発掘された松本2020➄ 「松本城三の丸跡柳町第6次」
松本城三の丸跡柳町第6次調査
松本城三の丸内に置かれた武家地の一つ「柳町」は松本城北門の南側に位置し、北西部には北総堀土塁がかかります。19世紀には松本藩主戸田氏家臣の多湖氏が武家屋敷を構えていたことが古地図等で確認でき、明治維新後も、大正年間の火災による屋敷の焼失まで多湖氏の子孫が暮らしていました。また、中世の柳町は「信府統記」に記された「市辻・泥町」の推定地の一つとされており、市場が存在したと推測されています。
調査の成果として、北総堀土塁の一部とみられる層や武家屋敷に伴う庭園の池跡などが確認されました。また、中世にあたる面からは、宋銭・荷札木簡などが出土し、市場の痕跡が見られました。
コラムクイズ
安政5年(1858)8月と文久2年(1862)4月下旬ごろ、暴瀉病(ぼうしゃびょう)という感染症が松本で流行しました。この感染症にかかると激しい下痢と吐き気を伴い、脱水症状になって死に至ることもあったため、非常に恐れられました。
当時の人々を震え上がらせた暴瀉病と呼ばれる感染症、現在の呼ばれ方は次のうちどれでしょう。