松本市内遺跡紹介② 「中山霊園の古墳」

 中山地区は、松本市の東部、鉢伏山の山腹に位置する地区で、当館もこの中山地区に位置します。縄文時代の遺跡が多く分布するほか、現在の中山霊園のある中山丘陵の南側は “中山古墳群”と呼ばれるほど古墳が多く点在しています。耕作中に土器片が見つかることも多々あったこと、住民の手で古墳の発掘調査が行われ、遺構の記録・出土品の保管が行われたことが当館の前身施設でもある“中山考古館”の開館に大きな影響を与えました。
 また、地区内には信濃16の牧のうちのひとつ“埴原牧(はいばらのまき)”もあったとされ、朝廷へ献上する馬を育てていたとされます。他にも埴原城という市内の中でも規模が大きい山城が有名です。

中山15号古墳

 考古博物館の位置する中山地区には縄文時代や古墳時代の遺跡が多く見つかっています。
 特に、現在墓地としても利用されている中山霊園の一帯は「鍬形原(くわがたはら)」と呼ばれた場所で、明治時代には80基以上の古墳があったという記録があります。その後、開墾や霊園の工事で多くの古墳が失われてしまいましたが、現在は4基の古墳が復元・整備され残っています。中でも「中山15号古墳」は墳丘と石室が復元されておりその様子を見学することができます。

現在の中山15号古墳

現在の中山15号古墳

中山62号古墳

 中山62号古墳は中山霊園の裏手側にあたるカニホリ西遺跡にあります。
 出土遺物は、土器類は少ないものの須恵器の長頸壺や蓋、坏が出土しており、これらの出土遺物から古墳の造営時期は7世紀末と推定されます。
 62号古墳の特徴は、1つの石室を縦に区切るように中央部に石壁があることです。この石壁は、西側の石室に合わせて石の面が揃えられているのに対し、東側は不揃いになっています。このことから、当初、正方形の石室が構築され、しばらくしてから中央の石壁を築き、西側の石室のみにし、東側の石室は埋め戻したと推測されます。また、中山古墳群において、両袖式(りょうそでしき)の方形の石室も初めての発見で、さらに改変して長方形の石室に直している事例は、この地方において例を見ない珍しいものです。
 現在は、石室の状態を発掘当時のままに保って埋め戻し保存されています。
※両袖式…玄室(げんしつ)と羨道(えんどう)と接する部分に奥壁と並行になるように作る壁(=袖)が左右にあるもの。片側のみの場合は片袖式、ないものを無袖式という。

発掘当時の石室の様子

発掘当時の石室の様子

平面復元された現在の様子

平面復元された現在の様子

 お彼岸に合わせて中山霊園へお参りをされる方も多いと思いますが、一緒に古墳の見学もいかがでしょうか。
※霊園内にあるので交通マナーや参拝者の迷惑にならないように見学していただくようお願いいたします。
中山霊園古墳見学地図

 

コラムクイズ

秋のお彼岸の時期に咲く花「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」。一般的になんと呼ばれている花でしょう?

3つの中から選択してください