今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
【3月の短歌】
花の枝に来ては見下ろす庭雀
さがす物ありて汝れら忙しき
歌集「木草と共に」所収

冬の去らない庭に雀が忙しく餌を求めている
様子詠んでいます。
雀は身を守ることに敏感で、木の枝に来ては地上を
見下ろしまわりを伺っています。
この短歌を詠んだ空穂は80代半ば、足腰も不自由になり足もとがおぼつ かないため歩くことにも注意をするような生活を送っていました。四畳半の小書斎に籠り、ガラス戸の外に忙しく働いている雀の動作を細かく眺めるところに、老をしみじみ感じていることを味わいとることができる作品です。
空穂の書斎の前の空地には、小庭があり石が置かれ木や草が植えられていて老の身の疲れやすい目を遊ばせるのに十分でした。
空穂はなぜ「木草と共に」を刊行したのでしょう・・・
昭和39年、空穂はいわゆる米寿にあたっており、この年
諸友から祝賀の会を開いていただいています。そこで、自分でも自祝のを心持って何か記念になることをしたいと思い、老の心やりに詠んできた短歌を編んだのです。
(米寿の祝賀の会写真)
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
〔2月の短歌〕
二月の日天に夢見て夢の数落ししと見る白梅の花
(にがつのひ そらにゆめみて ゆめのかず おとししとみる しらうめのはな)
歌集『まひる野』所収
歌集『まひる野』より、「そよ風」と題してまとめられた42首の内の1つです。『まひる野』は空穂の第1歌集であり、空穂が短歌を始めた23歳頃から28歳までの歌がまとめられています。
2月のまだ冷たい大気の中、空に伸びる枝から散っていく数多の花びら。その様子を白梅が抱いた夢のように捉え、清純であわれな様子を詠んでいます。当時空穂は東京都文京区にある湯島天神の近くに下宿しており、その境内の梅の花を見て詠まれた歌です。
空穂は美しい落花を見て、それを夢と表しましたが、それは自身の心情と重なるところがあったのだと思われます。夢とは、空穂自身が抱いた数々の夢でもあるのです。若い空穂は多くの夢を抱き、それが破れてさびしい現実に帰ります。しかし、自身の胸中にある夢はたとえ現実のものとならなくても尊く、美しいと感じています。
この歌について窪田章一郎氏は、『「天に夢みて夢の数」と「夢」という語を二つ用い、一首の中で重く働かせているのは、白梅の花と人間とを差別なく感じていることの現われで、青年の若い希望をこめるこの語によって人事と自然とが結ばれ、気分の豊かさを味わわせる歌である』(「窪田空穂の短歌」)と解説しています。
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〔1月の短歌〕
昭和3年初頭の作品。空穂51歳の時の作品です。
生活は一に信なり信あらば道おのずから開けゆくべし
(せいかつは いちにしんなり しんあらば みちおのずから ひらけゆくべし)
歌集『青朽葉』所収

