※中止 弓矢づくり講座(5月15日、29日)

 松本広域圏の新型コロナウイルス感染警戒レベルが引き上げられたことに伴い、感染拡大を防止するため「弓矢づくり講座」を中止します。

 企画・準備などにご協力いただいた関係者の皆さん、楽しみにされていた皆さんには申し訳ありませんが、安心・安全を第一に考えた結果ですので、ご理解いただきますようお願いします。

考古博物館では普段から、古代の人々の生活の一部を体験できる様々な体験講座(火おこしや勾玉作り、弓矢飛ばし)をおこなっています。これらの体験は普段開館日に考古博物館へお越しいただければ体験できるものですが、今回開催するのは「弓矢づくり講座」。 古代の人が狩猟に使用していた弓矢を自分で作って飛ばしてみようという体験講座になります。

5月3日より参加申し込みの受付を開始するので、下記を参照にお気軽にお問合せください!

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体験講座名:弓矢づくり講座

日時:5月15日(土)、29日(土) 午前10時~正午

   ※両日とも同じ内容で開催します。申し込みの際に希望日をお伝えください。

定員:各回10組15名

対象:小学生以上(低学年のお子様は、保護者の方と一緒に参加してください。)

料金:500円(材料費として)

お申込み:5月3日(月)より電話で考古博物館まで

注意事項:新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため中止となる場合があります。

お問い合わせ:考古博物館(86-4710)

発掘された松本2020➃ 「松本城三の丸跡土居尻第12次」

松本城三の丸跡土居尻第12次調査

 松本城三の丸跡土居尻第12次調査の調査地は、江戸時代には松本城三の丸内にあった武家屋敷地です。絵図によると何回も敷地割りの変更が行われ、大名町に属する時期もありました。江戸中期の絵図を見ると、調査地は「神谷清右衛門(西)」と「秋田藤太夫(東)」の武家屋敷の境付近と考えられます。また、道路を挟んだすぐ北側では、深志城時代の遺構が見つかっています。
 調査の結果、屋敷の隅の土地に建物を配置したり、水道管を敷設したりと、どのように土地を利用していたかという資料が得られました。

絵図で見る調査地(12次)

絵図で見る調査地(12次)

 

コラムクイズ

水は人間が生活していく上で、欠くことのできない重要なものです。人々は様々な工夫を凝らして生活用水を得てきました。松本市の発掘調査では、戦国時代末から明治時代に至る様々な形態の井戸や水道施設が発見されています。
江戸時代の松本では井戸からの配水に2種類の管が使用されていました。一つは木を材料に使用した木樋(もくひ)ですが、もう一種類の管は何を材料に作られていたでしょう。

3つの中から選択してください

発掘された松本2020➂ 「松本城三の丸跡土居尻第13次」

松本城三の丸跡土居尻第13次調査

 松本城三の丸跡土居尻第13次調査では、内環状北線整備事業に伴い二の丸交差点内を発掘調査しました。この場所を江戸時代の絵図で確認すると、外堀の水を流す水路が描かれています。水路の西側は平成28年から30年に発掘調査を実施しており、今回の調査では、水路の東側部分を確認することができ、江戸時代から昭和前半までに連綿と使われ続けてきた様子がわかりました。

絵図で見る調査地

絵図で見る調査地

 

コラムクイズ

江戸時代、幕府や藩は米の生産量を確保するため、農民が町に流入するのを防ぎ、城下町の人口統制をはかっていたといわれます。
松本城下町でも町人の定住人口は江戸時代を通じて一定の数で推移していましたが、その数は次のうちどれでしょう。

3つの中から選択してください

発掘された松本2020➁ 「堀の内遺跡第5次・兎川寺遺跡第2次」

堀の内遺跡第5次調査・兎川寺遺跡第2次調査

 堀の内遺跡および兎川寺遺跡は、松本市東部の里山辺地区に位置し、遺跡周辺には薄川が形成する扇状地が広がります。今回の調査では扇状地扇央部近くの両遺跡に挟まれた地点を調査しました。
 堀の内遺跡では、中世の生活面から、掘立柱建物の柱穴列、人為的に石を投げ込んだ集石土坑などを検出しました。平安時代の生活面では、磐座(いわくら)のような大石を据えた大形住居址や、鍛冶炉を伴う大形住居址などを確認しました。中世、平安時代どちらの遺構も調査区の南側に集中しており、時代が変わっても同様の場所で人々が生活していたことがわかります。
 兎川寺遺跡では、11軒の住居址を確認しました。大半がトレンチの西半部に切り合う形で集中しており、同一の場所で複数回の住居の建て替えが行われたと思われます。共伴遺物から、堀の内5次と同じ平安時代ですが、年代は少し古いと考えられます。

