌です。8月1日は母の命日であり、また息子章一郎の誕生日でもありました。
 空穂が母の危篤を聞いたのは、勉学を挫折して東京専門学校(現 早稲田大学)を中退し、大阪の米問屋で働いていた時のことでした。農家の次男に生まれた空穂ですが、当時は長男が家を継ぎ、次男は他の家の養子になることが一般的であり、そうして故郷に骨を埋めるか、身を立てて何者かになろうとするか、もがいている最中でした。20歳でした。帰郷した空穂は母の看病にあたり、一か月後に看取ります。
 章一郎が生まれたのは空穂が31歳の時でした。再入学した東京専門学校を卒業し、同郷の妻を娶り、少しずつ文筆業で東京の生計を立て始めていました。帰郷した際には生家隣家の老女に、きっと母の生まれかわりだと諭されたと述懐しています。
 空穂は81歳から毎年夏を軽井沢で過ごしており、歌中の「旅」とはそのことを指しています。この歌を詠んだのが軽井沢への最後の「旅」となり、空穂は翌年亡くなります。遺歌集『清明の節』は空穂没後に、空穂と同じ道をたどり歌人となった章一郎の手により編集され、刊行されました。