今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔5月の短歌〕
初夏の夕べの空の水浅黄われ一人ゐて電燈つけぬ
(はつなつの ゆうべのそらの みずあさぎ われひとりいて でんとうつけぬ)
歌集『青朽葉』所収
「初夏の覚ゆる頃に」と題された3首の内の1つです。
梅雨入り前のある日の夕暮れ時が詠われています。水浅黄(水浅葱)とは、藍色を薄めた浅葱色にさらに水色を混ぜたような、ややくすんだ濃い水色のことを指し、徐々に日が長くなり空がまだ暮れ残っている様子が見て取れます。ひとり電燈を点けるという何気ない動作は、孤独な様子ですがどこか安らぎが感じられます。
空穂を象徴する作歌態度として「面白いもの」ではなく、「面白いと思ったこと」を詠うというものがあります。日々のこととして電燈を点けた際に、ふと安堵を感じた自分自身の姿を見つけ、そこに面白味を感じたのではないでしょうか。「われ一人ゐて」からは、水浅葱色に広がる世界の中でその様子を客観的に感じている様が見て取れます。
自身の心の動きを丹念に掬い取りながら、ありのままの日常生活を詠う。空穂の本領といった歌ではないでしょうか。空穂はこの歌を気に入っていたようで、「現代歌人朗読集成」では本人による朗読を聞くことができます。
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔4月の短歌〕
四月七日午後の日広くまぶしかりゆれゆく如くゆれ来る如し
(しがつなのか ごごのひひろく まぶしかり ゆれゆくごとく ゆれくるごとし)
歌集『清明の節』所収
この歌は第23歌集「清明の節」に収められています。空穂の遺歌集です。そして、この歌はこの歌集の最後に「四月八日」と題して収められた二首のうちの一首です。空穂が亡くなったのは四月十二日なので、死の直前までその心象を歌にしようとしています。「ゆれゆく如くゆれ来るごとし」は、直接には日差しのことをさしていますが、同時に空穂自身の意識の揺れ動いている様を表現しています。命と死のせめぎ合いをも歌にしようとする空穂の生き方は、まさに空穂の歌が「境涯詠」と言われる所以ではないでしょうか。
四月は、空穂自身が永眠した月ですが、妻藤野や次女なつが亡くなった月でもあります。四月は、希望あふれるスタートの月、花や緑が増えていく生命力を感じる月ではありますが、空穂にとっては鎮魂の月ともいえるのではないでしょうか。
空穂の葬儀は、昭和42年4月16日早稲田大学大隈講堂で営まれました。そして、遺骨は雑司ヶ谷墓地に埋葬されました。また、遺言により、松本市和田区無極寺の父母の墓に分骨埋葬されました。
翌昭和43年1月に「清明の節」が刊行され、3月には全集全29巻が完結となりました。
最後に「四月八日」の他の一首を紹介します。絶詠となった歌です。
まつはただ意志あるのみの今日なれど眼つぶればまぶたの重し
(まつはただ いしあるのみの きょうなれど まなこつぶれば まぶたのおもし)
令和4年度 短歌講座のご案内
思いが伝わる短歌の表現を空穂生家で学びませんか。
現代歌壇でご活躍の先生方に皆さんの作品に込められた言葉の魅力をお話ししていただきます。
初心者の方もお気軽にご参加ください。
開催スケジュール
〔第1回〕 6月 4日 (土) 講師:三枝 浩樹 先生 (「沃野」代表 )
〔第2回〕 7月 9日 (土) 講師:米川千嘉子 先生 (「かりん」編集委員 )
〔第3回〕 9月10日 (土) 講師:内藤 明 先生 (「音」編集発行人 )
〔第4回〕 10月 9日 (日) 講師:大下 一真 先生 (「まひる野」編集発行人 )
《 時 間 》 各回とも 午後1時40分 ~ 3時50分
会 場
窪田空穂生家 *窪田空穂記念館向かい
受講料
1講座につき 1,000円
申込み ※ 受付:4月6日(水)~
〇申込書は下記よりダウンロードすることができます。 郵送をご希望の方は窪田空穂記念館まで
お問い合わせください。
令和4年度短歌講座申込書
