松本市内遺跡紹介⑱ 「松本城三の丸跡~過去の調査から見る三の丸2~」
前号に引き続き松本城三の丸跡の紹介です。今号は出土品から見る武家屋敷のくらしの様子を紹介いたします。
武家屋敷のくらし ~食~
江戸時代になると、各々が自分のお膳で食事をとる習慣が普及し、一汁二菜・三菜が定着していきます。江戸時代中頃になると流通する食材も増え、食の環境が豊かになります。そうしたことで、新たな料理が生み出され、それまで見られなかった食膳具や調理具が登場するようになります。食膳具は、皿の種類が増え、深鉢や小碗が登場するようになり、調理具はすり鉢以外に捏ね鉢や練り鉢が増え、煮炊き用の内耳鍋に加え、行平鍋や柳川鍋が使われるようになりました。
食の道具の大半は焼物で、松本では地理的に近い瀬戸・美濃の焼物の比率が高いのが特徴です。ただ、肥前産や京・信楽産の陶磁器も出土していることからある程度の流通があったことがわかります。特に、肥前産の染付磁器の大量生産が行われると、松本城の武家屋敷や町人地に大量に流通していたようです。
武家屋敷のくらし ~生活~
江戸時代は武家のみならず庶民も含め、趣味を楽しむ人が増えました。出土品から趣味に興じていた様子を見ることができます。
① 遊び
江戸時代には、古代・中世の伝統の下に新たな文化や遊びが生まれました。土居尻の調査では羽子板や碁石・将棋の駒が出土しています。碁石や将棋の駒の出土はありますが、盤はまだ確認されていません。
また、草花の栽培・鑑賞、小鳥の飼育が盛んになり、狭い場所でも栽培できる植木鉢や小鳥の餌や水を入れる餌猪口(えじょく)も多数出土しています。餌猪口の底には人名の墨書があるものも見つかっています。
② 嗜み
・煙草(たばこ):武家屋敷や町屋の調査では、必ずといっていいほど煙管が出土します。煙草が日本に伝わったのは16世紀末ですが、江戸時代に急速に喫煙の習慣が広がりました。江戸時代後半の松本地方は煙草が特産品でした。生坂村のお寺の住職が長崎から煙草の種を持ち帰り、栽培したのが始まりとされ、生坂村を中心に栽培が広がり、名古屋や江戸へ多量に出荷されました。
・茶の湯・煎茶:安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、抹茶を嗜む習慣が広く普及しました。三の丸の武家地だけでなく、城下町の町屋からも茶器が出土することから茶の湯を嗜む町人がいたことがうかがえます。三の丸の中・上級武家地からは、織部・志野・黄瀬戸製品などの桃山陶器の茶器が多数出土しています。しかし18世紀後半以降は中国から伝わった煎茶が流行するようになります。幕末から明治期にかけての遺構からは小形の煎茶碗や急須、涼炉が出土するようになります。
③ 化粧道具
紅や白粉、お歯黒、髪結いといった化粧の習慣が普及することにより、鬢(びん)付け油を入れる油壷や髪をすく櫛を鬢付け油に浸す容器の鬢水入れといった様々な化粧道具が出土しています。
江戸時代の紅は、高価なものでした。磁器製の紅猪口と呼ばれる容器に少量塗られて売られていました。紅猪口の内側に紅が塗られ、通常は伏せて置かれるため、外側に文様が施されるという特徴があります。
④ 信仰の道具
各家に仏壇を祀る習慣は、寺請制度の普及と先祖信仰に習って、17世紀後半に定着したものと考えられます。家々には仏壇が祀られ、合わせて神棚も設けられるようになります。神酒徳利や仏花瓶、香炉、仏飯具などが出土しています。
おわりに
松本城三の丸跡の発掘調査が進むことで、松本城主に仕える上級武士の暮らしや絵図や文献の記載にはない新たな発見や裏取りが可能となります。6家7代(23人)と入れ替わった松本城主ですが、歴代城主にまつわる品々が出土することで、松本の歴史解明につながってくることでしょう。また、松本城外堀南・西外堀の復元や内環状北線の整備に伴う発掘調査が行われています。今後の調査結果をみなさんもぜひチェックしてみてください。
来年秋にオープン予定の新博物館も三の丸跡に建設されています。松本の歴史文化を伝える施設としてどのような博物館になるのか楽しみですね。
コラムクイズ
三の丸(現在の松本市役所本庁舎)に開校した松本藩の藩校は何という名前でしょうか。