松本市内遺跡紹介⑭ 「松南地区の古墳~平田里古墳~」

 松南地区は、松本市のほぼ中央に位置し、南松本駅周辺をはじめ、各種工場・事務所、一般住宅が立ち並び、松本市南部の商工業の中心として栄えている地区です。出川西、出川南遺跡や多賀神社、自衛隊松本駐屯地があることで知られる地区でもあります。
 第2次世界大戦の前後までは広い畑地で、小麦や桑が栽培されていましたが、戦後に国道19号線の開通に伴い市街化が進みました。

平田里古墳

 平田里は“ひったり”と読み、古墳発見地の小字名から名前がつけられました。
 平成3年に行われた出川南遺跡の発掘中に発見された古墳で、3基確認されました。いずれも墳丘と被葬者を納めた石室は既に破壊されていましたが、見つかった周溝から1号墳は直径24m、2・3号墳は1号墳より小さく直径8~12mほどの大きさとみられます。5世紀代から6世紀にかけて続けて築かれたと推察されます。1号墳の濠底には、葬礼の際に飲食に使用したとみられる土器が3か所ほどまとめて置かれていたのも確認されています。
 また、葺石と埴輪列が確認されており、墳丘の上に並べてあった埴輪は濠の中に転がり落ち、壊れた状態で大量に発見されています。松本平の古墳で埴輪が出土した例は無く、初めての発見となりました。復元された埴輪は140点ほどあり、墳丘のなかほどを巡っていたとすれば1.5m間隔で林立していたことになります。埴輪は普通円筒・朝顔形埴輪・形象埴輪が確認され、人物埴輪は確認されませんでした。形象埴輪には水鳥や鶏、犬(あるいは猪)とみられる動物のものがあります。また、樽形ハソウをまねた器財埴輪も確認されています。埴輪の製造は5世紀後半と比定されます。
 出土遺物は周溝内からは確認されており、須恵器の高坏やハソウ、子持ちハソウなどは優品で、5世紀後半から6世紀初頭とみられます。鉄器には鏃・刀子・U字形の鋤頭・馬具があります。馬具は楕円形鏡板付轡と鉸具一括で、馬骨はなかったものの馬の殉葬も考えられます。

平田里古墳出土品の展示の様子

平田里古墳出土品の展示の様子

平田里1号墳 石室のナゾ

 平田里1号墳は、須恵器の優品と馬具が確認されていながら、その内部主体に横穴式石室を採用していないといった不思議な点があります。一般に古墳中期まで、古墳の内部主体は、被葬者の地位により異なっていますが、後期にはいると前方後円墳も小円墳も一律に横穴式石室を採用するようになります。科野国造氏は6世紀前半、すでに本貫の地と考えられる飯田地方で横穴式石室を構築しています。したがって、筑摩郡内に国造一族が勢力をのばしていたら平田里古墳でも横穴式石室が採用されるはずなので、平田里古墳の築造者は科野国造氏以外の氏族ということになるのでしょうか。

発掘時の平田里古墳

発掘時の平田里古墳

 

コラムクイズ

埴輪には円筒埴輪や形象埴輪(動物や人物、家)といったさまざまな形がありますが、出現が一番早い埴輪はどれでしょうか。

3つの中から選択してください