松本市内遺跡紹介㉒ 「梓川地区の遺跡~荒海渡遺跡~」
梓川地区は、松本市の西部に位置し、日本アルプスから流れる一級河川 梓川左岸の扇状地帯に広がった地区です。昭和30(1955)年に梓村と倭村が合併し梓川村となり、平成17(2005)年に松本市と合併しました。地区内で栽培される「りんご」は味・品質ともに日本一と賞されます。また大宮熱田神社本殿や真光寺の木造阿弥陀如来座像と両脇侍像といった国重要文化財が残る地区です。
梓川の水は、古くから人々の生活と密接にかかわり、左岸の梓川地区、右岸の波田地区で縄文時代から集落が営まれました。新村地区の古墳でも梓川の河原石が利用されたことが発掘調査で明らかになっています。現在も梓川3ダム(奈川渡・水殿・稲核)で水力発電をし、生活や農業用水としても利用されています。
荒海渡遺跡
荒海渡(あらかいど)遺跡は、梓川が松本盆地に流入して作っている扇状地の扇頂近くにあります。昭和52(1977)年に梓川村教育委員会によって発掘調査が実施されました。発掘調査以前から多くの人によって遺物採集が行われており、多量な遺物内容が注目される遺跡でした。
発掘調査はトレンチ掘りで進められ、計14本のトレンチが設定されました。その結果、縄文前期から中世にかけての複合遺跡であることが判明し、特に縄文中期後半から後期前半にかけての集落遺跡であることが確認されました。
中期後半に属する住居址が18軒、後期初頭の敷石遺構が2件、小竪穴15件、配石址3件、集石6件等が確認され、これらの遺構はゆるい傾斜をもって東に張り出す台地の北側と南側の縁辺に構築されていました。また、西方の調査区域外には、縄文中期後半の土器や土偶、土鈴を出土した松地遺跡の一角が続くことと台地の中ほどには遺構が確認されないことから、中央に広場をもつ、円形ないし馬蹄方に住居址が並ぶ集落であったと考えられます。
第4号集石は、焼土や火熱を受けて変色した石が散在していました。当初からこの姿なのか、石組みがあり壊された結果なのか不明ですが、祭祀的・呪術的用途をもつ石棒の出土や埋甕の存在からマツリの跡や墓址とも考えられます。
土器は縄文中期後半とみられるものが多く、櫛形文の土器や曽利1式土器はその中でも古い様相を示しています。また、石蓋が乗せられた埋甕や釣手土器の出土も確認されています。
石器の出土も多く、打製石斧や凹石、石鏃といったものが出土しています。後期になると3個の石錘が出土していることから漁労活動が暗示されます。
※荒海渡遺跡や他の梓川地区の遺跡の出土遺物は、「梓川アカデミア館」に展示されています。
住所:長野県松本市梓川倭566‐12
開館時間:午前9時から午後5時まで
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入館料:大人200円、小・中学生100円
電話:0263‐78‐5000
梓川アカデミア館のホームページはこちら → http://www.azusagawa-akademia.jp
コラムクイズ
「梓」は木の名前です。梓の木は、カバノキ科の落葉高木で別名をミズメ、ヨグソミネバリといい、海抜1000m前後の山中に自生し、成木になると樹高20m、樹径60cmに達する大木です。この梓の木はとある武具に用いられましたが、それは何でしょう。