この歌は第11歌集「青朽葉」に収められています。「年加はれる子らを見て」と題する一連3首の中の1つです。20歳の長男章一郎、15歳の長女ふみに対して、さとすように伝えています。
歌の意味は、「どのような時代になっても、生きていく上で大切なものは信である。その信があれば、生きる道は必ず開けていく」と正に歌の詞通りです。これは、空穂が自身の半生を振り返り、学んできたことをこれから世にでていく子どもたちに伝えようとしたものです。価値観が多様化し、多くの情報が溢れている現代においても、ぐっと心に響く歌であり、特に若い人たちには心に置いてほしい歌のひとつです。
若い頃から空穂翁と呼ばれていた空穂の作品には、掲歌のように人生訓として味わえるような内容のものも多くあります。二首ほどあげてみたいと思います。
もろき器いたはるに似ていたはれと古人も教えけり君 (濁れる川)
人の為に人は生まれずその人をよしとあしきとわが為にいふな (鏡葉)
空穂の実感から生まれたたくさんの人生訓は、現代の私たちの心にも響き、多くの事に気づかせてくれます。令和4年、新しい年がスタートしましたが、空穂の歌に学びながら、実り多き1年になればと願っています。
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あご髯の白髪まばらに伸び立ちて
ほしけ薄の穂のごと
第21歌集『木草と共に』
風邪をひいて剃刀をつかわず過ごした日の歌
下句のたとえから察すると、かなり日数が経ていたことがわかります。 それにしても「ほけし薄の稲」は度がすぎているのでは・・・ と息子の章一郎氏も語っています。 残念ですが、どのようなお顔だったのかは今となっては想像するしかありません。章一郎氏もきっとユーモアを添えようと思ったのでしょうと言っています。
空穂の髯は濃くはなく「まばら」と歌にある通りだったそうです。 西洋剃刀を愛用して、石鹸を泡立てて顔に塗り、いつも一人で剃っていたようです。おそらく腕に自信があったのでしょう。
歌をユーモアに詠んでいるこの時は、体調がよくなったと思われます。
『木草と共に』
昭和35年から38年、空穂満83歳から86歳までの4年間の短歌847首がおさめられており、その中の1首です。
空穂も日々少しずつ体の衰えを感じているためか、老境へと向かっていきる空穂の心境が詠まれている作品が目にとまります。
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〔11月の短歌〕
枝はなれ地のものとなるくれなゐに
染み極まりて照れる楓葉
(えだはなれ ちのものとなる くれないに
しみきわまりて てれるかえでば)
歌集『老槻の下』所収
1958年、空穂81歳のころに詠まれた歌で、「立冬の空」と題された4首の内の1首です。
立冬の日の地上の様子です。楓の紅葉が枝を離れ、地上に落ちても同じような美しさを見せている。晴天の日に照らされて、その紅は極みに達していると詠んでいます。落葉は生命の晩年を思わせ、その様子を見ている老齢になった空穂自身とどこか重なります。しかし哀愁を詠うのではなく、詩の調子は明るく活力があります。
新衛星生まれ出でてはめぐりやまぬ
地球の上に人皆せはし
(しんえいせい うまれいでては めぐりやまぬ
ちきゅうのうえに ひとみなせわし)
歌集『老槻の下』所収
同じく「立冬の空」からもう1首ご紹介します。「立冬の空」と題された4首の中で、空穂は空の様子、立冬を迎える自身の思い、上記で紹介した地上の様子をそれぞれ詠いますが、4首目では空を飛び越え、その上を巡る人工衛星に思いを馳せます。
1957年にソビエト連邦によって初めて人工衛星が打ち上げられてから一年、この「新衛星」は続いて打ち上げられたアメリカによるものと思われ、空穂の好奇心、感性の若さがうかがえます。
対となるように下句では地上の人間が詠われています。忙しなく存在する人間とその人間によって生み出された人工衛星が軌道上を巡り続けている、穏やかな秋空の下にいる自分自身と同時間上に起こっていることとは実感し難いが、紛れもない事実であるということを想う、独特の感慨があります。
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〔10月の短歌〕
男体の山むらさきに秋ぞらにうねりのぼりて空のさやけき
(なんたいの やまむらさきに あきぞらに うねりのぼりて そらのさやけき)
歌集『鳥声集』所収

空穂 34歳頃の写真
この歌は第5歌集「鳥声集」に納められています。大正4年の秋、39歳の空穂は女子美術学校の講師として、修学旅行に加わり日光へ行きました。その時に、戦場ヶ原で詠んだ一首です。山全体が紫色に映え、秋空に向かってそびえ立つ男体山の姿を印象深く詠んだ歌です。「うねりのぼりて」に力量感があります。
空穂は、明治44年から大正4年までの5年間、家計を支えていくために、この女子美術学校で講師として、国語と英語を教えていました。大正5年からは、読売新聞社に入社し、身の上相談欄を担当しました。

「男体の」の掛け軸
現在記念館では収蔵資料公開展を開催しています。公開展では、空穂の軸を13点公開しており、その中に掲出の短歌の軸もあります。(左写真)他にも、中学校の教科書に掲載されたことのある「鳳仙花ちりこぼるれば小さき蟹鋏ささげておどろき走る」などの有名な短歌の軸も展示しています。その他にも、空穂と関係のある窪田五雲の日本画や島秋人の遺愛品なども展示しています。10月31日まで開催していますので、ぜひ足をお運びください。お待ちしています。

