松本市内遺跡紹介⑤ 「和田地区の遺跡」

 和田地区は、松本の中心市街地の西側に位置し、梓川と鎖川に挟まれた扇状地にあります。現在は米や野菜の栽培が盛んな地ですが、考古学的な調査成果から、弥生時代後期や古墳時代から続く集落はなく、7世紀末頃から開発が始まった一帯であることが判明しています。
 また、地区内の歌碑公園には明治から昭和にかけて活躍した俳人・歌人の作品を刻んだ歌碑があるなど、文化薫る土地です。

和田太子堂遺跡

 梓川と鎖川により形成された扇状地の緩斜面にあり、古墳時代と平安時代の集落跡があったと考えられ、遺跡の範囲に重なる形で現代の集落が存在しています。
 平成25年度の第1次発掘調査では、遺跡の性格を把握するような成果は得られませんでしたが、第2次調査で、9世紀後半の竪穴住居跡とともに、多くの土器が見つかりました。住居跡の中には、鍛冶炉跡とカマド跡の両方が見つかったものがあり、住居兼工房であったと考えられます。また、集落を囲う区画用と考えられる溝が見つかりました。さらに、時期や用途が不明の穴から鳥形の銅製品が出土しました。不明な点は多いものの、他の遺物と同時期の品であれば、非常に貴重な出土例となるかもしれません。
※和田太子堂遺跡の遺物は整理作業中で、展示公開はしておりません。

住居兼工房の遺構

住居兼工房の遺構(クリックで拡大します)

鳥形銅製品

鳥形銅製品

三間沢川左岸遺跡

 昭和62年に始まり8度の調査が行われ、平安時代の大きな集落跡や有力者の存在を示す銅製品や、中国製の白磁、緑釉陶器、墨書土器が出土しています。
 9世紀中頃には、高度な土木技術の伝来により、水が得にくく未開発地であった当地に大規模な水路が開削され、開墾者たちの大集落が10世紀後半まで営まれていました。第8次調査では、幅は推定10m以上、深さは1m以上の巨大な水路の跡が見つかっています。また、大規模な水路は後に使用されなくなり、小規模な水路が生活の中心になったということも判明しています。古代の水路の開発および流路管理が現在の水田の繁栄をもたらしているのでしょう。
※三間沢川左岸遺跡の出土遺物については今後別の回で紹介をする予定です。

流路内作業風景

流路内作業風景

 

コラムクイズ

和田地区にある博物館施設「○○記念館」は、和田地区出身の歌人の生家のお向かいに建てられています。誰の記念館でしょう。

記念館

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