上條館長の山城案内 山家城
山家城 やまべじょう(松本市入山辺中入)
昭和45年10月22日長野県史跡に指定
今回は山家城(やまべじょう)です。
この山辺地区は古くは諏訪氏(神氏)が支配していました。その一族の山家氏が鎌倉時代に居城を築いたとされます。その後、小笠原氏に滅ばされたあと、16世紀に折野薩摩守昌治(おりのさつまのかみまさはる)(のちに山家氏を称す)が播州姫路(ばんしゅうひめじ)からこの地に来てこの地を治めました。その時、城の基礎が作られ、武田氏が改修、増強しながら使用されたと思われます。
さて、登城口は徳運寺(とくうんじ)の墓地の横からと徳運寺の東の道を上がった所と2か所ありますが、後者はかなり、道が荒れているので、徳運寺側から登ったほうがよさそうです。(R3,8月現在)
まず、徳運寺を目指します。旧山辺学校校舎から東へ約4.5km、車で7,8分で徳運寺入り口になります。この路地を左折します。
徳運寺になります。
城には門の左手の墓地の道をのぼっていきます。
墓地を抜けると草藪が。写真の位置を左側にのぼります。
8月は草ぼうぼうで、わかりにくかったです。横に生えているキウイのつるも邪魔をします。この道、左側の路肩が欠けていますので、十分注意して登ってください。きっと、秋祭りの時には整備されると思います。
フェンス沿いの道をのぼります。
鳥獣除けフェンス入り口に着きますので開けて入っていきましょう。
すぐに白山大権現(はくさんだいごんげん)の社が見えてきます。その上にも鳥居と稲荷社がありますので、そちらに向かってください。
そこからは山道を登っていくのですが、結構な坂ですので休み休みいきましょう。
途中の堀切(ほりきり)は深く長く、横堀(よこぼり)の役割をしています。
アップダウンしながら登っていくと、西尾根の曲輪(くるわ)に着きます。ここは55×18mの広いスペースです。
ここから深い横堀と高い土塁(どるい)を越えていきます。
するとすぐに中核となる主郭(しゅかく)地域に入ります。目の前に高くせりあがっている東尾根があるため、堅牢に見えます。ここを右に回り込み、南西から主郭に入ります。地元の方が道を作ってくださったので何とかなりますが、結構急なのぼりです。
主郭は27×19m。背後には高い土塁が。三方に土塁が築かれています。
小笠原の城の特徴の石積みが見られます。
特に東側はとてもきれいに残っています。ここが見所です。
主郭からは林大城(はやしおおじょう)、林小城(はやしこじょう)がよく見えます。
桐原城(きりはらじょう)にもありましたが、背後に五条の連続堀(れんぞくぼり)が見事に残っています。深さも高さも桐原城をはるかに凌いでいます。ここも見所です。
その奥に秋葉神社(あきばじんじゃ)があり、奥にも後郭(うしろくるわ)が見られ、竪堀(たてぼり)などが整備されています。こちらは武田氏によって増築されたのでしょう。
西尾根の曲輪からへ下る道が宮坂先生の縄張り図にもあったので、下りてみましたが、倒木がひどく、道もほとんどわかりません。ジグザグに沢に下りていきましたが、やはりこちらの道は整備されるのを待った方がいいみたいです。
ちなみに徳運寺から山手に向かうコンクリートの道をあがり、写真の位置を左に向かうと
入り口があります。
山家城は広大な城です。主郭まで30分ほど、全部の尾根を回るとそれから1時間は欲しいところです。 急坂も多いですが、ここ山辺では一番スケールの大きい山城かもしれません。ぜひ、トライしてみてください。