松本市内遺跡紹介⑩ 「中山地区の遺跡」

 中山地区は、松本市の東部、鉢伏山の山腹に位置する地区で、当館もこの中山地区に位置します。縄文時代の遺跡が多く分布するほか、現在の中山霊園のある中山丘陵の南側は “中山古墳群”と呼ばれるほど古墳が多く点在しています。耕作中に土器片が見つかることも多々あったこと、住民の手で古墳の発掘調査が行われ、遺構の記録・出土品の保管が行われたことが当館の前身施設でもある“中山考古館”の開館に大きな影響を与えました。
 また、地区内には信濃16の牧のうちのひとつ“埴原牧(はいばらのまき)”もあったとされ、朝廷へ献上する馬を育てていたとされます。他にも埴原城という市内の中でも規模が大きい山城が有名です。

生妻遺跡

 生妻(しょうづま)遺跡は、中山地区の北西、下和泉町会の生妻池の近くに位置する遺跡です。遺跡の該当地のほとんどは水田として利用されており、範囲が広いことから任意の7か所を試掘し、調査区の限定を行い調査に入りました。
 調査の結果、住居址は、縄文時代と思われるもの7軒、弥生時代末~古墳時代前期の1軒、古墳時代中期の1軒の計9軒が検出されました。遺物は、縄文時代前期~後期にかけての土器や土偶が確認されており、縄文時代中期後葉が特に多量に出土しています。他には古墳時代の壺や甕、平安時代の灰釉陶器、土師器の出土も確認されています。
 胴体だけですが、中空土器も出土しています。「壺抱き土偶」と呼ばれるこの土偶は特徴的で、腕は肘を曲げて、左腕は腹に添えるように、右腕は背中に添えるようなポーズをしています。さらに左腕の先は腹の部分に穴があけられ空洞部分とつながっています。正面には沈線文(正中線)のほか、左腕に蛇行状、胸に渦巻状の隆帯が施されています。

壺抱き土偶

壺抱き土偶

弥生前遺跡

 弥生前(やしょうまえ)遺跡は生妻遺跡よりも南、中和泉に位置する遺跡です。調査の結果、住居址27軒、土坑275基が検出され、住居址はすべて縄文時代中期~後期のものとみられます。柄鏡形とみられる後期の住居も3軒確認できました。遺物は、縄文土器、石器、土製品が出土しましたが、土器は小片が多くありましたが、20号住居址から中期後半の唐草文系を主体とした土器が多く出土しました。
 弥生前遺跡の居住域の形態は、中央に径約40mの円形を示す広場とみられる区域をもち、住居はその空間を丸く包むように造られていたと調査の結果わかりました。集落が営まれた年代は土器の様相より中期中葉(曽利Ⅱ式期)から後期前葉(堀之内Ⅰ式期)にいたるものとみられます。
 また、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけてみられる石器の“有舌尖頭器”が1点出土しています。これに該当する時期の遺構は確認されませんでしたが、弥生前遺跡の周辺に当該期の遺跡が存在するか、狩猟の場所であった可能性がうかがえます。

有舌尖頭器

有舌尖頭器

 

コラムクイズ

中山地区下和泉町会は、野球殿堂入りをしたプロ野球選手の“中島治康(なかじまはるやす)”の出生地です。1934年からプロ野球選手となった中島治康ですが、実はとある球団の草創期メンバーとして活躍した選手です。それは現在のどの球団でしょう。

3つの中から選択してください