今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔1月の短歌〕

わが地球地軸かたむけ来たる時年をあらため事あらたにす

 (わがちきゅう ちじくかたむけ きたるとき としをあらため ことあらたにす)

                              歌集『老槻の下』所収 

地球

『老槻の下』は空穂の第20歌集で、昭和32年の空穂79歳の作品「正月」と題した巻頭歌の第1首です。
 正月を迎えるのを厳粛な心で詠んだ歌で、地球上に生命を受け継いでいる人類の立場で正月を受けとめています。
 地軸は、地球が自転する回転軸で、南北両極を結ぶ軸であり、地球の公転する軌道面に対して、約23.5度傾斜しています。
 その回転のため、地球上の温帯に位置する日本には、太陽との位置、距離から春夏秋冬の季節の現象が生じていることになります。暦の上での新年は日本では最も寒い冬です。この知識を頭において、正月を宇宙の不変の現象として把握しています。天体中の無数の星の1つである地球に住むわれわれは、暦の上での新年を「年を改め事新たにす」としています。
 この歌はきびしく又よろこびをもって正月を迎える心の把握ですが、スケールが大きく、個人的な心を超えています。「わが地球」と「わが」を添えている親愛感の表現も見落とせません。正月を詠んだ稀有の作品というべき一首です。
 私たちはこの地球で、大自然の恵みを受け、父母や祖父母、またその父母から連綿と命を受け継いでいます。一人ひとりの命が大切にされる社会、核兵器のない世界、世界の恒久平和の実現を願ってやみません。今年一年、「わが地球」が、平和な良い年でありますように。

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔12月の短歌〕

     冬空をあふぎし我が眼移し見れば

              妻もあふげりその冬空を

                                   第6歌集『泉のほとり』所収

     晴れわたる静かな冬空を仰いでいた眼を、ふと傍らの妻に移すと
                      妻もまた同じように冬空を仰いでいた空穂と藤野

 空穂と妻(藤野)とに通いあう深い心に触れています。                  
 晴れわたる冬空を仰いでいた空穂が、その眼を傍らの妻に移すと妻も
また同じように冬空を仰いでいるという情景。
 夫の味わう今の気持ちはそのまま妻の気持ちであるのに気づいた心と
いっていいでしょう。
 無言のうちに通いあう心、冬空のもとに生かされている自分自身に、
互いに思い入るしみじみとしたものであり、信じあう夫婦の心境が思わ
せられる歌です。この短歌は

「巷にと出て行く自分を、妻は子を連れて送って来、暫くを護国寺の側の草原で遊んだ」という詞書のある3首の中の1首です。                        この短歌の前後には                                                                           

・ ここにとて子を坐らす冬の日のさし来て光る枯芝の上に
・ われ呼びて追ひ来し妻はかがまりて裾より取りつ草の枯葉を

という短歌があり、空穂が藤野をとても愛おしく思う様子がうかがえます。                「巷へと出ていく」とありますが、空穂が読売新聞社へ出勤するときの模様のようです。妻(藤野)は2人の幼い子ども(長男・章一郎 長女・ふみ)を連れて途中まで見送る日があり、護国寺のそばの草原で暫くの時間を空穂と一緒に遊んだ様子がうかがえます。                                  この時、妻(藤野)は次女を身ごもっており、2人の結婚生活はまずしくても、豊かで愛情あふれるようであったことがわかります。                                       しかし、この短歌から数ヵ月後、苦楽を共にしてきた愛妻藤野が亡くなってしまします。             それを思うと、考え深い3首といえるでしょう。

 

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔11月の短歌〕

寒き夜のふけゆくなべにわが机照らす灯かげのいや明らなり

(さむきよの ふけゆくなべに わがつくえ てらすほかげの いやあからなり)

                              歌集『青水沫』所収 

 大正9年、空穂43歳の頃に詠まれた歌です。一日の終わり、書斎での様子が詠われています。
 当時の空穂は早稲田大学文学部の講師になったばかりで、何かと身辺が忙しい時期でした。書物を読み終えたのか、ペンを置いたのか、やるべきことを終えて眠らなくてはならないと思う時、机の上を照らす電燈の光がそれまでは気づかなかったように明るく感じられたことが詠まれています。机に向かって集中していた緊張から解放された時の快さ、眠ることが惜しまれるような様子です。

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空穂を推薦した坪内逍遥(左端)と空穂(前列右端)

 空穂が早稲田大学へ就任したのは、それまで行ってきた古典研究が評価されてのことでしたが、当初アカデミックなキャリアに興味のなかった空穂は講師を不適任で辞すべきだと考えていました。しかし空穂の受け持つ国文科が創設間もなく人材不足であったり、また多くの大学の国文科が外国語学科の付録的な存在だった実情を見て、引き受けるに至りました。
 定年となる70歳まで、空穂の長い早稲田生活の始まりでした。

