常設展展示紹介⑭ 「古代の開発」

奈良・平安時代の松本平

 奈良時代、天皇を中心とした国づくりが進み、律令(りつりょう)による地方統治が行われました。
 古代の松本は筑摩郡と呼ばれていました。平安時代の初めに、小県(ちいさがた)から筑摩郡に国府が移されてからは信濃国の政治の中心として栄えました。「松本」という地名がおこるまで、この地域は国の中心を表す「府中(ふちゅう)」や「信府(しんぷ)」の名で呼ばれていました。
 古代の松本地域でのあちこちでは土地の開発が進められ、当時の大きなムラの跡からは、有力者の大きな家や庶民の家、倉庫や用水路が見つかり、そこからは様々な生活の道具が出土しています。

平安時代の大きなムラ(川西開田遺跡の想像図)

平安時代の大きなムラ(川西開田遺跡の想像図)

※律令 … 奈良・平安時代の法律。律は刑罰についての規定。令は政治・経済などの一般行政に関する規定で役人が守るべきことを定めたものです。
 
※国府 … 律令制度のもと、地方支配を任じられた国司が、政務を行った役所(国衙:こくが)の置かれた場所。10世紀に編纂(へんさん)された「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」には、「国府在筑摩郡 行程上廿一日 下十日」と記されており、筑摩郡に国府があったことがわかります。

 

コラムクイズ

古代の松本市域には、政治的な情報伝達の路(駅路:えきろ)の一つが通っていました。松本市域を通っていたこの駅路を一般にはなんと呼んでいるでしょうか。

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