住居の隅からみつかった大石

住居の隅からみつかった大石

 

コラムクイズ

兎川寺遺跡は平安時代を主とする集落遺跡で、遺構が高密度であること、多量の墨書土器や転用硯などの特殊な遺物が出土していることから、文字の読み書きができる人物が存在する周辺集落の中心地であった可能性があります。今回の第2次発掘調査でも有力者がいた可能性を示す画像のような遺物が見つかりましたが、この遺物の名称は次のうちどれでしょう。

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かこ

発掘された松本2020➀ 概要と「史跡弘法山古墳第2次」

令和2年発掘調査の概要

 松本市では、令和2年の1年間に8件7遺跡の発掘調査が行われました。発掘の成果として、史跡弘法山古墳の調査が約半世紀ぶりに行われた事・松本市東側の山辺地区で古代から中世にかけての集落跡が発見された事・信濃国府推定地の一つに挙げられる県町遺跡で古墳時代の集落跡が発見されたことなどがあります。今回から数回にわたり、令和2年発掘調査の速報をお届けします。

史跡弘法山古墳第2次発掘調査

 史跡弘法山古墳の再整備に向け、今年度より開始した発掘調査では、まず後方部の2箇所にトレンチ(土の堆積の様子を観察するための溝)を設定し、調査を実施しました。
 調査の結果、古墳の盛土、古墳の築造後に堆積した土、史跡公園として整備をした際に古墳を保護するために盛った土などを確認しました。古墳の盛土は固く締まっており、かなり土を丁寧に突き固めて造られたことが分かりました。また、盛土の中から弥生土器の破片や黒曜石が見つかったことから、弥生時代の人々の集落の跡から土を運び、古墳が築造された可能性が示唆されます。また、古墳の裾部(端の部分)の調査から、当時の地面を削って整形してから土を盛っていることも分かりました。今回の調査から、弘法山古墳は非常に丁寧に造っていることが分かってきました。

墳丘のトレンチ調査

墳丘のトレンチ調査

 

コラムクイズ

弘法山古墳は昭和51年に史跡に指定され、昭和57年には史跡公園として整備されました。現在では桜の名所としても親しまれています。では、この弘法山古墳が初めて調査されたのはいつでしょう。

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弘法山(遠景)

常設展展示紹介⑱ 「古代の開発5」

古代の墓

 奈良・平安時代の集落遺跡の調査は、松本市でも数多く行われています。しかし、明らかな墓の発見例はわずかです。奈良時代まで、松本市域の有力者たちは祖先の眠る古墳に葬られましたが、平安時代(9世紀末)には、彼らの墓がムラの中に造られるようになります。石上遺跡の木棺墓はムラの中心にあり、丈夫には石が積まれていました。ムラの中でも目立つものであったでしょう。
 墓を造ることができたのは有力者たちだけで、多くの庶民は都と同様に、死後はムラの外に放置されたと想像されます。

開発を支えた人々の生活

 奈良・平安時代に松本市域の開発に携わった人々は、竪穴式住居に暮らし、カマドで煮炊きをしていました。個人の食器で食事をとる習慣が広まったのがこの頃で、遺跡から杯の出土量が増加します。磁器をまねた灰釉陶器も9世紀には大量に生産され、日常雑器に仲間入りしました。
 鉄の道具が普及しだすのもこの時代です。鎌や鋤・鋤先などの農工具や紡錘車が鉄で作られ、鉄滓(てっさい)も出土しています。また、鉄の道具を研ぐための砥石も出土しており、日常的に鉄の道具が使われていたことが伺えます。

奈良・平安時代の鉄器

奈良・平安時代の鉄器

 

コラムクイズ

奈良時代と平安時代は、あわせると400年以上続きました。日本国内でも様々なことがおこったように、世界でも様々なことがありました。奈良時代・平安時代にあった世界の出来事は次のうちどれでしょう。

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速報展「発掘された松本2020」(2月13日~2月28日)

