上條館長の山城案内 桐原城
桐原城 きりはらじょう(松本市入山辺桐原)
昭和45年10月22日長野県史跡に指定
今回は桐原城です。
15世紀、桐原氏によって築かれたといわれています。桐原氏は小笠原氏に属し、武田氏の侵入で小笠原諸城が自落した際、主人である小笠原長時と共に村上義清のもとに向かったといわれています。その後、小笠原氏が復活した際に共に戻ってきて、桐原城も改修されたともいわれています。
桐原城は追倉沢(おっくらざわ)と海岸寺沢(かいがんじざわ)に登り口があります。海岸寺沢に砂防堰堤が築かれ少し道が変わってきましたが、そこより上の登城道が荒れています。追倉からの道は整っていますので、こちらから登っていくほうがいいと思います。
県道松本和田線を美ヶ原方面に向かいます。
旧山辺学校校舎を過ぎるとJAがある交差点がありますので、ここを左折します。
しばらく行くと左に1軒家が建っていますので、そのT字路を右折します。
すぐに左折、右折を繰り返し、東へと登っていきます。突き当りが追倉地区です。
右手のビニールハウス前に車を止めさせてもらいます。葡萄の時期は鳥獣よけフェンス前でもいいかなと思います。
案内図をおくケースがありますが、最近は入っていません。右手の小さい鳥獣よけフェンスを開け、登城道を登ります。最初に訪れたときは林道を登ってしまい、しばらく気づきませんでした。
ここからは道が整っていますし、案内表示もあります。上にのびる竪堀(たてぼり)跡を楽しんでください。そして表示に従い、大手道を登っていきます。
土塁(どるい)が両側に積まれた城門跡と思われる場所もあります。
途中二重堀切(にじゅうほりきり)もしっかり残っています。
小笠原氏の山城の大きな特徴である平場曲輪(ひらばくるわ)が次々と現れます。ただ、規模は小さく、きっと柵を建てて、防御の一助にしたと思われます。
主郭(しゅかく)の表示があるところからいよいよ城内です。右に行くと海岸寺沢口へ、まっすぐ行くと主郭搦手(からめて)方面に行けます。主郭へは左に向かいます。
ここからいくつかの曲輪を抜けていくのですが、すべてに石積みが残存し、こんな山の中なのにすごいなと思ってしまいます。
山辺の山城の大きな特徴、扁平(へんぺい)な山辺石(やまべいし)を積んでできています。
主郭は29m×27mほどで、土塁がしっかり残っています。東の土塁は高さ4mぐらいでしっかりしています。主郭の四方に鉢巻石積みと腰巻石積みが残っている場所もあり、必見です。
主郭背後には長く深い堀が4本あり、石積みを配置した土塁もあり、敵の侵入に備えています。
この城の堀切、竪堀の規模が大きく山すそまで続いているようです。きっと、再び戻ってきた時に作った新しいもののような気がします。
この尾根筋は遠く、武石峠(たけしとうげ)まで続いているとあります。何かがあったときはこの尾根筋を越えていくつもりだったのでしょう。
帰りは海岸寺沢に下りようと向かいましたが、倒木も激しく、道も途切れています。何とか滑り降りたものの、最後は砂防ダムで道が変わり、何とか鳥獣よけフェンスの入り口までたどり着くことはできました。
後日、こちらから登りました。堰堤もできつつあり、道も見えてきました。しかし、堰堤を越えてからの道がよくわかりませんでした。
ちなみにお墓のある交差点を曲がると海岸寺沢、海岸寺跡、霜降城(しもふりじょう)に行けます。
旧海岸寺のお堂には県宝の千手観音があります。地元の方が守られており、残念ながら通常は公開されていません。
桐原城はこの山辺の山城の中で、主郭を守る曲輪群の複雑な縄張り、各郭に残された石積み群、整備された道等、素晴らしいと思います。ここも20分ほどで登れます。おすすめの山城です。