松本市内遺跡紹介③ 「芳川地区の遺跡」
芳川地区は、東の田川、西の奈良井川の2つの河川に挟まれた平地であったため、河川の氾濫が続いたと思われる縄文時代、弥生時代の集落はほとんどみられません。
当地区の開発は古墳時代に始まり、奈良・平安時代以降に集落が拡大していったと考えられています。発掘調査は、昭和61年の高畑遺跡で本格的に始まり、その後平成に入ってから調査が進み、芳川地区の歴史を紐解く多くの発見がありました。
高畑遺跡
これまでに6回の調査が行われ、奈良・平安~鎌倉時代を中心とした遺跡であると判明しています。
高畑遺跡の集落は8世紀中葉に現れ、9世紀中葉から10世紀前葉と11世紀中葉から後葉の二つの時期に最盛期が見られます。その後中世まで継続して運営されたと考えられます。第3次調査が行なわれた遺跡北西部では、鎌倉時代の大型建物址と遺構群が確認され、この時代の集落の中心地であったと考えられています。
第6次調査では、遺跡の南部に平安時代の集落が大規模に営まれていたことがわかり、住居の分布域が時代ごとに異なることから、集落の中心域は時代を追うごとに南から北へ移動していたと考えられます。
また、第3次調査で8世紀前半の住居址内から出土した「美濃国」刻印須恵器片は貴重な出土品です。
小原遺跡
小原遺跡は松本市芳川村井町および芳川小屋に所在する古代・中世の集落遺跡です。
本格的な居住活動が始まるのは8世紀に至ってからになります。それ以降、奈良・平安時代を通して粗密を繰り返しながらも活発な活動が続き、中世、さらには現在の小屋や村井の集落へと継続してきたと思われます。
発掘調査では大型住居址や倉庫などの建物を伴う有力者の居住空間と考えられる居住域が確認され、多数の墨書土器や円面硯、帯金具・鉄鐸などといった遺物が出土しています。また、14世紀前半と目される2,701枚からなる埋納銭が一括出土しています。
コラムクイズ
芳川地区は筑摩郡良田郷の推定地とされています。また、覚志駅(かがしのうまや)という、とある道の駅家(うまや)があったとされる地のひとつです。
さて、この道はなんでしょうか。