「松本の子どもの短歌・2022」作品展を開催します(3月11日~4月16日)
概要
窪田空穂記念館では、毎年、松本市内の小・中学生から短歌を募集し「松本の子どもの短歌(うた)」を開催しています。20回目を迎えた今年度は3,572首の応募があり、その中から最優秀賞4首、優秀賞20首、空穂会賞215首が選ばれました。
作品展では入賞作品239首を展示します。最優秀賞、優秀賞の歌は本人の筆による色紙とメッセージをご紹介します。是非足をお運びください。
詳細
会 期: 3月11日(土) ~ 4月16日(日)
会 場: 窪田空穂記念館 会議室
休館日: 月曜日(月曜祝日の場合は開館、翌日休館)
開 館: 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
観覧料: 大人310円 中学生以下 無料(作品展のみ観覧は
無料)
冬季文化講座「冬日ざし」2月25日講座の中止のお知らせ
平素より窪田空穂記念館をご利用頂き、誠に有難うございます。
開催を予定いたしておりました、冬季文化講座「冬日ざし」の2月25日に行われる講座「窪田空穂と和田堰」ですが、開催を中止させていただくこととなりました。
ご参加をご検討いただいた皆様にはご迷惑をおかけする事となり、大変申し訳ございません。
何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔2月の短歌〕
恥らへるさまにわれ見て駈けゆきし、
童の君の狭き緋の帯。
(はじらえる さまにわれみて かけゆきし、
わらべのきみの せまきひのおび)
歌集『空穂歌集』所収
空穂が30代中盤に詠んだ歌で、後に「少年の日」と題が付けられました。
昔、小学生だった空穂と女子児童が偶然道で出会った時の様子です。恥ずかしそうに走り去る女子児童の後ろ姿に、緋色の帯が小さく揺れています。そしてそれを見送る少年空穂の幼い恋心を感じさせます。スケッチのように情景が浮かび、30年近く前の出来事という印象を与えません。
このように空穂は、不意に過去を詠むことがありました。
『我が文学体験』の中で、空穂はこんなことを言っています。
「(作歌の際、集中していると)平常は全く忘れてしまっていることが卒然とよみがえって来ることがある。我ながら、何だってこんなことを思い出したのだろうと感じ、慌てて歌材に取り上げるのである」
それは普通は歌にしない些細なことでも、何でも歌にした空穂らしい姿勢ではないでしょうか。また、歌にすることによってその体験が自身にとって何だったのか、記憶を反芻して整理をつけているようにも感じられます。空穂は、歌を詠むための集中は禅を組んでいる時に似ているとも言っています。
「歌を詠んだあとはたのしい。気分がさっぱりして、何よりも好い保養をしたような気がする。歌の出来が良かった悪かったということは、その時には何のかかわりもないことなのである」 『我が文学体験』より。
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔1月の短歌〕
わが地球地軸かたむけ来たる時年をあらため事あらたにす
(わがちきゅう ちじくかたむけ きたるとき としをあらため ことあらたにす)
歌集『老槻の下』所収
『老槻の下』は空穂の第20歌集で、昭和32年の空穂79歳の作品「正月」と題した巻頭歌の第1首です。
正月を迎えるのを厳粛な心で詠んだ歌で、地球上に生命を受け継いでいる人類の立場で正月を受けとめています。
地軸は、地球が自転する回転軸で、南北両極を結ぶ軸であり、地球の公転する軌道面に対して、約23.5度傾斜しています。
その回転のため、地球上の温帯に位置する日本には、太陽との位置、距離から春夏秋冬の季節の現象が生じていることになります。暦の上での新年は日本では最も寒い冬です。この知識を頭において、正月を宇宙の不変の現象として把握しています。天体中の無数の星の1つである地球に住むわれわれは、暦の上での新年を「年を改め事新たにす」としています。
この歌はきびしく又よろこびをもって正月を迎える心の把握ですが、スケールが大きく、個人的な心を超えています。「わが地球」と「わが」を添えている親愛感の表現も見落とせません。正月を詠んだ稀有の作品というべき一首です。
私たちはこの地球で、大自然の恵みを受け、父母や祖父母、またその父母から連綿と命を受け継いでいます。一人ひとりの命が大切にされる社会、核兵器のない世界、世界の恒久平和の実現を願ってやみません。今年一年、「わが地球」が、平和な良い年でありますように。
冬季文化講座「冬日ざし」を開催します
概要
冬季文化講座「冬日ざし」は窪田空穂の歌集『冬日ざし』から名前をとった講座です。
記念館、空穂生家のある和田地区は空穂の生まれた当時は農家が数多くあり、2月の冬場は農閑期と呼ばれ農家にとっては繁忙期の疲れを休めたり、副業をしたりと少し時間の取れる時期でした。
冬季文化講座「冬日ざし」ではそれにならい、この時期に空穂生家に集まり、ゆったりとした学びの時間をお過ごしいただければと思います。参加費無料となっておりますので、是非足をお運び下さい。
詳細
日 程
日にち | 演題 | 講師 |
2月4日(土) |
窪田空穂と植村正久 |
大澤 秀夫 氏 (鈴蘭幼稚園理事長) |
2月11日(土) |
松本の武士のくらし |
後藤 芳孝 氏 (まつもと文化遺産保存活用協議会会長) |
2月18日(土) |
生家であったかコンサート |
嘉納 雅彦 氏 (チェロ奏者) |
2月25日(土) |
