上條館長の山城案内 林小城
林小城 はやしこじょう(松本市里山辺日向上)
平成31年2月26日 国史跡に指定
今日は林小城です。
かつて古城と考えられ、大城より先にできたという説もありましたが、大城と同時期に作られたと思われます。その後、武田氏が深志の地を押さえるのですが、山辺の山城は武田氏により手が入れられ、後に小笠原貞慶の旧領回復に伴い、小笠原流の山城へと大きな改修が加えられていったと考えられます。
主郭(しゅかく)には土塁(どるい)と石積み、連続竪堀(れんぞくたてぼり)も多くみられ、山辺の特徴的な縄張りを残しています。
小城には金華橋(きんかばし)からアプローチします。金華橋の交差点を川沿いに下りるのではなく、南下します。
途中、慈眼寺(じがんじ)の聖観音がありますので見てください。
そして、三差路を左折します。
右手の山が小城、左の山が大城(おおじょう)になります。真ん中にある地区が大嵩崎(おおつき)地区になります。
大城のすそ野には戦時の半地下工場跡群の碑がありますので、立ち寄ってもいいかと思います。
しばらく行くと標柱、案内が出ていますのでここが入り口です。
鳥獣よけフェンスの横に車は止められますが・・・。
鳥獣よけフェンスをあけて登城開始です。
すぐに地獄の釜があります。湿地帯です。
登城道は整備されているので、道沿いに進んでください。下から竪堀(たてぼり)の形がよくわかります。この堀は第3曲輪(くるわ)まで続いています。直登しようと思えばできるかもしれません。
道は等高線上に次の竪堀を越え、大きな特徴でもある平曲輪群(ひらくるわぐん)に進んでいきます。あちらこちらに平場(ひらば)があります。本当によく作ったなと思います。
感心していると目の前に4,5mほどの大きな土塁が。第3曲輪です。両側に道があります。
そして第2曲輪、本曲輪(ほんくるわ)と続きます。石積みがあちこちに散乱しています。もし、復元したらきっとすごい石積み群になるような気がします。
そして、いよいよ本曲輪。南に高い土塁、西にも残っています。
南側には深い竪堀が。南側に大きな竪堀が掘られているのが大きな特徴でもあります。
帰りは林(はやし)方面(広沢寺(こうたくじ)方面)におります。
道はきちんとついています。松の伐採が行われていて、少しわかりにくいところもありますが、開けた方に下りていけば大丈夫です。
これが、登り口です。
ここから10m先に富士浅間宮(ふじせんげんぐう)古宮(こぐう)跡の案内、山沿いに曲がっていくと竹渓庵(ちっけいあん)、林薬師堂跡の案内もありますので寄ってみてください。
後日、宮坂武夫先生の縄張り図を参考に大手口方面を探しに行きました。急坂で松のピンクテープを参考に下りていきましたが、よくわかりませんでした。北斜面はかなりの急坂です。もっと西側だと思います。次回、探してみます。
ただ、途中、井戸らしきものを発見しました。もしかしたら新発見?・・・。
小城もしっかりした縄張り、平曲輪、搦手(からめて)の竪堀、主郭周りの石積み等、見どころが多く、楽しく散策できると思います。大城よりも山城としてはおもしろく、遺構が残っているようにも思います。ぜひ大城とセットで登ってみてください。よく整備されているので30分ぐらいで簡単に登れます。楽しく散策できると思いますよ。