〇申込書に必要事項をご記入の上、受講料分の定額小為替または現金書留と一緒に窪田空穂記念館
へお送りください。記念館の窓口でも受け付けます。
〇納入された受講料は、原則としてお返しできません。
講座の持ち方について
〇受付後に「投稿用はがき」を受講回数分まとめてお送りします。 投稿歌をご記入の上、各回の
締切日(受講票に記載)までにご返送ください。1講座につき1人1首とします。 講座当日に
先生から1首ずつ講評していただきます。
〇コロナウィルス感染症への対応について
⑴ 感染が収束し、緊急事態宣言等の要請が解除された場合
○感染防止策を徹底したうえで、予定通り窪田空穂生家での講座を開催します。
⑵ 感染拡大が収まらず、会場での実施が困難と判断された場合
①会場での講座を中止する旨、電話とはがきで受講予定者にお知らせします。
②投稿歌は、投稿締切日までにお出しください。
③講師の先生から各投稿歌に寸評を書いていただき、全員分をまとめて講座資料とし受講者に
お送りします。
④受講料の返金はありません。
問い合わせ
窪田空穂記念館
電話:0263-48-3440
FAX:0263-48-4287
e-mail:utsubo@city.matsumoto.lg.jp
「松本の子どもの短歌・2021」作品展を開催しています(3月12日~4月17日)
窪田空穂記念館では、毎年、松本市内の小・中学生から短歌を募集し「松本の子どもの短歌(うた)」を開催しています。
19回目を迎えた今年度は、全体で4,685首の応募があり、その中から最優秀賞4首、優秀賞20首、空穂会賞217首が選ばれました。作品展では、入賞した241首の作品を紹介しています。
〔会 期〕 3月12日 (土)~ 4月17日 (日)
〔会 場〕 窪田空穂記念館・会議室
〔観覧料〕 通常観覧料 (作品展のみ観覧は無料)
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
【3月の短歌】
花の枝に来ては見下ろす庭雀
さがす物ありて汝れら忙しき
歌集「木草と共に」所収
冬の去らない庭に雀が忙しく餌を求めている
様子詠んでいます。
雀は身を守ることに敏感で、木の枝に来ては地上を
見下ろしまわりを伺っています。
この短歌を詠んだ空穂は80代半ば、足腰も不自由になり足もとがおぼつ かないため歩くことにも注意をするような生活を送っていました。四畳半の小書斎に籠り、ガラス戸の外に忙しく働いている雀の動作を細かく眺めるところに、老をしみじみ感じていることを味わいとることができる作品です。
空穂の書斎の前の空地には、小庭があり石が置かれ木や草が植えられていて老の身の疲れやすい目を遊ばせるのに十分でした。
空穂はなぜ「木草と共に」を刊行したのでしょう・・・
昭和39年、空穂はいわゆる米寿にあたっており、この年
諸友から祝賀の会を開いていただいています。そこで、自分でも自祝のを心持って何か記念になることをしたいと思い、老の心やりに詠んできた短歌を編んだのです。
(米寿の祝賀の会写真)
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔2月の短歌〕
二月の日天に夢見て夢の数落ししと見る白梅の花
(にがつのひ そらにゆめみて ゆめのかず おとししとみる しらうめのはな)
歌集『まひる野』所収
歌集『まひる野』より、「そよ風」と題してまとめられた42首の内の1つです。『まひる野』は空穂の第1歌集であり、空穂が短歌を始めた23歳頃から28歳までの歌がまとめられています。
2月のまだ冷たい大気の中、空に伸びる枝から散っていく数多の花びら。その様子を白梅が抱いた夢のように捉え、清純であわれな様子を詠んでいます。当時空穂は東京都文京区にある湯島天神の近くに下宿しており、その境内の梅の花を見て詠まれた歌です。
空穂は美しい落花を見て、それを夢と表しましたが、それは自身の心情と重なるところがあったのだと思われます。夢とは、空穂自身が抱いた数々の夢でもあるのです。若い空穂は多くの夢を抱き、それが破れてさびしい現実に帰ります。しかし、自身の胸中にある夢はたとえ現実のものとならなくても尊く、美しいと感じています。
