上條館長の山城案内 犬甘城

犬甘城 いぬかいじょう(松本市蟻ケ崎城山)

 さて、今日は犬甘城(いぬかいじょう)です。
 ここは犬甘氏の要害城と考えられています。犬甘氏の居館は西側の島内にあったと思われます。のちに小笠原氏の配下となり、小笠原長時(おがさわらながとき)の時代に整備されたもののようです。埴原城(はいばらじょう)の時に述べた天文19年の武田氏が勝鬨(かちどき)をあげた「イヌイの城」はここのことだという説を支持します。ただ、城としての守りは東側が防ぎようのない土地なので、なんとも言えないのですが、西側の絶壁や塩尻、安曇野(あずみの)の監視には素晴らしいところです。深志城(ふかしじょう)、林城(はやしじょう)からもよく見えるので、敵の地に落ちたら慌ててしまうでしょう。
 ただ、昔から思っていますが、仮にこの地に松本城を築城し、東側に城下町を造成していたら、姫路城のようなどこから見ても見える松本城になっていたんじゃないかなと思います。まあ、武田氏は善光寺街道、保福寺街道(ほふくじかいどう)ぞいに上杉や村上を目指していたので、その拠点としての深志城あたりが適当だったとは思いますが。

正麟寺の交差点を城山公園へ

正麟寺の交差点を城山公園へ

道順は城山公園を目指して進んでください。正麟寺(しょうりんじ)前の五差路を城山公園方面に進みます。

五差路をまっすぐ西へ

五差路をまっすぐ西へ

 次の五差路をまっすぐに進みます。斜め右は遊歩道になります。

公園北側奥の駐車場

公園北側奥の駐車場

 公園北側奥に駐車場もあります。バスも少ないですが、アルプス公園行きのバスで近くまでいくことはできます。

 公園からどこからでも城跡巡りはできるので、今回は一番北の一の曲輪(くるわ)からいきます。

犬甘城案内図

比高(ひこう)は一番高く、北側もかなりの崖になっているので、ここが本丸だと思われます。20m四方です。今は東屋もあります。

本丸と思われる北の曲輪(一ノ曲輪)

本丸と思われる北の曲輪(一ノ曲輪)

本丸北側の崖

本丸北側の崖

 南側(二ノ曲輪)と東側(三ノ曲輪)にも曲輪跡があり、ここで守っていたものと考えられます。

南側、二ノ曲輪

南側、二ノ曲輪

 

 南の曲輪下には深い堀切(ほりきり)があり、次の四ノ曲輪へと続きます。

ニノ曲輪と四ノ曲輪の間の堀切

ニノ曲輪と四ノ曲輪の間の堀切

四ノ曲輪

四ノ曲輪

 その南にも堀、五ノ曲輪、堀と続き、ここは城跡だと気づかされます。ただ、東側の公園のゆるやかな空き地を見ているとそっち側から攻めてきたらどう守ろうか考えてしまいます。

四ノ曲輪と五ノ曲輪の間の堀

四ノ曲輪と五ノ曲輪の間の堀

五ノ曲輪

五ノ曲輪

五ノ曲輪と六ノ曲輪の間の堀切

五ノ曲輪と六ノ曲輪の間の堀切

 一番南側の六ノ曲輪で終わりです。

展望台

展望台

六ノ曲輪には展望台があり、360度よく見えます。

 北アルプスはもちろん、中央アルプス方面、松本城や山辺の谷もきれいにみられます。

展望台からの北アルプス

展望台からの北アルプス

展望台からの松本城

展望台からの松本城

展望台からの山辺の谷

展望台からの山辺の谷

 城山公園には文学碑がたくさん建てられていますので、それをのんびり見て回るのもいいかなと思います。

いわさきちひろの碑

いわさきちひろの碑

 いわさきちひろの碑もあります。ちひろが疎開したのは母の実家である松本市新橋で、この城山公園によくスケッチにきていたそうです。

窪田空穂の碑

窪田空穂の碑

 窪田空穂(くぼたうつぼ)の碑「鉦(かね)ならし 信濃の国ゆきゆかば ありしながらの 母見るらむか」もあります。ぜひ、ご覧ください。

 江戸時代松本藩の管理下にありましたが、天保14年(1843)城主、戸田光庸(みつつね)が庶民の公園として開放し、明治8年に松本市最初の公園となりました。
 城跡としては特筆するものはありませんが、小笠原の城郭群の一つとして、散策がてらに歩くのもいいかもしれません。桜の花も4月中旬頃、きれいに咲きます。松本のお花見スポットです。