松本市内遺跡紹介⑯ 「本郷地区の古墳~桜ヶ丘古墳~」
本郷地区は、松本市の北東、女鳥羽川流域に位置します。昭和49年に松本市と合併しました。合併前の本郷村は9か村からなる大きな村だったため地区の範囲も広く、地区内には古代~中世にかけて多くの遺跡も確認されています。また、平安時代の遺物や廃寺跡が発見されていることから国府所在地が推定されている場所でもあります。
地区内の浅間温泉は、江戸時代には城主も利用していたといわれ、明治期以後は温泉宿も増加し松本の奥座敷とも言われるようになりました。
桜ヶ丘古墳
桜ヶ丘古墳は、浅間温泉街の南東に突き出た丘陵の突端に位置します。自然の浸蝕作用や人為による破壊が墳丘全面に及んでいましたが、昭和29年に女鳥羽中学校の生徒によって偶然発見されました。翌年に行われた学術調査では、古墳の上部は崩れていたものの、主室と副室の大小2つの石室が確認され、出土遺物から5世紀後半に築造された竪穴式石室の円墳であると推定されます。武具・武器を副葬品の主体とする桜ヶ丘古墳は典型的な中期古墳ですが、深志盆地を俯瞰する山頂に立地し、粘土で被覆された石室構造をもつことから古式古墳の残映もうかがえます。墳丘規模は、直径約30m、高さ約5mとみられ、石室は長さ2.5m、幅1.2m~1.3mと推定されます。
長野県宝指定の出土遺物
本古墳の遺物は、金銅製天冠や玉類などの装身具類と、刀、剣、鉾、鏃、甲冑一式(三角板革綴衝角付冑・革綴頸甲・長方板革綴短甲)などの武器・武具類で、竪穴式石室に一括で副葬されていました。武具・武器が中心のことからこの地域の豪族であった被葬者が武人的な性格を兼ね備えていたことを示したと推察されます。
出土遺物の中でも“天冠”は近畿地方を中心に全国で40例(※1)ほどしか発見されておらず、長野県では桜ヶ丘古墳でしか見つかっていない貴重なものです。この天冠は両面に金鍍金を施した厚さ約1ミリメートルの銅板を素材とし、鉢巻き状の冠帯(細帯式)に3本の立飾りがついています。冠帯は中央の立飾りと一体で、上辺は緩やかな山形を呈しています。中央の立飾りは3つに分岐する花形装飾があったと推定され、左右には鳥翼状立飾りがつきますが、右側の飾りは埋葬当時から欠損していたようです。
古墳時代の冠は朝鮮半島に起源をもち、政治的な権威を示す象徴品と考えられています。桜ヶ丘古墳の天冠は、中央の花形装飾と鳥翼状立飾りが伽耶諸国(※2)の冠に類似することが指摘されており、被葬者が朝鮮半島と何らかの関係にあった可能性が示唆されていますが、詳しいことはわかっていません。
金銅製天冠は昭和44年5月に長野県宝に指定され、その他の出土遺物63点は平成22年10月に一括で県宝に指定されました。出土品は考古博物館にて展示されています。
※1:平成10年刊行の「松本のたから」を参照。
※2:1世紀~6世紀中ごろにかけて朝鮮半島の中南東部に散在していた小国連盟。
コラムクイズ
桜ヶ丘古墳は中学生がとある研究の途中に発見されました。中学生はなんの研究をしていたでしょう。