松本市内遺跡紹介⑬ 「庄内地区の遺跡~筑摩遺跡~」

 松本市筑摩は市街地の南東部に位置し、庄内地区に含まれます。
 庄内地区は市の中心市街地南で、中心市街地と南部エリアを結ぶ南北幹線道路を取り囲む中に位置しています。
 地区内には、善行寺街道の宿場町“出川宿”からなる出川町や庄内町、筑摩、並柳、神田町会が含まれています。

筑摩遺跡

 筑摩遺跡は現在の筑摩1丁目・2丁目と広範囲に及ぶ遺跡で、過去3回調査が行われています。
 第1次調査は平成6年度に行われ、古墳時代中期の住居址が4軒、土坑、溝と奈良時代後半の住居址1軒と土師器(高杯・坩・甕など)や須恵器(杯・甕など)が確認されています。第2次調査は平成8年に行われていますが、過去に大規模な整地・盛土がなされており遺構・遺物の確認ができませんでした。
 第3次調査は平成17年度に筑摩遺跡の南東(現在の筑摩2丁目、筑摩神社の南400mほどの位置)で試掘の結果をもとに71.9㎡の調査が行われました。筑摩周辺は薄川の氾濫の影響が大きい地域ですが、本調査地では氾濫の痕跡がほとんど見られず、比較的安定した場所であったようです。

第3次調査区全景(北から)

第3次調査区全景(北から)

第3次調査結果

 第3次調査では、竪穴住居址3軒、土坑14基、ピット18基、溝が1条確認され、土師器・須恵器・黒色土器・灰釉陶器・釘などが出土しました。
 竪穴住居址は平安時代とされる第1号住居址、古墳時代後期とされる第2号住居址、年代不明な第3号住居址の3軒。第1号住居址では、ほぼ完形の土師器が2点、「尖」の刻書土器が出土しました。カマドは、袖石などの構築材は発見されませんでしたが、西壁南寄りに炭・焼土が集中している箇所があり、カマドの可能性があると考えられます。
 14基ある土坑のうち2基から遺物の出土が確認され、いずれも弥生時代中期後半の土器とみられます。検出された1条の溝は自然流路の氾濫した痕跡と考えられ、覆土中の砂礫は、薄川系のものが含まれます。覆土には18世紀末~19世紀初頭の瀬戸美濃産拳骨茶碗片が含まれていたことから、近世末以降に氾濫したものと考えられます。

「尖」の刻書土器

「尖」の刻書土器

 

コラムクイズ

筑摩神社は国府八幡宮とも呼ばれ、誉田別尊(ほむたわけのみこと)、気長足姫(おきながたらしひめのみこと)などが祭神として祀られています。
筑摩神社の本殿はとある松本藩ゆかりの人物によって建造されていますが、それは何家の人物でしょうか。

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