発掘された松本2022⑤ 「松本城三の丸跡土居尻第16次調査」

 前回(発掘された松本2022④ 「松本城三の丸跡土居尻第15次調査」)に続き、発掘された松本2022の調査結果を紹介していきます。今回は松本城三の丸跡土居尻第16次調査です。

松本城三の丸跡土居尻第16次調査

 土居尻は、松本城三の丸のうち史跡松本城跡の南側、大名町の西側の一帯で、江戸時代には松本藩の武家屋敷地のうち中級家臣の屋敷地として利用されてきた場所です。
 第16次の調査地は、南外堀の道を挟んだすぐ南側の屋敷地にあります。江戸時代の絵図に重ね合わせてみると、調査地の西半分は竹中氏の屋敷地、東半分は二宮氏の屋敷地にあたります。

絵図で見る土居尻の調査位置

絵図で見る土居尻の調査位置

 調査の結果、江戸時代の地面では、建物跡やごみ穴、屋敷境と考えられる溝跡が見つかり、当時使用された陶磁器などの遺物が出土しました。調査区の西部には2~3cm大の礫を敷き詰めたような石敷き遺構が見つかりました。これは屋敷跡との位置関係から玄関や建物の出入り口付近がぬかるまないように敷かれたものと考えられます。また、遺構密度が高くないことから屋敷地は江戸時代をとおして大きく変わっていないことがうかがえます。

石敷き遺構

石敷き遺構

 もともと湿地帯であった調査地周辺に、砂や粘質土などの土を混ぜた版築土で盛土造成されていることがわかりました。この造成土に16世紀末~17世紀初頭に生産された瀬戸焼が混入していたため、小笠原貞慶か石川数正・康長が城主時代に三の丸を整備した際の造成土であると推定されます。この時代の文献資料は少なく、今回の成果は松本城形成について理解する上で重要な手がかりになると期待されます。
 
 さらに、三の丸形成以前の地形は、9世紀頃までは小川が流れ、16世紀中頃~末にかけて水草が生育する泥深い沼地のような環境であったことがわかりました。三の丸として整備されるまで長らく水辺であり、人が住めるような場所ではなかったとうかがえます。
 また、今回の調査の結果、沼地になる直前に小川で何らかの祭祀を行った形跡が見つかりました。小川の川底からこけら経や笹塔婆といった木製品や人骨・獣骨が出土しました。生活道具がほぼ確認できなかったことからこの一帯は何らかの祭祀を行った空間であったと考えられます。

獣骨出土の様子

獣骨出土の様子