常設展展示紹介⑯ 「古代の開発3」
市内の開発と有力者
7世紀後半には、灌漑技術の向上によって奈良井川西岸域にも大規模なムラが形成され始めます。開発の波は市内全域に広がり、平安時代の初め(9世紀代)に最も活発になります。都の貴族と関係を強く結んだ有力な土地経営者たち(富豪の輩と呼ばれる)によって強力に土地開発が行われ、荘園が出現していきます。しかし、律令体制の行き詰まりや、10世紀の相次ぐ自然災害から、小さなムラは次々と消滅して、11世紀に入ると、いくつかの大規模なムラを除き、小さな村が散在するようになります。
開発を行った有力者のもとには、東山道を経由して緑釉陶器(りょくゆうとうき)や帯飾りなどの高価な品々や仏教がもたらされました。緑釉陶器は中国の青磁を真似て国内で生産されたものです。有力者たちは、自身の権威や権力を示す財物(威信財)として緑釉陶器をこぞって手に入れました。
コラムクイズ
平安時代の集落跡である三間沢川左岸遺跡では、銅印が出土しています。この銅印は荘園経営で使用されたものであると考えられていますが、どのような印文(いんもん)が刻まれているでしょうか。