 

「老学徒の心を持って、学生と一緒に勉強しよう、そして、繋ぎの役を果たそう」

              『我が文学体験』より

松本養護学校販売コーナーをご紹介します

 

DSC04253+ 窪田空穂記念館では松本養護学校の生徒の方々の作る製品を販売しています。販売コーナーは平成25年に設置され、毎年新しい製品を入荷していただきながら現在まで継続しています。製品は陶芸品、織物、本革細工、ビーズストラップなど様々で、どれも手作りで素朴ながら味わい深い品々となっており、今年も多くの方にお買い求めいただいております。
 また、今年度は当館限定販売の本革しおりを作っていただきました。当館にお越しの際はぜひお手に取ってご覧ください。

 

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本革しおり うつぼ(100円)

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カップ&ソーサーセット(1セット700円)

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コースター(300円)

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ブレスレット(100円)・丸皿(小黒)(150円)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔10月の短歌〕

覚めて見る一つの夢やさざれ水庭に流るる軒低き家

 (さめてみる ひとつのゆめや さざれみず にわにながるる のきひくきいえ)

                     歌集『さざれ水』所収 

  1歌集の巻頭にある歌で、「庭」と題した五首連作の第一首です。
 「さざれ水」はさらさらと音を立てて流れる水。「さざれ」は「小さい」「細かい」意で「さざれ石」「さざれ波」という語もあり、万葉集以来の古語。「さざれ水」というと自然にこれらの語が連想され、そこの浅い清く澄んだ小川の底に小石が透いて見え、小さい波がたっているイメージが浮かびます。窪田空穂の長男で歌人・国文学者の窪田章一郎は「窪田空穂の短歌」で次のように記しています。

「覚めて見る一つの夢」は、憧れの心をもって眼前に浮かべる一つの情景で、それは軒の低い家の庭に、さらさらと音を立てて流れている小川なのである。明るい光と静けさとを感じさせる歌である。都会の小さな家では求められない庭の景で、おそらく信濃の故郷の家を思っていたのであろう。その庭はかなり広く、泉水があって、築山からは細い水を落としていた。しかし、連作はこの家そのもの描いてはいない。

 水の流れる音の聞こえる家に住みたいと、或る時漏らしたことがあった。若い日のことで、突然不可思議なことを聞く思いで記憶にとどめたのであるが、その憧れをついに現実のものとすることのなかったのを今思っている。さらさらと流れる水の音を聞いて暮らしたいというのは、この作者が一人の胸に秘めたもので、個性的である。歌には「さざれ水」とだけあって、水の音は直接言葉としていないが、作意の中心はそこにあるのである。なお、「軒低き家」は雪国の家構えの常でもある。

 郷里や父母について、多く詠った空穂。故郷の家を思いつつ、憧れの心をもって、水の流れる音の聞こえる家に住みたいと漏らした空穂。軒低き家と、さらさらと音を立てて流れる小川に憧れたのでしょう。
 なお、窪田空穂記念館創設に関係した大勢の方々のご要望から、窪田空穂記念菓子「さざれ水」が創作されています。

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

 〔9月の短歌〕

もろもろの野の獣(けもの)さへねらふ果実(このみ)をあまたわが得し

                                                             第19歌集『丘陵地』所収                        「秋の果実 」と題された中の一首です。                                                                                          秋になると各地から知友から空穂のもとへ贈られてくる果実から視点を転じています。                                                      

DSC04063 野の鳥や山の獣らが欲しくてたまらない果実が、坐りながら人間の我はこのように沢山、都会に住んでいながら手に入れているのだと思わされたのである。                           秋の山野は鳥や獣らには書き入れ時であり、その季節が来るのを待つ宝庫である のを心にえがいている。                                  果実園で栽培する果実は人間が食べるために収穫するのが実状であるが、本来に立ちかえれば人間が山野に行き、鳥獣と喜びをわかちあうものだったのである。                                    このような気持ちが背後にある、微笑を誘う空穂らしい一首である。     

山  微笑を誘う一首ではありますが、何か私達が忘れてしまった大切なことを詠っているような気がします。               今、ニュースなどで山からおりてくる生きもの、例えばクマ、サル、イノシシ。皆さんは見てどの様に思われていますか?                                                                                                                                                        空穂の視点は、昔はあったであろう人と生きものとの関係の豊かさを詠っているようです。 

 

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔8月の短歌〕

    母は死に伜(せがれ)生れし八月一日

              今年も旅にめぐりあへるかな

   (はははしに せがれうまれし はちがつついたち(はづきひとひ) 
                     ことしもたびに めぐりあえるかな)

                     歌集『清明の節』所収 

 