窪田空穂と和田堰 |
上條 宏之 氏 (前長野県短期大学学長) |
時 間 いずれも 午後1時30分~3時
会 場 窪田空穂生家(記念館向かい)
受講料 無料
定 員 各回 20人
申込み 1月6日(金)~窪田空穂記念館へ(TEL:0263-48-3440)
※ご希望の回のみの受講も可能です。
その他 ・感染防止のため人数を少なくして実施します。
・感染状況により講座を中止にする場合があります。
・マスク着用、検温、手の消毒のご協力をお願いします。
令和4年度 窪田空穂生家「百人一首教室」を開催します
概要
窪田空穂の生家で百人一首教室を開催します。百人一首が初めてという方も、やったことがある方も、百人一首を楽しみながら「とり札」をたくさんとれるようになりませんか。ぜひ、お出かけください。
詳細
開催名 窪田空穂生家 『百人一首教室』
期 日 第1回 令和4年 12月10日 (土)
第2回 12月17日 (土)
第3回 令和5年 1月14日 (土)
時 間 午後1時~午後3時
指導者 中山 巖 先生
信州大学 競技かるたサークルの皆さん
参加費 無料
申込み 電話、FAX等で当日までに窪田空穂記念館まで
TEL 0263(48)3440 FAX(48)4287
その他 ・送り迎えは保護者が責任をもってお願いします。
・コロナ感染状況によって百人一首教室を中止する場合があります。
・コロナ感染対策のため、マスク着用、検温、手の消毒のご協力をお願いします。
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔12月の短歌〕
冬空をあふぎし我が眼移し見れば
妻もあふげりその冬空を
第6歌集『泉のほとり』所収
晴れわたる静かな冬空を仰いでいた眼を、ふと傍らの妻に移すと
妻もまた同じように冬空を仰いでいたよ
空穂と妻(藤野)とに通いあう深い心に触れています。
晴れわたる冬空を仰いでいた空穂が、その眼を傍らの妻に移すと妻も
また同じように冬空を仰いでいるという情景。
夫の味わう今の気持ちはそのまま妻の気持ちであるのに気づいた心と
いっていいでしょう。
無言のうちに通いあう心、冬空のもとに生かされている自分自身に、
互いに思い入るしみじみとしたものであり、信じあう夫婦の心境が思わ
せられる歌です。この短歌は
「巷にと出て行く自分を、妻は子を連れて送って来、暫くを護国寺の側の草原で遊んだ」という詞書のある3首の中の1首です。 この短歌の前後には
・ ここにとて子を坐らす冬の日のさし来て光る枯芝の上に
・ われ呼びて追ひ来し妻はかがまりて裾より取りつ草の枯葉を
という短歌があり、空穂が藤野をとても愛おしく思う様子がうかがえます。 「巷へと出ていく」とありますが、空穂が読売新聞社へ出勤するときの模様のようです。妻(藤野)は2人の幼い子ども(長男・章一郎 長女・ふみ)を連れて途中まで見送る日があり、護国寺のそばの草原で暫くの時間を空穂と一緒に遊んだ様子がうかがえます。 この時、妻(藤野)は次女を身ごもっており、2人の結婚生活はまずしくても、豊かで愛情あふれるようであったことがわかります。 しかし、この短歌から数ヵ月後、苦楽を共にしてきた愛妻藤野が亡くなってしまします。 それを思うと、考え深い3首といえるでしょう。
「窪田空穂の故郷信州・巡り来る四季」 岩垂義明・とみ子写真展を開催します
概要
窪田空穂記念館では、和田地区文化祭に併せ、和田公民館との共催による写真展を開催します。岩垂夫妻が捉えた美しい自然の景色と、そのイメージに添えるように空穂が詠んだ故郷信州の歌を展示します。2つの世界が織りなす空間をお楽しみください。
文化祭当日はパンフレット持参で入場無料となり、記念館の常設展もご覧いただけます。(当日以外は写真展のみ無料)。
詳細
会 期: 令和4年11月5日(土) ~ 11月15日(火)
休館日: 月曜日
開 館: 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
観覧料: 写真展 無料
常設展 大人310円 中学生以下 無料
(文化祭当日はパンフレット持参で常設展も無料)
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔11月の短歌〕
寒き夜のふけゆくなべにわが机照らす灯かげのいや明らなり
(さむきよの ふけゆくなべに わがつくえ てらすほかげの いやあからなり)
歌集『青水沫』所収
大正9年、空穂43歳の頃に詠まれた歌です。一日の終わり、書斎での様子が詠われています。
当時の空穂は早稲田大学文学部の講師になったばかりで、何かと身辺が忙しい時期でした。書物を読み終えたのか、ペンを置いたのか、やるべきことを終えて眠らなくてはならないと思う時、机の上を照らす電燈の光がそれまでは気づかなかったように明るく感じられたことが詠まれています。机に向かって集中していた緊張から解放された時の快さ、眠ることが惜しまれるような様子です。
空穂が早稲田大学へ就任したのは、それまで行ってきた古典研究が評価されてのことでしたが、当初アカデミックなキャリアに興味のなかった空穂は講師を不適任で辞すべきだと考えていました。しかし空穂の受け持つ国文科が創設間もなく人材不足であったり、また多くの大学の国文科が外国語学科の付録的な存在だった実情を見て、引き受けるに至りました。
定年となる70歳まで、空穂の長い早稲田生活の始まりでした。
「老学徒の心を持って、学生と一緒に勉強しよう、そして、繋ぎの役を果たそう」
『我が文学体験』より