この歌について窪田章一郎氏は、『「天に夢みて夢の数」と「夢」という語を二つ用い、一首の中で重く働かせているのは、白梅の花と人間とを差別なく感じていることの現われで、青年の若い希望をこめるこの語によって人事と自然とが結ばれ、気分の豊かさを味わわせる歌である』(「窪田空穂の短歌」)と解説しています。
令和3年度冬日ざし中止の知らせ
新型コロナウイルス感染拡大状況を踏まえ、下記事業を中止いたします。
大変申し訳ございませんが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
中止事業詳細
冬季文化講座 『冬日ざし』
開催日 第1回 2月 5日(土)(中止)
第2回 2月12日(土)(中止)
第3回 2月19日(土)(中止)
第4回 2月26日(土)(中止)
時 間 午後1時30分~3時
「百人一首教室」中止のお知らせ
1月15日開催予定の「百人一首教室」は、新型コロナウィルス感染拡大防止のため中止とさせていただきます。
楽しみにされていた皆さまには大変申し訳ございませんが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔1月の短歌〕
昭和3年初頭の作品。空穂51歳の時の作品です。
生活は一に信なり信あらば道おのずから開けゆくべし
(せいかつは いちにしんなり しんあらば みちおのずから ひらけゆくべし)
歌集『青朽葉』所収
この歌は第11歌集「青朽葉」に収められています。「年加はれる子らを見て」と題する一連3首の中の1つです。20歳の長男章一郎、15歳の長女ふみに対して、さとすように伝えています。
歌の意味は、「どのような時代になっても、生きていく上で大切なものは信である。その信があれば、生きる道は必ず開けていく」と正に歌の詞通りです。これは、空穂が自身の半生を振り返り、学んできたことをこれから世にでていく子どもたちに伝えようとしたものです。価値観が多様化し、多くの情報が溢れている現代においても、ぐっと心に響く歌であり、特に若い人たちには心に置いてほしい歌のひとつです。
若い頃から空穂翁と呼ばれていた空穂の作品には、掲歌のように人生訓として味わえるような内容のものも多くあります。二首ほどあげてみたいと思います。
もろき器いたはるに似ていたはれと古人も教えけり君 (濁れる川)
人の為に人は生まれずその人をよしとあしきとわが為にいふな (鏡葉)
空穂の実感から生まれたたくさんの人生訓は、現代の私たちの心にも響き、多くの事に気づかせてくれます。令和4年、新しい年がスタートしましたが、空穂の歌に学びながら、実り多き1年になればと願っています。
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
あご髯の白髪まばらに伸び立ちて
ほしけ薄の穂のごと
第21歌集『木草と共に』
風邪をひいて剃刀をつかわず過ごした日の歌
下句のたとえから察すると、かなり日数が経ていたことがわかります。 それにしても「ほけし薄の稲」は度がすぎているのでは・・・ と息子の章一郎氏も語っています。 残念ですが、どのようなお顔だったのかは今となっては想像するしかありません。章一郎氏もきっとユーモアを添えようと思ったのでしょうと言っています。
空穂の髯は濃くはなく「まばら」と歌にある通りだったそうです。 西洋剃刀を愛用して、石鹸を泡立てて顔に塗り、いつも一人で剃っていたようです。おそらく腕に自信があったのでしょう。
歌をユーモアに詠んでいるこの時は、体調がよくなったと思われます。
『木草と共に』
昭和35年から38年、空穂満83歳から86歳までの4年間の短歌847首がおさめられており、その中の1首です。
空穂も日々少しずつ体の衰えを感じているためか、老境へと向かっていきる空穂の心境が詠まれている作品が目にとまります。