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昭和38年 軽井沢にて

  「軽井沢 八月一日」と題された、空穂89歳の頃の歌です。8月1日は母の命日であり、また息子章一郎の誕生日でもありました。
 空穂が母の危篤を聞いたのは、勉学を挫折して東京専門学校(現 早稲田大学)を中退し、大阪の米問屋で働いていた時のことでした。農家の次男に生まれた空穂ですが、当時は長男が家を継ぎ、次男は他の家の養子になることが一般的であり、そうして故郷に骨を埋めるか、身を立てて何者かになろうとするか、もがいている最中でした。20歳でした。帰郷した空穂は母の看病にあたり、一か月後に看取ります。
 章一郎が生まれたのは空穂が31歳の時でした。再入学した東京専門学校を卒業し、同郷の妻を娶り、少しずつ文筆業で東京の生計を立て始めていました。帰郷した際には生家隣家の老女に、きっと母の生まれかわりだと諭されたと述懐しています。
 空穂は81歳から毎年夏を軽井沢で過ごしており、歌中の「旅」とはそのことを指しています。この歌を詠んだのが軽井沢への最後の「旅」となり、空穂は翌年亡くなります。遺歌集『清明の節』は空穂没後に、空穂と同じ道をたどり歌人となった章一郎の手により編集され、刊行されました。

 

今月の短歌 ~窪田空穂の歌の魅力をご紹介します~

〔7月の短歌〕

 この家と共に古りつつ高野槇二百とせの深みどりかも

 (このいえと ともにふりつつ こうやまき ふたももとせの ふかみどりかも)
                               歌集『冬日ざし』所収

 

 生家『冬日ざし』は空穂の第14歌集で、昭和14年の空穂63歳の作品「故郷」「家居」と題された3首の内の1つです。
 空穂生家は、父・寛則が明治8年(1875年)に改築をしたものです。空穂はこの家で、誕生から18歳まで、20歳から23歳まで、疎開時の68歳に生活しています。
 生家は、本棟造りといわれる建築で、江戸時代の後半から明治のはじめにかけて多く造られた、長野県の中南信地方に特有の様式です。生家は記念館と道路を挟んだ向かいにあり、緑に囲まれた庭には空穂が詠んだ大きな高野槙がそびえています。
 高野槙は日本固有の常緑高木で、幹が真直ぐ天を指して伸び、やがては老樹となります。槙(まき)は真木とも書き、万葉集などでは、杉・檜(ひのき)などの良材となる木を讃える総称ともなっており、木曾五木の中にも数えられています。和名は高野山真言宗の総本山である高野山に多く生えていることに由来し、高野山では霊木とされています。

 

 2生家歌を詠んだ当時、空穂は二百とせ(200年)と詠み、現在、樹齢300年ともいわれるこの高野槙は、生家の改築時には、樹齢150年と推測され、空穂生家の目印でもあったことでしょう。なお、高野槇は「大きく、まっすぐに育って欲しい」と、秋篠宮悠仁(ひさひと)親王の身の回りの品につける「お印」に、選ばれています。
 窪田空穂記念館では、7月2日(土)から8月14日(日)まで、「松本の七夕・2022」(星に願いを)と題し、空穂生家に七夕人形を飾り、七夕や星の短歌の紹介をしています。空穂生家が七夕飾りに彩られる夏のひと時、緑につつまれた縁側に腰をおろして、高野槇を見上げてみませんか。

6月28日 芝沢小学校の皆さんに清掃活動をしていただきました

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 6月28日、芝沢小学校の児童の皆さんに清掃活動をしていただきました。生家や駐車場など、暑い中、丁寧に掃除をしてくださいました。
 芝沢小学校は窪田空穂記念館から徒歩数分のところにあり、清掃活動や「子ども将棋教室」などイベントへのご参加、市内小中学校へ短歌を募集する「松本子どもの短歌」での多くのご応募など、多岐にわたり本館の活動にご協力いただいております。
 7月7日には芝沢小1年生の皆さんによる七夕の飾りつけが行われます。合わせて七夕人形が飾られますので、是非お越しください。

6月26日 お茶会が開かれました

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6月26日、窪田空穂生家でお茶会が開かれました。 
 表千家の講師をされている笠原隆行さんからご提案いただき、当日は松本大学の学生の方など、およそ20名の方が参加されました。
 普段はご自宅で開かれていたそうですがコロナ渦などで見送りが続き、およそ2年ぶりの開催となる今回は窪田空穂生家を利用していただきました。

 窪田空穂記念館ではこういった生家や会議室の貸し出しなどのご相談を承っております。
お気軽にお電話などでご相談ください。

Tel:0263-48-3440

※この度はお茶会の方々への貸し出しとなっており、参加募集などは行っておりません。