2020年、松本市の発掘調査結果をいち早くみなさまに‐‐‐

松本市では毎年、市内各地の発掘調査を行っています。
速報展は1年間の発掘調査の成果をいち早く市民のみなさまにお披露目している展覧会です。
さて、2020年はどのような調査結果になったのでしょうか。ぜひご覧ください。

 

 

会  期:令和2年2月13日(土)~2月28日(日)
会  場:松本市時計博物館(松本市中央1-10 36-0969)
       ※考古博物館ではないのでお間違えなく。
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
観 覧 料:大人310円、小中学生150円
お問い合わせ:考古博物館(86-4710)

○関連事業「発掘された松本2020 報告会」
「発掘された松本2020~松本市遺跡発掘報告会~」は、
新型コロナウイルス感染拡大により、中止となりました。

その代わりとして、レジュメのデータ公開・冊子配布と、
担当者による発掘調査報告の動画配信(YouTube松本市公式チャンネル)を行います。
こちらからご覧ください。 → 松本市公式ホームページ

常設展展示紹介⑰ 「古代の開発4」

仏教の伝来と人々の願い

 古墳時代後期に伝来した仏教は都の貴族に受け入れられた後、地方へも広まりました。松本市内の大村遺跡では大量の瓦と鴟尾(しび)の破片が出土し、寺院があった可能性が考えられます。
 奈良・平安時代の集落遺跡からは仏像や仏具の銅鋺(どうわん)、瓦塔(がとう)、「卍」や「寺」と墨書された土器など、仏教に関連する遺物が見つかっています。一方で、人々の間には、土器に文字を書いて豊かな財産や吉祥を願うまじないもあったようです。

銅鋺(南栗遺跡)

銅鋺(南栗遺跡)

墨書土器「卍」(小原遺跡)

墨書土器「卍」(小原遺跡)

 

コラムクイズ

奈良の東大寺の屋根の両端に取り付けられている、シャチホコに似た形の飾りを鴟尾(しび)といいます。鴟尾の「鴟」は鳥の名前を表していますが、それは次の内どれでしょう。

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ウインドーギャラリー展 「古代人、装う!」(令和3年1月15日~29日)

 考古博物館の資料を広く市民に紹介し、当館の活動や埋蔵文化財への関心を高めていただくことを目的に、平成13年度から「八十二銀行松本営業部1階ウインドーギャラリー」において写真展示を行っています。

 今回は古墳からしゅつどした装身具を写真パネルで展示し、当時の松本の様子や人々の暮らしの一端を感じ取っていただけるよう紹介します。

 

「古代人、装う!」

 

会 期:令和3年1月15日(金)~29日(金)

    ※八十二銀行松本営業部の営業日

会 場:八十二銀行松本営業部1階 ウインドーギャラリー

 

☆当館所蔵の勾玉、ガラス小玉等、装身具の写真パネル7点を展示。

 古代人が着飾った様子をうかがい知ることができます。

常設展展示紹介⑯ 「古代の開発3」

市内の開発と有力者

 7世紀後半には、灌漑技術の向上によって奈良井川西岸域にも大規模なムラが形成され始めます。開発の波は市内全域に広がり、平安時代の初め(9世紀代)に最も活発になります。都の貴族と関係を強く結んだ有力な土地経営者たち(富豪の輩と呼ばれる)によって強力に土地開発が行われ、荘園が出現していきます。しかし、律令体制の行き詰まりや、10世紀の相次ぐ自然災害から、小さなムラは次々と消滅して、11世紀に入ると、いくつかの大規模なムラを除き、小さな村が散在するようになります。
 開発を行った有力者のもとには、東山道を経由して緑釉陶器(りょくゆうとうき)や帯飾りなどの高価な品々や仏教がもたらされました。緑釉陶器は中国の青磁を真似て国内で生産されたものです。有力者たちは、自身の権威や権力を示す財物(威信財)として緑釉陶器をこぞって手に入れました。

緑釉陶器(三間沢川左岸遺跡)

緑釉陶器(三間沢川左岸遺跡)

 

コラムクイズ

平安時代の集落跡である三間沢川左岸遺跡では、銅印が出土しています。この銅印は荘園経営で使用されたものであると考えられていますが、どのような印文(いんもん)が刻まれているでしょうか。

銅印(三間沢川左岸遺跡)

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