松本市内遺跡紹介⑮ 「内田地区の遺跡~エリ穴遺跡~」

 内田地区は松本市内南東部にあり、北には中山地区、南には塩尻市が隣接します。前鉢伏山と高ボッチ山の間にはさまれた横峰の西山麓斜面上、標高660mから800m間に位置する、水田や麦畑が広がる緑豊かな集落です。
 地区内には国指定重要文化財として、馬場家住宅、牛伏川本流水路(牛伏川階段工)、厄除観音として知られる牛伏寺の8体の仏像があり、文化財が多く歴史的遺産にも恵まれています。

エリ穴遺跡の概観

 エリ穴遺跡は、鉢伏山の山麓から流れる舟沢川と塩沢川の二つの小河川に挟まれて形成された微高地上にあります。遺跡の範囲は、東京ドームとほぼ同じ面積となり、平成7年に遺跡の中心部の発掘調査が行われ、遺跡の性格が明らかになりました。
 エリ穴遺跡は縄文時代後期の終わり頃から晩期の中頃(約4,500~約2,300年前)にかけて断続して営まれたとされる松本平を代表する集落遺跡です。集落は比較的小規模で、数軒の住居を中心に、配石や埋甕、墓を含む土坑などのマツリにかかわる遺構が発見されています。出土遺物は、全国最多数2,643点の土製耳飾りをはじめ、調理や食器として使われた土器や石鏃、打製・磨製石斧のほか、マツリに使われたとされる土偶や人面付き土版、異形土器、石製品などが発見されています。
 集落の北端は、舟沢川によって浸食された谷状の低地になっていますが、エリ穴の集落の人々はこの低地を壊れた土器や祭祀具の廃棄場として使用していたとされます。土製耳飾りの6割がこの廃棄場から発見されています。

縄文時代晩期のエリ穴ムラの風景

縄文時代晩期のエリ穴ムラの風景

 エリ穴遺跡の出土遺物のうち、学術的・美術工芸的に価値の高い484点(うち土製耳飾りは348点)が、平成31年に松本市重要文化財に、令和2年に長野県宝に指定されました。

長野県宝に指定されたエリ穴遺跡の出土品(一部)

長野県宝に指定されたエリ穴遺跡の出土品(一部)

エリ穴遺跡の出土品からみる文化の交流

 日本列島は南北に長く、地形も変化に富んでいることから縄文時代の生活環境には大きな地域差がありました。そのため地域ごとに独特な文化が育まれ、地域差は土器や土偶などの形や文様に表れます。エリ穴遺跡が継続的に営まれた縄文時代後期の終わり頃から晩期の中頃にかけて、西日本では装飾の少ない土器が用いられますが、東日本では縄文や彫刻的な文様で飾られた土器が盛んに作られました。東日本では東北・関東・甲信・北陸にそれぞれの環境に適した文化圏が成立し、近隣との交流が行われていたとされています。エリ穴遺跡でも、他の文化圏の土器や土偶などの影響を受けたとされる遺物が出土しており、盛んな交流を裏付けています。
<例えば>
○土製耳飾り・・・関東系土製耳飾りは縁に文様があることが特徴ですが、エリ穴遺跡からも縁に文様のある耳飾りが多数出土しています。
○土偶・・・遮光器土偶は東北地域の文化圏が本場です。亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶は国重要文化財に指定されています。エリ穴遺跡では、遮光器土偶をまねた土偶が出土しています。しかし、本場の土偶とは顔の表現が異なり、遮光器の上に目・鼻・眉がついています。
また、西日本の分銅形土偶に山形土偶の顔をつけたエリ穴遺跡独自の分銅形土偶も出土しています。
○中空動物形土製品・・・北日本を起源とするこの土製品は、通常全身が中空ですが、エリ穴遺跡のものは頭部のみが中空です。
○蓋・・・蓋は北陸地方の文化圏が本場で、他の地方ではあまり出土していませんが、エリ穴遺跡からは多数の蓋が出土しています。

他地域から影響を受けた資料

他地域から影響を受けた資料

 

コラムクイズ

内田地区にある松本市立博物館分館の馬場家住宅。今年博物館として開館何周年を迎えたでしょう。

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