松本市内遺跡紹介⑪ 「内田地区の遺跡~雨堀遺跡~」
内田地区は松本市内南東部にあり、北には中山地区、南には塩尻市が隣接します。前鉢伏山と高ボッチ山の間にはさまれた横峰の西山麓斜面上、標高660mから800m間に位置する、水田や麦畑が広がる緑豊かな集落です。
地区内には国指定重要文化財として、馬場家住宅、牛伏川本流水路(牛伏川階段工)、厄除観音として知られる牛伏寺の8体の仏像があり、文化財が多く歴史的遺産にも恵まれています。
内田地区では縄文時代の遺跡が多く見つかっています。中でも「エリ穴遺跡」は有名な遺跡です。
雨堀遺跡
雨堀(あんぼり)遺跡は、内田地区の南、鉢伏山地(鉢伏山・横峯・高ボッチ)の西山麓に発達した塩沢川の扇状地の標高820m程、崖の湯温泉の登り口に位置する遺跡です。内田地区周辺の東山山麓は、古くは縄文時代から中・近世に至るまでの多くの遺跡が残る場所でもあり雨堀遺跡からも多くの縄文時代の遺物が出土しました。
調査は2回実施され、昭和56年の1次調査ではA・B2地区で調査が行われ、A地区からは縄文時代中期中葉の藤内期前後とみられる竪穴住居址が3軒、縄文時代中期後半の曽利期相当の竪穴住居址14軒が検出されました。同じ場所に繰り返したてかえられたのか住居の多くが重なり合っていました。また土偶や土鈴、埋甕、釣手土器といった特殊な遺物の出土や配石遺構とみられるものが破壊されながらも一部残存しているほか、列石遺構のはしりが検出されました。B地区は縄文時代中期初頭に所属されるであろう土器等、遺物を伴った竪穴住居址が2軒検出されています。
次いで昭和57年の2次調査では、C~F地区で調査が行われ、C・D地区で50か所に及ぶ小竪穴群が確認されました。E地区に住居址らしい竪穴状の落ち込みがあり、多量な遺物が出土したにもかかわらず住居址としての明確な輪郭や柱穴、炉址など確認できず自然地形の凹地であると判明しました。出土遺物は、E・F地区を中心に、縄文時代中期初頭の土器片や各種石器、土製品等多彩な資料が得られました。
カエルの手のような文様
前項でも説明しましたが、雨堀遺跡からは縄文時代中期とみられる土器が多く出土しました。曽利Ⅲ、Ⅴ式とみられるもの、唐草文様の太い沈線と隆帯や隆帯渦巻文があるものなど縄文時代中期の土器にみられる特徴をもった土器が確認されています。
雨堀遺跡から出土した土器の中に、文様が特徴的な土器があります。
抽象的な文様にも見ることができる文様で、職員の中では“カエルの手のような文様”として親しんでいます。この文様は松本市内で出土した土器の中でも特徴的であり、当館の内壁のデザインにもなっています。
常設展示をしている土器ですのでぜひ実物をご覧いただければと思います。
コラムクイズ
牛伏川本流水路は内田地区を流れる牛伏川にある石造りの流路工です。外国の流路工を参考に設計され、今でも通称「〇〇式階段工」と呼ばれています。どこの国を参考に建設されたものでしょうか。