松本市内遺跡紹介⑦ 「岡田地区の遺跡~岡田町遺跡~」

 岡田地区は、縄文時代から中世(鎌倉・室町時代)にかけて多くの遺跡が分布しており、中でも縄文時代と平安時代の遺跡が多数見つかっています。
 縄文時代では、早期から晩期までの遺構・遺物が発見され、長い年月にわたって集落が営まれていたことがうかがえます。また、平安時代には田溝池周辺に須恵器を生産した窯跡・北部古窯址群(ほくぶこようしぐん)が広がり、県下最大級の須恵器生産地帯でした。そして、土師器焼成坑(はじきしょうせいこう)や粘土貯蔵用土坑の存在から、地区内には土師器を生産していた集落もあったと考えられ、岡田地区の奈良・平安時代は北部古窯址群の須恵器生産とともに集落が変遷していったと推定されます。

岡田町遺跡

 岡田町遺跡は、善光寺街道・岡田宿の西側に位置します。遺跡の近くには女鳥羽川が流れ、本遺跡が生活の舞台であったころから生活に密接にかかわっていたとされます。
 調査の結果、竪穴住居址が110軒(古墳時代4軒、奈良~平安時代99軒、時代不明7軒)見つかり、9世紀以降とみられる掘立柱建物址が21棟、平安時代の土師器焼成坑2個なども見つかっています。さらに中世以降の火葬墓が6個、珍しい形の硯・堤瓶形硯や円面硯、瓦といった特殊遺物の出土も確認されています。
 奈良・平安時代以前からも人々が生活していた様子がうかがえますが、以上のことからも本遺跡が全盛期を迎えていたのは奈良・平安時代とされるでしょう。

堤瓶形硯

堤瓶形硯

材質の異なる軒丸瓦

 岡田町遺跡から須恵質の軒丸瓦が出土しています。この瓦には単弁8葉蓮華文が飾られていて、同じ模様で土師質の瓦が同地区“宮の前遺跡”から出土しています。須恵質と土師質と製造方法が違いますが、同じ模様が出ていることから同じ型を用いて作ったと考えられます。
 これらの軒丸瓦は、サイズが小さいことも特徴です。松本市内で瓦が大量に出土した大村遺跡の軒丸瓦と比べると2/3ほどの大きさで、そのサイズ感から寺院や役所の屋根に葺くのに使用されたとは考えにくく、どのような用途で使用されたのかわかっていません。

軒丸瓦(左:岡田町遺跡出土、右:宮の前遺跡出土)

軒丸瓦(左:岡田町遺跡出土、右:宮の前遺跡出土)

報告書No.99 P146より

報告書No.99 P146より

 

コラムクイズ

岡田地区には岡田宿があり宿場町でした。塩尻市洗馬から始まり、岡田宿から刈谷原(かりやはら)峠を越えてつながる街道はどれでしょう。

3つの中から選択してください