松本市内遺跡紹介㉖ 「寿地区の遺跡~石行遺跡~」

 寿地区は松本市の南東部に位置し、縄文時代~平安時代にかけて多くの遺跡が見つかっています。
 南北に細長い地区の北部~中部は弥生時代の遺跡が多く、弥生時代を代表する“百瀬式土器”が見つかった百瀬遺跡もその一つです。南部は、塩尻市域に突き出した赤木山には赤城山遺跡群と総称される十数か所の遺跡があり、縄文時代から中世にかけていたるところで集落が営まれていました。また、赤木山の北東に広がる緩斜面は、鉢伏山から流れる塩沢川によって形成された扇状地が広がり、縄文時代に集落が営まれ、平安時代から中世にかけても大きなムラがあったことが調査の結果わかりました。

石行遺跡

 石行(いしご)遺跡は寿地区の南にある赤木山丘陵の中央やや北寄りの西斜面に位置する遺跡です。
 縄文時代の土壙・ピット群・焼土面、古墳時代の竪穴住居址・土壙、平安時代のおよび以降の竪穴住居址、火葬墓、墓址といった遺構が発見され、縄文時代~平安時代以降にかけて集落があったとされます。また、出土遺物は、縄文時代晩期の土器・石器・土製品・石製品、古墳時代の土器、平安時代の土器・鉄器・銭貨が発見され、特に縄文時代晩期の土器は多量で、土器集中区(廃棄場とみられるもの含む)が7か所発見されました。縄文土器は整理用コンテナ100箱近くになるほど多量で、浮線網状文のものや体部に沈線による大柄の渦文のあるもの、貝殻条痕のもの、東海系胎土の特徴を持つものなど多種多様な発見となりました。また、土器に混じって石鏃250本、打製石斧500本余りも出土しています。
 古墳時代の竪穴住居址から出土した土器は古墳時代前期のものとみられ、発掘当時の松本平ではこの時期の資料はわずかしかなく貴重な発見となりました。

特殊な装飾のある土偶

 石行遺跡から出土した縄文時代晩期の土器・石器が多種多様で、松本平の縄文時代から弥生時代への変化を探る上で大いに注目される資料となります。中でも特殊な文様・装飾のある土偶を紹介します。

①刺突文(しとつもん)

 画像の土偶の頭部は無数の穴で埋め尽くされています。刺突文と呼ばれる文様で、この土偶の他にも、胴部肩に刺突文のある土偶が出土しています。また、この遺跡だけではなく、内田地区のエリ穴遺跡でも刺突文のある土偶が出土しています。刺突文は縄文時代晩期の土偶に見られる文様です。

刺突文のある土偶

刺突文のある土偶

②黥面(げいめん)

 顔(ほほや目の下)に沈線の装飾が施された土偶です。当時の人々は入れ墨や化粧などこのような装飾をしていたのでしょうか。儀式時の装いとも考えられています。

黥面装飾のある土偶

黥面装飾のある土偶

 石行遺跡出土のこれらの文様と同じ文様が施された土偶が群馬県の「万木沢B遺跡」で出土しており、石行遺跡となんらかの関係があったのではないかと考えられます。遠く離れた地から伝わってきたのか何かしらの交流があったことがうかがえます。

 

コラムクイズ

群馬県東吾妻町で見つかった国の重要文化財に指定されている土偶はどれでしょう。

3つの中から選択してください