Vol. 100 松本筑摩高校生の皆さんと街歩き(R7.1.15 文責:本間)
令和6年6月から開催している松本市立博物館・松本筑摩高等学校連携の連続講座。11月14日(木)に第4回目を実施しました。
本講座では、松本高等学校出身の作家を中心に取り扱ってきました。今回の街歩きでは、松本高等学校(旧制)の学生たち(以下、松高生)がよく訪れていた場所を巡りました。
巡った場所は松本城太鼓門・かき舟・塩川・鯛萬の井戸(旧鯛萬)・上土シネマ(旧電器館)・東すし・縄手通り・弁天・おきな堂・四柱神社・枡形跡広場(旧鶴林堂書店)の計11か所ですが、ここではピックアップして紹介します。
1 塩川(松本市大手4-12-8)
昔の松本には映画館がたくさんありました。塩川は松高生が映画を見た後によく行っていたお店で、甘味を味わえる喫茶です。
松本高等学校出身の作家・北沢喜代治の小説にも登場しています。塩川が描かれている部分を引用します。
「それは町の盛り場に近い、塩川という喫茶店だった。[中略]お茶が運ばれて来て、運んで来た娘がかえりしなに、側のストーブをいじると、一時に火の燃え上る唸りがきこえて、あたりがぬくぬくと感ぜられた。」(北沢喜代治「忘年」より)
2 鯛萬の井戸(松本市大手5丁目6)
昔の松本には割烹料理屋・鯛(たい)萬(まん)が存在しました。「鯛萬の井戸」はお店があった場所に作られ、その名前を取ってつけられたものです。
鯛萬は一流のお店で「芸者さんを連れてきても恥ずかしくない」と、松高生が芸者を呼んだこともありました。
松高生は、「半玉さん」と呼ばれる玉代が半分の若手の芸者さんとよく遊んでいたようです。
3 おきな堂(松本市中央2-4-10)
洋食屋・おきな堂には「バンカラカツカレー」というメニューがあります。この「バンカラ」とは何でしょうか。
松高生は自身の制服をわざと汚して身につけていました。理由は、当時は外見よりも内面を重視する風潮があったためです。
(旧制高等学校記念館蔵) |
松本高等学校出身の作家・北杜夫のエッセイにもバンカラが登場しています。描かれている部分を引用します。
「帽子に、夢にまで見た白線(旧制高校生は白線帽が特徴であった)を巻き、それに醤油と油をつけて古めかしく見せようと努力した。[中略]旧制高校生の敝衣破帽(へいいはぼう)というのはむろん彼らなりの裏返されたおしゃれ」(北杜夫「どくとるマンボウ青春記」より)
野蛮なハイカラ、ということでバンカラと呼ばれていたようです。
全4回に及ぶ講座でしたが、1回目から出席してくれている生徒さんもいらっしゃいました。松本筑摩高校の皆さんとの連携講座は、来年度も実施予定です。今後も博物館資料や現物を用いた講座を開催し、若い世代の皆さんと一緒に地域の歴史・文学を学んでいきたいと思います。