収蔵資料公開展の様子
今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~
たけ高き紫苑のつぼみ色づきぬ
赤とんぼの来てやとまらむ
大正10年 「青水沫」
歌集 青水沫 の「病後」と詞書の中にある歌の一つです。 紫苑(しをん)の細かい蕾が紫に色づいているのに気づきやがて赤とんぼが来る であろうと、ふと思った心の歌です。 病気が癒え、さわやかな秋の到来しているのを感じた喜びで、子供のように素直に味わう心の弾みを表現している歌です。
※詞書の病後とは、この時代スペイン風邪が流行、空穂も第8歌集「朴の葉」にて「流行感冒に羅る」という歌を載せているので、もしかしたら病後の病とはスペイン風邪のことかもしれません。
窪田空穂は松本市和田の農家に生まれ、幼い頃から野の草花に親しみ、晩年期はより多くの植物の歌を詠んでいまます。ふつうの人は植物を草花とか草木と呼びますが、空穂は「木草(きぐさ)」と独特な表現をします。平成25年には「ふるさとの草花画展」を窪田空穂記念館で開催し
空穂が植物を詠んだ短歌をパネルにしたものと柴野武夫氏が描いた植物写生画をコラボした展示を多くの方に見ていただきました。
展示後・・多くの方からの反響があり「窪田空穂記木草」という一冊の本になっています。
臨時休館のお知らせ
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、窪田空穂記念館は当面臨時休館とさせていただきます。
何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
期間:9月3日(金)~9月12日(日)
(月曜休館のため開館は14日からとなります)
お問い合わせ
窪田空穂記念館
TEL:0263-48-3440 FAX:0263-48-4287
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〔8月の短歌〕
いささかの残る学徒と老いし師と
書に目を凝らし戦に触れず
(いささかの のこるがくとと おいししと
しょにめをこらしいくさにふれず)
歌集『冬木原』所蔵
1943年、空穂68歳の時に詠まれた歌です。早稲田大学教授となってから17年が経っていました。
当時は太平洋戦争の只中にありました。この年に実施された学徒出陣に伴い大学からも多くの生徒が徴兵される中、教室に残るのは出征をしない虚弱な学生、いつ招集が来るとも知れない学生、そして老齢の空穂自身もまた残された者の一人でした。学徒たちの重苦しい緊張感、口に出せない厭戦的な雰囲気が記録されています。
「私は心の遣り場を失ひ、古典の注釈に没頭し始めた(注略)静かに別れを告げて戦線に立ち去った幾多の若い学徒のおもかげを思ひ浮かべ、彼らに代つて勉強しようと思ふことによって、心を鎮め励まして日夜をそのことに努めた」。
歌集『冬木原』後記より

空穂はこうした戦時下の中で5年の月日をかけ『万葉集評釈』を完成させます。過酷な状況にあっても自身に出来ることを課し、為すべきことをなす。空穂の人柄が伺えます。
最後にご紹介するのは1945年8月15日に詠われた短歌です。日本が終戦を迎えた日、昭和天皇による日本の降伏を伝えるラジオ放送が全国に流れた時、空穂もまたそれを聞いていました。複雑な思いが率直に表されています。
わがこころ泥のごとくになり果てて
在るにあられず身をよこたへぬ
(わがこころ どろのごとくに なりはてて
あるにあられず みをよこたえぬ)
歌集『冬木原』所蔵
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〔7月の短歌〕
空穂の代表的な作品の一つです。亡き妻の子どもを思う切実な気持ちが伝わってくる作品です。そして、とても美しい情景が浮かび上がってくる作品です。
其子等に捕へられむと母が魂蛍と成りて夜を来たるらし
( そのこらに とらえられんと ははがたま ほたるとなりて よをきたるらし )
歌集『土を眺めて』所収

妻・藤野と長男・章一郎
この歌は第7歌集「土を眺めて」に納められています。この歌集は、若くして亡くなった妻、藤野への挽歌集で、長歌18首を含み、妻への思い、残された二人の子との生活が詠われています。二人の幼い子を残して亡くなった藤野は無念の思いでいっぱいだったと思います。その無念の思いが蛍となって子どもたちの前にあらわれたのだと空穂は感じ取っています。子どもたちに私を捕まえてほしいという妻の思いを感じながら蛍を追う空穂の切ない気持ちが伝わってきます。
毎年、松本市中央図書館前の大門沢という小さな川に、わずかですが、蛍が静かに現れます。暗闇にスローモーションのように点滅する青白い光を見ると、この歌を思いだします。
なお、掲出歌の前には次のような一首が置かれています。
蛍来と見やる田の面は星の居る遙けき空に続きたりけり
( ほたること みやるたのもは ほしのゐる はるけきそらに つづきたりけり )
空穂は、子どもとともに亡き妻の化身である蛍を迎えることによって、亡妻の鎮魂を果たすことができたのではないでしょうか。