☆化石新聞第6刊☆

アンモナイトの由来

アンモナイトの名前の由来は、ヨーロッパで信じられた神様「アモン神」とギリシャ語で石を表す「lites(アルファベット表記)」から来ています。アモン神の頭にはアンモナイトのようにクルクル巻いた角がついています。その角に似ていることからアンモナイトという名前になったということは、とても興味深いですね。

過去のぬりえ大賞受賞作品のアンモナイト

過去のぬりえ大賞受賞作品のアンモナイト

アンモナイトの進化

実は、アンモナイトはポケモンのように進化したと言われています。アンモナイトの化石をよ~く観察すると、仕切りがあるのが分かります。その仕切りがシンプルなものから、徐々に曲線を描き複雑になっていったと言われています。最もシンプルなものからゴニアタイト、やや複雑なセラタイト、枝葉のように複雑なアンモナイト(狭義のアンモナイト)と進化しました。

アンモナイトのレプリカ

アンモナイトのレプリカ

色々なアンモナイト

アンモナイトのサイズとして、手のひらサイズのものから直径2.5メートルにも及ぶ化石も見つかっています。また、形は、皆さんがなじみのある渦巻状のものだけではなく、棒状のもの、巻き方に規則性がないものも存在します。後者は、異常巻きアンモナイトと言われ、日本で見つかることが多いことから、ニッポ二テスと名付けられた種類もいます。

2階に展示中のアンモナイト

2階に展示中のアンモナイト

アンモナイトの仲間達

アンモナイトは、貝のように見えますが、貝類ではなく頭足類という種類です。今でいえば、イカやタコの仲間です。頭と足が一緒についているため、頭足類と言われています。アンモナイトはイカやタコのご先祖です。殻を使わないため、退化してしまったと考えられます。ここで、豆知識です。イカの中でも殻の名残がある種類がいます。よくお寿司屋さんで目にするコウイカです。コウイカは殻こそないものの、体内に殻の名残である甲羅が残っています。コウイカを見かける機会があったらぜひよくよく観察してみて下さい。

コウイカの甲羅(現生)

コウイカの甲羅(現生)

最後に

以上、アンモナイトについてでした。アンモナイトは残念ながら絶滅してしまいましたが、かわいらしいフォルムで皆さんには人気ですので、化石館に来てゆっくり鑑賞してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

☆化石新聞第5刊☆

化石から分かること

こんにちは!今回は、化石新聞第5刊「化石から分かること」についてです。化石にはいくつか種類があるのはご存じでしょうか?今回はいくつかの種類を紹介しながら、化石から分かることを考えていきます。

示準化石(しじゅんかせき)

化石として見つかった生物が、いつの時代を生きたかを知ることができる化石を、示準化石と言います。例として、アンモナイトや三葉虫が挙げられます。三葉虫は古生代のカンブリア紀に現れ、ペルム紀末期に絶滅しました。アンモナイトは古生代のデボン紀に現れ、中生代の白亜紀末期に滅亡しました。また、同じ三葉虫やアンモナイトでも、徐々に進化したり衰退したりしたので、それぞれの特徴から、より詳細な時代が分かります。

2階に展示中のアンモナイト

2階に展示中のアンモナイト

示相化石(しそうかせき)

化石として見つかった生物の生きた当時の環境が分かる化石のことを示相化石と言います。例えば、四賀でよく見つかるニシンのウロコの化石です。ニシンは海に泳ぐ魚で、今では北海道などの寒い海に生息しています。つまり、ニシンのウロコの化石から、松本市四賀には昔寒い海が広がっていたことが分かります。他にも、サンゴの化石なら暖かくて浅い海が広がっていたと分かるでしょう。

ニシンのうろこ化石

ニシンのうろこ化石

生痕化石(せいこんかせき)

虫がはった跡や恐竜の足跡など、生き物が生きた痕跡が分かる化石を生痕化石と言います。四賀化石館には、とても大きな虫のはい跡の生痕化石がありますので、お越しの際はぜひゆっくりご覧になってください。

1階に展示中の虫のはい跡

1階に展示中の虫のはい跡

生き物の特徴が分かる化石

以上のような化石以外にも、生き物の特徴が分かる化石もあります。お子さんに大人気のティラノサウルスの歯は、バナナのようなブレード状になっており、大型の動物を強靭な歯で噛みちぎって食べていたということが分かります。また、シガマッコウクジラの全身骨格化石が典型例です。歯を見れば、上下に恐竜のような大きな歯が並んでいます。この歯を調べることで、シガマッコウクジラがトドなどの大型動物を食べる肉食動物で、獰猛な性格だったと分かります。

シガマッコウクジラ全身骨格化石

シガマッコウクジラ全身骨格化石

最後に

以上、化石新聞第5刊でした。皆さんも、四賀化石館にお越しの際は、ただ展示品を鑑賞するだけではなく、化石から分かることはないか、その生物が生きた時代はどのような環境だったかなど、いろいろなことを想像しながら巡ってみてください。自分が海の中にいるように好奇心を持って鑑賞するととても面白いですよ!

 

☆化石新聞第4刊☆

化石とは?

こんにちは!今回は化石新聞第4刊~化石とは?~のご紹介です。皆さんは化石とは何かご存じですか?化石とは、「我々人類が誕生する前に生きていた生物の死がいや痕跡が長い時間をかけて堆積し、地表から見つかったもの」です。「我々人類が誕生する前に生きていた生物」のところが重要です。ここテストに出ます(笑)お客様から「人間の化石はありますか?」「ミイラは化石ですか?」と質問をいただくことがあります。答えは、NOです。化石の定義は研究者によって異なることが多く難しいですが、このポイントだけ覚えましょう!

