松本市内遺跡紹介㉔ 「入山辺地区の遺跡~海岸寺遺跡~」

 入山辺地区は、松本市街の東方に位置し、薄川の最上流域にあたります。薄川が扇状地形を作る付近から傾斜はあるものの平坦地が広がり、集落も山麓や段丘上に展開し、里山辺地区へつづきます。山の谷間に位置していることから狩猟・漁撈・植物採集といった面で恵まれていますが大きな遺跡は見つかっていません。
 この谷間は諏訪地域や小県地域との交通路にもあたるため、古くから人々の往来があったことを示す小さな遺跡が点在しています。中世には中入城や桐原城など多くの山城が構築されています。

海岸寺遺跡

 海岸寺遺跡は入山辺地区東桐原に位置する遺跡です。砂防堰堤事業が計画され、平成24(2012)年に松本市教育委員会による大規模な試掘調査が行われ、その後長野県埋蔵文化財センターにより発掘調査が行われました。
 松本市によって行われた試掘調査は、市道の工事予定地と平坦地で行われ、古代から中世の人工的な池と考えられる遺構と、大規模な雛壇状の造成地が確認されました。造成地には石列があり、建物の基礎と推測できます。当時の寺院には、基礎に石列が用いられたことが知られていることから何らかの建物が存在していたと考えられます。出土遺物としては、陶磁器や土師器、須恵器、砥石が発見されました。
 長野県埋蔵文化財センターの調査は平成25~27年にかけて行われ、縄文・弥生・古墳時代の遺物の出土や、平安時代中期頃の住居跡、中世の焚火跡や火葬施設跡なども発見されました。また、大きな特徴として階段状の平坦地が連続し、各平坦地に石垣が伴っている点が挙げられます。

砂防堰堤事業が進む海岸寺遺跡跡

砂防堰堤事業が進む海岸寺遺跡跡

造成地の石列と集石

造成地の石列と集石

旧海岸寺

 旧海岸寺は、明治時代の廃仏毀釈により廃寺となりましたが、創始のころは二十四坊を持つ真言宗の大きな寺で、古くは海岸寺沢を遡った弘法平と呼ばれる場所にあったと伝えられています。創始の時期、開基・開山は明らかではありません。長野県宝に指定されている本尊の千手観音立像は現存し、旧寺地に造られた観音堂に安置されています。
 海岸寺遺跡の発掘調査地北東の尾根上には旧海岸寺経塚があり、経筒・刀子・白磁の合子などが出土しています。こうした、本遺跡一帯の強い宗教色、沢と遺跡の名称、地域に残る伝承に加え、今回の調査成果により、観音堂から経塚に至る約1kmの谷が旧海岸寺に関わる宗教空間であったと推測されます。
 さらに、海岸寺沢を隔てた対岸には、信濃守護小笠原氏に関わる戦国時代の山城・桐原城跡がありますが、この城は旧海岸寺の存在を背景にして成立した可能性があります。

旧海岸寺経塚出土の経筒ほか

旧海岸寺経塚出土の経筒ほか

 

桐原城については以下もご覧ください。
小笠原氏城跡(松本市ホームページ)
上條館長の山城案内 桐原城(旧山辺学校校舎)

 

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