松本市内遺跡紹介㉚ 「中山地区の古墳~柏木古墳~」とお礼の挨拶
※柏木古墳については、過去のコラムでも触れている部分がありますが、改めて紹介いたします。
柏木古墳
柏木古墳は、中山地区にあった古墳です。大正時代に行われた幹線道路の拡幅工事の対象範囲に入っていたため破壊されることになりました。そこで、中山村(当時)の有力者が中心となり大正14(1925)年に発掘調査が行われました。
墳丘は直径約15mで、南に開口する片袖式の横穴式石室を内蔵する円墳です。盗掘された痕跡はなく、中山古墳群の中では内部構造、出土状態、副葬品の全内容が判明している数少ない古墳のひとつです。
副葬品は武器・馬具・装身具・土器で、後期古墳の典型的副葬品のセットと言えます。武器では5口の直刀があり、うち3口は平棟平造りの大刀で倒卵形鐔を具えています。その中には銀象嵌を施したものがあります。馬具では轡と辻金具、装身具は勾玉・管玉・切子玉などの玉類と18点の金環が出土しています。
出土遺物は中山村の関係者や村民の高い文化財保護意識により村外への流失を免れ、中山考古館で大切に保管されてきました。(→過去のコラム「考古博物館雑記③ 「中山地区に誕生した考古館」(No.59)」もご覧ください。)
柏木古墳の出土品は、昭和62(1987)年4月に松本市の重要文化財に指定されました。
中山地区には古墳がたくさん
みなさんご存じの通り、中山霊園を中心としたエリアには「中山古墳群」と呼ばれるほどの古墳が存在している他、中山地区全域で数多くの古墳が存在しています。
中山10号墳や15号墳、小丸山古墳などは現在もその姿を見ることができ、62号墳のように平面復元されている古墳もあります。また、柏木古墳のような破壊され記録でしか残っていない古墳も多くあります。
さらに、中山地区内には多くの古墳があるとされていますが、未調査や未発見の古墳も存在していると考えられています。農作用の土がこんもりしていると思っていたけど、実は古墳だったりということもあり、案外中山に住んでいる方も知らなかったりする古墳もあると思います。
ここにも古墳があります
21号は中山小学校の北側にあります。古墳の上に社があり、ぱっと見古墳とはわかりにくい外見となっています。
小山下古墳は埴原北の反柿公民館の北側にあります。枯れ木があり、こちらもぱっと見古墳とわかりにくい外見をしています。
この古墳は元々存在は知られていましたが、開成中学校のある仁能田山の松枯れによる伐採が進んだことでその姿が見やすくなりました。傾斜にこんもりとしていますが、見やすくなったとは言え、気づく人は少ないでしょうか。ちなみに仁能田山の頂上、開成中学校の敷地内や生妻池の周りにも古墳があります。
さいごに
みなさんご存じの通り、中山霊園を中心としたエリアには「中山古墳群」と呼ばれるほどの古墳が存在している他、中山地区全域で数多くの古墳が存在しています。
中山10号墳や15号墳、小丸山古墳などは現在もその姿を見ることができ、62号墳のように平面復元されている古墳もあります。また、柏木古墳のような破壊され記録でしか残っていない古墳も多くあります。
さらに、中山地区内には多くの古墳があると考えられていますが、その中には未調査や未発見の古墳も存在しています。農作用の土がこんもりしていると思っていたけど、実は古墳だったりということもあり、案外中山に住んでいる方も知らなかったりする古墳もあると思います。
ぜひ中山地区を散策しながら古墳を探してみてください。
※散策の際は交通マナーにお気をつけてください。また、私有地への侵入はおやめください。
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コロナ禍の2020年5月に始まった考古博情報局。約4年間更新してくることができましたが今回が最終回となります。多くの方に読んでいただけたのでしょうか。どこかの記事で1か所でも興味を持ってもらえたものがあったのなら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。職員一同感謝申し上げます。今後とも松本市立考古博物館をよろしくお願いいたします。