上條館長の山城案内 埴原城
埴原城 はいばらじょう(松本市中山埴原北)
昭和45年10月22日長野県史跡に指定
今回は埴原城(はいばらじょう)です。ここは山辺地区ではありませんが、昭和45年長野県史跡として認定された小笠原氏城跡群[山家城(やまべじょう)、桐原城(きりはらじょう)、埴原城]の一つです。埴原牧(はいばらまき)として馬の育成をしていた埴原氏が後に村井氏となり、村井城(むらいじょう)を築いたのですが、その詰城(つめじろ)として築かれたものだと推測されます。のちに小笠原氏の支配下となり、修築されていったと考えます。天文17年(1548)に塩尻峠(しおじりとうげ)の戦いに勝った武田晴信(たけだはるのぶ)が、村井城まで侵攻し、小笠原氏攻略のため、中山の和泉(いずみ)に陣を取ったという記述から、やはり、この時、埴原城も落ちたと考えるのが普通のような気がします。村井氏は塩尻峠の戦いで滅亡しますし、埴原城に敵兵がいながら和泉に陣を張るのは無謀です。ですから、天文19年(1550)の高白斉記(こうはくさいき)に書かれている「イヌイの城」は、戌亥(いぬい)という方角から考えても、犬甘城の方(イヌカイのカが抜けた記述と推測する考えからも)がふさわしいような気がします。
その点はこれからの研究を待たなければなりませんが、小笠原氏城跡群の重要な城であったことは間違いないと思います。北の山を越えれば、林大城(はやしおおじょう)、宮原城(みやはらじょう)などは上からの攻撃になり、ひとたまりもないので、小笠原貞慶(おがさわらさだよし)の時代に大規模な改修が行われ、大きな防御基地として考えたのではないかと思われます。いろいろな尾根筋に曲輪が数多くあり、規模が大きく、全部見て回るのはかなりの時間が必要です。
埴原城の全景です。右に見える赤い屋根が蓮華寺(れんげじ)になります。ここを目指して進みます。
松本市街地から中山地区に向かって車を進めてください。中山小学校南の信号から南東へ約1kmぐらいです。
蓮華寺という看板がありますので、ここを左折してください。
少し狭い道ですが、家が少ないので車でも大丈夫だと思われます。蓮華寺の舗装されていない場所に車を止めて、左側の方に歩いていきます。
すぐに3つの御屋敷跡の看板が立っています。
その先に「長野県史跡、小笠原氏城跡、埴原城」の看板。さあ始まりだ、という感じがしていいです。
そして、いつもの鳥獣除けフェンスがお出迎えです。 開けて入っていきましょう。
道はきちんと整備されています。ある程度、しっかりしているのは地元の方の整備や木材の切り出し用の通路、電力会社の運搬用道路も疑われますので、遺構かどうかは難しいところです。
登山道をゆっくり、登っていくと、左手には堀(ほり)らしき窪みが 現れます。
そして、大きな堀切(ほりきり)を右に曲がると、段郭(だんくるわ)群に入っていきます。
一つ一つはそんなに大きくないのですが、小笠原の山城らしく次から次へと続いていきます。林大城のように平曲輪(ひらくるわ)の間ではなく、裾を通っていく登山道です。もしかすると本来は、曲輪の間を通っていくのが本道だったのかもしれません。途中、南西尾根の方にも寄ってみましたが、こちらも堀切が深く、高さがあるので、なかなか攻めにくい縄張りだと思います。
そこを過ぎると、視界が開け、水場(みずば)に到着します。ここにはお姫様の化粧水という看板が立っています。林大城にもありました。実際はその目的で使うことはなかったでしょうが、今でも水が静かに流れているのが不思議でもあります。
この井戸を左手に進んでいくとたくさんの曲輪(くるわ)が現れます。
まず、帯郭(おびくるわ)です。主郭(しゅかく)の下をずっと巻いています。馬場(ばば)にでも使えそうです。
そして、かなりの石が転がっています。主郭から落ちてきたのでしょうか。その先にもいくつか曲輪があり、数段下がった所に二ノ郭(にのくるわ)があります。
宮坂本では3の郭となっていますが、地元の保存会の方々に従いましょう。二ノ郭から西側の主郭の裾に沿った道を通ると西小屋の郭群が下方に見えます。
さて、主郭に登ります。先ほどの帯郭から斜め上に登る道がありますので、そちらに進んでください。
埴原城の主郭は面白い造りをしています。虎口(こぐち)は枡形(ますがた)に切られていたと推測され、そこから主郭に入れます。
入った所には大きな石がどんと据えてあります。これは「岩座(いわくら)」と考えられ、神の加護をとりいれたものと伝えられているものだそうです。
その東側に一段高くなった曲輪があります。こちらがやはり、本当の意味の主郭、作戦本部となると思われます。東側には大きな土塁(どるい)が築かれ、しっかりした作りです。
面白いのはその東側にもう一つ、郭があるということ。ここは詰郭(つめくるわ)と見た方がいいように思います。
ここにも東側に土塁があり、反対の堀切から見ると比高(ひこう)10mぐらいでしょうか、かなりの壁になります。
主郭南側には見どころの石積みがあります。
堀切から先には自然地形を利用し、加工を加えた面白い畝状竪堀(うねじょうたてぼり)や堀切がたくさんあります。「堀底状通路」と表示があります。
その先には水の手の石積みがあり、ここから先ほどの水場まで水を導いているのでしょうか。
帰りは井戸から南方面に埴原東地区の方へ広い道を通って下りてきました。西小屋方面、西尾根から古墳群、南西尾根、南尾根など郭や竪堀、堀切が数多くあります。こちらも探索してみたいと思いました。
主郭までは30分ほど、歩きやすく、面白い造りがみられる広大な山城です。ぜひ、挑戦してください。