常設展展示紹介⑨ 「弥生時代の葬送」
人間だれにでも死が訪れ、死者を弔(とむら)うことは、先祖との繋がりを維持するための非常に大切な儀礼(ぎれい)です。弥生時代には、松本でも新しい葬送儀礼(そうそうぎれい)が現れます。
再葬墓って何?
再葬墓とは、壺のなかに遺骨を納め、1つの穴にいくつもの壺を埋めたお墓です。壺のなかに複数人の骨が納められることもあります。縄文時代末から弥生時代初めの東日本でみられるもので、針塚遺跡では、5つの墓穴に16個の土器が納められていました。
縄文時代から土器に遺骨を納める習慣はありました。土器を母親のお腹の中にみたて、遺骨を入れることで、もう一度産まれることを意味するのではないかと考えられています。同じ穴に複数の壺を埋めることは、家族と同じ墓に入ることと同様に、先祖との繋がりを大切にしていたからだと言われています。
礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)
針塚遺跡のような再葬墓は、弥生前期から中期前半までの約100年間の限定的なものです。その後は、この地域(弥生時代中期の長野県と群馬県)に特有の礫床木棺墓などが主流になります。穴の底に小石を敷き詰めた上に木棺を設置する形式のお墓です。
横田古屋敷遺跡の礫床木棺墓からは、6~10歳、20~39歳、40~59歳の3人分の骨が出土しました。いずれも、白骨化した後に火葬され、骨だけが埋葬されたようです。再葬のプロセスとの類似性が感じられます。
コラムクイズ
出川南遺跡では、土偶(どぐう)のような顔をもつ「土偶形容器(どぐうがたようき)」や、人の顔をかたどった「人面付土器(じんめんつきどき)」が出土しています。このような土器に入れられていたと考えられるのは次の内どれでしょう。