松本市内遺跡紹介㉙ 「四賀地区の遺跡~殿村遺跡~」
殿村遺跡
殿村遺跡は四賀地区会田にある松本市を代表する中世の遺跡です。学校建設に伴う発掘調査が平成20(2008)年に行われ、室町時代(15~16世紀)の大規模な造成跡や15世紀に造られた高さ1.2m、延長30mにおよぶ古式の石垣(石積み)が発見されました。石垣を伴う造成面からは建物の礎石や柱穴、炉跡、石列なども見つかり、遺構からは室町時代の茶道具も出土しました。この茶道具は、瀬戸産や中国産の天目茶碗や上質な石で作られた茶臼など当時珍重された品でもあります。
大規模な造成跡や石垣、高級な茶道具の出土は、この遺跡が中世の城館跡や寺院に関連した遺跡の可能性が高いと考えられ、この地を治めていた会田氏との関係性が注目されます。平成21年には地元の住民をはじめとする市民の熱い思いが結実し、現地保存から決定し、平成22年度から平成29年度まで9回計19地点で調査が行われるようになりました。
平成22年度の第2次調査からは、第1次調査で見つかった造成面の広がりや構造を把握する調査が継続的に行われ、次第に殿村遺跡の性格が解明されていきました。出土遺物として、古瀬戸陶器や中国産の青磁・白磁、硯、銭貨などの他にも、祭祀道具と考えられる串状の木製品や形代といったものも見つかりました。さらに第5次調査からは、宗教施設との関連性を踏まえた調査となり、長安寺の本堂跡地や廣田寺近くでも調査が行われました。
宗教空間としての殿村遺跡
継続的に調査が行われた殿村遺跡では、調査の結果から造成跡や建物跡は寺院などの宗教施設に伴うものであった可能性が高いと考えられるようになりました。遺跡の周辺には、長安寺跡や補陀寺跡をはじめ、廣田寺、無量寺、岩井堂、岩屋神社など、虚空蔵山麓には多数の寺社があり、いずれも古代や中世までその起源が遡ります。古くからの信仰の山として人々の祈りを集めた虚空蔵山を頂点に、かつて会田にかけての一帯には信仰の空間が広がっていたと推察され、殿村遺跡はその一角にあったということになります。一方、中世の殿村には、会田盆地周辺を治めていた会田氏の館があったと伝わっており、近辺に館跡が存在することも十分に考えられます。
四賀地区の殿村遺跡以外に見つかった遺跡
上宿遺跡
平成21年に、松本市会田で市道の建設に先立ち試掘調査を行なったところ、新しく発見された遺跡です。その土地の地名から「上宿(かみじゅく)遺跡」と名付けられました。
調査面積が130㎡ほどの比較的小規模な調査であったため出土遺物も少量で須恵器や青磁の欠片、宋銭など合計10数点が出土しました。これらの出土遺物から平安時代から中世にかけての遺跡であると考えられます。
遺構も確認できましたが、人が住んでいた住居址は確認されませんでした。また、銭貨も出土しており、中世の墓である可能性もうかがえます。
殿村遺跡と近い位置にあり、関係を考える必要があるかもしれませんが、不明な部分の多い遺跡です。