1階に展示中の貝化石

1階に展示中の貝化石

化石のでき方

続いて、化石のでき方についてです。化石は以下のような手順でできます。
①我々人類が誕生する前に生きていた生物の死骸が海などの底に横たわる。
②死骸の上に泥や砂が積もる。(泥や砂でパックされる)
③長い年月をかけて砂や泥の層ができ、硬い岩石になる。(地層)
④地震などの地殻変動で地面が盛り上がる。
⑤盛り上がったところから化石が見つかる。

岩井堂の砂岩層

岩井堂の砂岩層

化石の神秘

化石のでき方を見ると、化石ができることが奇跡的なことだとお分かりいただけると思います。それこそ天文学的確率です。①~⑤の1つでも欠けたら化石はできませんし、見つかりません。化石が発掘されることは本当に神秘的なことです!何万匹、何億匹といった生物が生きた中でも、現在化石となって発見されるのはごくわずか。そして、大発見の裏には、何人もの学者達の地道なクリーニング作業、調査研究作業があります。だからこそ化石館は、多くの方々の素晴らしい成果の集まりです。ご来館の際はぜひ一点一点をゆっくり鑑賞してみてください。

最後に

以上、今回は化石についてのご紹介でした。夏休みの自由研究やこれからの学びのきっかけになれば嬉しいです。

 

☆化石新聞第3刊☆

会田富士のご紹介

こんにちは!今回は「会田富士」のご紹介です。「富士?なんのこと?四賀にあるの?」と不思議に思ってしまいますよね。結論から言いますと、「会田富士」とは松本市四賀北部にそびえる山、虚空蔵山のことです。富士山のような綺麗な台形をしているため、昔から地元の方々に「会田富士」と呼ばれて親しまれています。特に冬の四賀小学校からの眺めは、頭がうっすら雪化粧をしており、本物の富士山のようで大変綺麗です!登山道が整備されており、アクセスも比較的良いので、夏場は登山を楽しんでいただくことができます。

会田富士の魅力

ここで、虚空蔵山の魅力を2つご紹介します。1つ目は「自然の豊かさ」です。登山の道中では、ツツジなど様々な花々を愛でることができ、山頂からは筑北村方面の見事な景色を眺めることができます!

2つ目は「歴史的趣を感じられること」です。虚空蔵山には中世の時代(1300年~1600年ごろ)に、虚空蔵山城という立派なお城がありました。虚空蔵山城は、四賀会田地区に住み着いた会田海野氏という国衆(戦国大名に仕える者)が、築城し本拠としました。現代に例えると、戦国大名が本社の社長、国衆が子会社の社長といったイメージです。会田海野氏は元々深志城(現松本城)を本拠とした小笠原氏に仕えていました。その後武田氏に仕えましたが、武田氏が織田信長に滅ぼされたことで、会田氏は孤立してしまいます。そして、元々武田氏が支配していた領域を誰が確保するのかという争いの中で、皮肉にも以前仕えていた小笠原氏に滅ぼされてしまいました。こうして会田海野氏は滅亡を迎えたため、虚空蔵山城も落城してしまいましたが、
現在もなおこのお城の一部が残っています。

最後に

皆さんもぜひ、自然豊かで歴史的な「会田富士」に訪れてみてはいかがでしょうか?四賀地区は化石だけじゃないんだと知っていただけたら嬉しいです!!!

 

 

 

☆化石新聞第2刊☆ 

長野県天然記念物現地保存「穴沢のクジラ化石」のご紹介

こんにちは!化石新聞第2刊は、現地保存「穴沢のクジラ化石」の紹介です。昭和11年12月13日、四賀地区穴沢川の左岸で砂防工事中にクジラの化石が発見されました。
穴沢のクジラ化石

この化石が発見された昭和11年は、第二次世界大戦開戦のわずか3年前です。よって、一般人が化石の研究や動物の進化について考える余裕などありませんでした。このような時代背景の中、当時の会田村(現四賀地区会田)は、この化石を貴重なものとして現地保存し、天然記念物として申請すべく多額の金銭を投じました。今から80年以上前の関係者の先見の明によって、13個の椎骨、9本の肋骨が産出したままの状態
で保存され、今なお残っています。昭和13年に長野県天然記念物に指定され、昭和48年に「穴沢のクジラ化石」として再指定されました。今では「松本のたから」として多くの人に親しまれています。

最後に

皆様も、四賀に立ち寄った際はぜひ「穴沢のクジラ化石」を鑑賞してみてはいかがでしょうか。「穴沢のクジラ化石」の詳しい場所が知りたい方は、化石館にお立ち寄り下さいませ。

 

 

☆化石新聞創刊号☆

化石新聞刊行スタート

こんにちは!当館ホームページにて、「化石新聞」を定期的に掲載することになりました。化石新聞では、当館の展示品のご紹介や四賀地区の魅力、化石・地質に関することなど、様々な情報をお届けします。

化石館のはく製とインスタ映えスポットのご紹介

記念すべき第1刊は、当館のインスタ映えスポットのご紹介です!皆さんは、化石館にたくさんの動物の剥製があるのをご存じですか?実は化石館には化石だけではなく、貴重な剥製が展示されています。これらの剥製は、あの居酒屋グループ「養老乃瀧」の創始者木下藤吉郎氏(本名:矢満田富勝氏)に寄贈いただいたものです。現在、当館の2階展示室に展示しています。そんな動物たちの剥製の中でひと際目立つ動物がいます。百獣の王ライオンです!!!そんなライオンと記念撮影ができるインスタ映えスポットをご用意しています。体長2メートル超えの雄ライオンと間近で写真が撮れるのは当館だけだと思います!動物園でもかないません。ぜひともご家族でライオンと一緒に記念撮影をしませんか?

ライオンのはく製