松本市内遺跡紹介⑥ 「寿地区の遺跡~前田木下遺跡~」
寿地区は松本市の南東部に位置し、縄文時代~平安時代にかけて多くの遺跡が見つかっています。
南北に細長い地区の北部~中部は弥生時代の遺跡が多く、弥生時代を代表する“百瀬式土器”が見つかった百瀬遺跡もその一つです。南部は、塩尻市域に突き出した赤木山の山中から縄文時代中期の遺物が多く見つかり、縄文時代から中世にかけていたるところで集落が営まれていました。赤木山の北東に広がる緩斜面は、鉢伏山から流れる塩沢川によって形成された扇状地が広がり、縄文時代に集落が営まれ、平安時代から中世にかけても大きなムラがあったことが調査の結果わかりました。
前田木下遺跡
前田木下遺跡は赤木山の丘陵の西南端に位置する遺跡です。遺物の時期は縄文時代中期を主体とし、縄文時代前期から後・晩期、弥生時代中期、古墳時代、平安時代の各時代にわたります。特に縄文時代中期の土器と石器が多量に出土している点が注目されます。また、住居址間で遺物の出土量に著しい差が見られたことも特徴の一つです。
出土遺物は縄文時代中期のもの以外にも弥生土器や土師器、須恵器、陶器類、古銭が出土しており、遺物に伴って弥生時代・平安時代の住居址も発見されています。
また、住居址の中には柱穴のないものや炉の推定地に焼土が伴わないものも確認されました。これは遺構確認面が極めて砂性の強い土のため埋没や崩落の痕跡が検出し難く、焼土も残りにくかったためと推測されます。
これらのことから縄文時代中期の集落址を主体として、奈良平安時代の居住跡、中世のものと推定される方形の土壙がそれらに重複して存在するという様相で捉えられます。
縄文時代中期の土器
縄文時代中期はそれまでの土器のデザインから装飾的となり立体的かつ複雑な文様がつけられるようになった時期です。新潟県を起源とし、千曲川流域でも作られた火焔型土器や八ヶ岳山麗の水煙文土器が誕生した時期でもあります。
前田木下遺跡からは、複雑なデザインの土器の全盛期が終わる頃の土器が出土しています。口縁部が大きく広がりくの字状に内弯した大木8b式古段階新相の深鉢や曽利Ib式の深鉢、梨久保B式の褶曲文土器が確認されています。褶曲文土器は中山地区や内田地区の遺跡でも見つかっている他、県内でも中信域を中心に広がったとみられます。
火焔型土器をはじめとした複雑なデザインの土器の全盛期は80年ほどで終わってしまいますが、その後、土器の文様は植物文様に変化し「唐草文系土器」が誕生するきっかけになったのでしょう。
(褶曲文:弧線を何本か平行に引いてつくる文様)
コラムクイズ
火焔土器が初めて出土したのは新潟県の「馬高遺跡」という遺跡です。「馬高遺跡」は何市にある遺跡でしょう。