松本市内遺跡紹介⑲ 「島立地区の遺跡~南栗遺跡~」
島立地区は、松本市街地の西方、奈良井川の西に広がる平坦な地域で、中世における小笠原氏の同族が所領した居館を島の館といったことから島立の地名に生じたと伝わります。梓川の水を引いて早く開けた島立地区は、古代以来、重要な穀倉地帯でした。また、地区一帯は用水堰が網の目のように発達し、この地区を野麦街道・山形街道・仁科街道・和田道・千国道などと呼ばれた安曇や飛騨、小谷村へ通じる街道が通っていました。
文化財も多く、「延喜式」に記載される沙田(いさごだ)神社がある他、旧村社の御乳神社、若宮八幡社、西生寺、正行寺、荒井城がある地区です。奈良井川西岸微高地上に展開する古代集落址として、南栗遺跡、北栗遺跡、三の宮遺跡などがあります。
松本市立博物館の分館「松本市歴史の里」があるのも島立地区です。
南栗遺跡
昭和58(1983)年にほ場整備に伴い発掘調査が行われ、奈良時代から中世にいたる住居址22軒や建物址、土抗、溝、墓址、集石などが発見されました。遺物は、土師器や須恵器、灰釉・緑釉陶器、中世陶器、鉄製品、佐波理鋺(銅鋺)などの青銅製品、銭が出土しています。遺構は見つかりませんでしたが、縄文時代の石器、弥生時代の土器片も出土しました。
昭和60(1985)年に行われた調査では、住居址20軒、掘立柱建物址11棟、土坑130基、礎石1点などが見つかりました。土坑の中には3基の火葬墓もみられました。また、特徴的な遺物として、胴部に梵字らしきものが刻まれた石製の鉢が出土しています。
古墳時代末期から奈良時代を中心とし、平安時代中期頃まで断続的に集落が営まれ、中世に至って墓域の中心地となったものと考えられる遺跡です。
松本市重要文化財の銅鋺
銅鋺は昭和58年の調査終了間際に発見されました。家の貼り床の下、深さ15cmあまりの穴の中に口縁部を上に向けた状態で埋められていました。銅鋺の出土した家は大きさ約7.3m×7.5mの方形で、西壁にカマドがあり、煙道が続いています。この家にかかわる遺物は須恵器の坏・高坏・ハソウ・蓋坏、土師器の坏・甕などがあります。これらの遺物から奈良時代の家とみられます。
銅鋺の口径は13.7cm、高さ5.5cmの丸底のやや深めの鋺です。器壁はろくろにより1.5mmあまりと薄く調整されているが、口縁部では3mmと厚くなり、内側に傾斜しています。器の外面には細い2本単位の沈線2組ずつが、口縁部・胴部・底部にめぐっています。
銅鋺は仏具として使われる場合が多く、長野県内の出土品でこのような完形のものは珍しいです。
コラムクイズ
松本市歴史の里は「たてもの野外博物館」として建物を見てもらう博物館です。メインでもある「重要文化財 旧松本区裁判所庁舎」は移築されこの地に建っていますが、元々どこにあった建物でしょうか。