松本市内遺跡紹介㉗ 「松本城二の丸御殿跡」

 松本城は、本丸・二の丸・三の丸の3つの郭と、それぞれの郭を囲む内堀・外堀・総堀の3重の堀で構成される平城です。天正18(1590)年に石川数正が松本へ入封し、子の康長と二代にわたり、天守や太鼓門の築城や城下町の整備を行いました。後に松本へ入封した松平直政によって、月見櫓・辰巳附櫓が増築され現在の姿となりました。
 二の丸は、内堀と外堀の間の土地で、現在は平面復元された二の丸御殿跡や太鼓門、旧松本市立博物館(古山寺御殿跡)がありますが、昔は松本中学校、博物館、博物館附属のロックガーデン、小動物園、児童遊園地、噴水のある公園などなど様々活用されてきた場所でもあります。

二の丸御殿とは

 二の丸御殿は、文禄3(1594)年頃に竣工した松本城天守に続いて、本丸御殿とともに建てられたと考えられていますが、「河辺文書」の寛永10(1633)年の記事に「二之丸江御殿立・・・」とあり、二の丸御殿の建造に、城主松平直政が関わっていたとも考えられています。
 二の丸御殿の敷地は約1,900坪(6,270㎡)、建坪は約600坪(1,980㎡)で、本丸御殿があったときは、副政庁として機能していました。享保12(1727)年に本丸御殿は失火により焼失し、江戸屋敷も火災にあったことも重なり、財政面から本丸御殿の再建が困難となり、二の丸御殿は政庁として使用されるようになりました。
 明治維新を迎え、明治5(1872)年に二の丸御殿は筑摩県庁として使われていましたが、同9年6月に火災のため全焼してしまいました。この火災を機に筑摩県は長野県に合併され、二の丸御殿の跡地に長野地方裁判所松本支部庁舎が建てられます。昭和53(1978)年に裁判所松本支部庁舎が松本市歴史の里へ移築され、その翌年から発掘調査と公園整備が行われました。現在の二の丸御殿跡は「信濃国松本二の丸御殿之図」を元に復元が行われました。

絵図で見る松本城の構成

絵図で見る松本城の構成

二の丸跡発掘調査の成果

 公園整備で実施された発掘調査では、筑摩県庁の火災とみられる焼け焦げた柱や畳、その下からは、陶磁器・瓦・魚貝類などの生活の様子を知る痕跡、御殿の礎石群が確認することができました。この礎石群をもとに復元された部屋割りは、戸田氏時代に描かれた「信濃国松本二の丸御殿之図」とほとんど同一であり、この古絵図がかなり忠実に描かれていたことが判明しました。

Pick up 遺構

○上台所跡:上台所は城主の食事を賄った場所で、土でできた二連の大かまど跡や五連のかまど跡、囲炉裏跡が発見され、板石が使われるなど丁寧なつくりであったことがわかりました。
○木管の埋樋:地蔵清水から二の丸御殿まで水が引かれ、溜め井戸から埋樋で台所などへ配水されていました。使用済みの水は割石などで組んだ水路で堀に捨てられていました。

Pick up遺物

○陶磁器類:多量の茶碗やこね鉢が出土しました。二の丸の西南部では肥前系・伊万里系の薄手の上物が多く、台所周辺では厚手粗製のものが多く見つかりました。こね鉢が多かったことからそばやうどんなどの粉食が多かったのかも知れません。
○骨:シカ・イノシシ・マダイ・ブリ・ハマグリ・サザエといった食事に関する遺物も出土しています。特に魚貝類は高級なものが多く、上級武士の食生活の様子をうかがい知ることができます。

旧松本市立博物館で展示したブリとタイの骨

旧松本市立博物館で展示したブリとタイの骨
(所蔵は松本城管理事務所)

 

コラムクイズ

松本城二の丸には現在のアルプス公園内にある小鳥と小動物の森の前身でもある小動物園が、昭和28年から昭和41年まで設置されていました。この動物園で人気だった動物はなんでしょう。

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