松本市内遺跡紹介⑳ 「本郷地区の遺跡~大村遺跡~」

 本郷地区は、松本市の北東、女鳥羽川流域に位置します。昭和49(1974)年に松本市と合併しました。合併前の本郷村は9か村からなる大きな村だったため地区の範囲も広く、地区内には古代~中世にかけて多くの遺跡も確認されています。また、平安時代の遺物や廃寺跡が発見されていることから国府所在地として推定されている場所でもあります。
 地区内の浅間温泉は、江戸時代には城主も利用していたといわれ、明治期以後は温泉宿も増加し松本の奥座敷とも言われるようになりました。

大村遺跡

 大村遺跡は松本市野球場の南側に位置し、現在の行政区画では大字大村、浅間温泉にかけて存在する遺跡です。この辺りは縄文時代の遺跡があり、隣接する柳田遺跡は縄文中期~晩後期の著名な遺跡です。古墳も桜ヶ丘古墳をはじめ、妙義山古墳や御母家古墳が浅間温泉から里山辺御母家にかけての尾根上に確認されています。
 大村遺跡では過去6度の調査が行われていますが、調査以前から古瓦の出土があり、古代寺院の存在が指摘されていました。
 1・2次調査は昭和61~62(1987~1988)年に市営庭球場周辺で実施され、竪穴住居址3軒、掘立柱建物址4棟の検出、土器・陶磁器の他、古瓦・銙帯(かたい)といった特殊遺物が出土しました。3・4次調査は昭和63~平成元(1988~1989)年に実施され、竪穴住居址46軒、掘立柱建物址1棟と古瓦も多く出土と大きな成果となりました。5次調査は平成元年に実施され、市営野球場の改築に伴う調査でしたが、遺構密度は低く、大村遺跡の北限ではないかと推測される調査結果が得られました。
 6次調査は平成15(2003)年に実施され、竪穴住居址36軒、土坑62基、集石遺構15か所、石列5本、溝址4条、流路址5条や人為的に土を盛り上げたとされる台状地形2か所、焼土範囲9か所が検出されました。住居址は古墳時代から奈良・平安時代に属するものがみられます。遺物については、縄文時代から奈良・平安時代、中世にかけての遺物が出土しています。土師器や黒色土器、須恵器、灰釉陶器の他青磁や白磁といった輸入陶磁器、渥美産蓮弁文壷、古瀬戸産碗が出土しました。また、瓦の出土も多く、軒丸瓦は瓦面が確認できる破片が14点で四葉複弁蓮花文、六葉素弁蓮花文が確認できました。他に軒平瓦13点、隅平瓦3点、丸瓦353点、平瓦952点が出土しています。さらに、鴟尾の一部とみられる破片3点が出土しました。3点は大きさ、胎土、形状等から1対の鴟尾の破片と考えられます。全体の大きさは形状等から高さ90cm前後とみられます。

鴟尾の出土状況

鴟尾の出土状況

大村遺跡に古代寺院があったのか

 大村遺跡で注目されているのが、“信濃国府”と“大村廃寺”です。奈良時代末あるいは平安時代初期に小県郡から移転したとみられる信濃国府は、時期・位置ともに諸説ありますが、惣社、大村といった大村遺跡周辺はその推定地の一つになっています。(惣社周辺等で推定信濃国府確認調査が実施されましたが位置の特定をすることはできませんでした。)
 また、大村遺跡の南西の大輔原(たいほうばら)遺跡にて銙帯、円面硯が、北西の柳田遺跡で大型の掘立柱建物の検出が相次いでいたこと、調査以前から古瓦が出土することが知られていたこと、周囲の小字名との関係性から古代寺院が存在していたのではないかと考えられていましたが、過去に行われた発掘調査では寺院に関する有力な遺構は確認されませんでした。
 昭和10年代頃に、競馬場が廃止となり農地化する際に、地元の方が石製地蔵頭(個人蔵)や礎石ではないかとみられる石を発見しています。地名が、寺田等の小字名等として伝承されている点や台状地形の存在も勘案すると、中世以降にも仏教(寺院)関連の何らかの動きがあったのではないかと推測される遺跡です。

展示中の鴟尾

展示中の鴟尾

出土した瓦(一部)

出土した瓦(一部)

 

コラムクイズ

瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種でもある“鴟尾”。どのような意味合いで屋根につけられていたのでしょうか。

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