学芸員雑記 第5室「農家の暮らし」と昔の道具
旧山辺学校校舎の中に、昔の農家を再現した展示室、第5室があります。松本市と周辺地域の小学生が、昔の生活を体験するのに活用しています。
コンセプト
旧山辺学校校舎は、明治18(1885)年12月に建設され、翌4月から昭和3(1928)年3月まで学校として使用されました。その後、村役場、公民館、保育園として活用されましたが、昭和57(1982)年から2年をかけ、校舎への復原工事が行われ、地域の歴史民俗資料館となりました。
このときの工事で新しく作られたのが、第5室の再現農家です。「山辺地域の代表的な住居の内外観及び生活様式を紹介することを目的として、民家の一室を再現するとともに、生活用品等を紹介」するというコンセプトで作られました。
第5室
この部屋は「明治20年頃の中農以下」と設定して作成されました。「中農」とは、中規模、中流の農家という意味です。
教室の一室を使い、中に鴨居や敷居等を設けて玄関と土間、囲炉裏のある1室が再現されています。
梁や柱は古材が使われました。
生活様式を感じるために配置された小物は、山辺地域の方々から寄贈された実物です。
部屋の中には物入れと食器戸棚がありますが、これも使われていたものを修理して設置しました。
年輩の方々には郷愁を感じる、子どもたちにはタイムスリップした異空間のような、楽しい部屋となっています。
昔の道具を調べてみよう
この部屋はインフラ、つまり電気、水道、ガスが通っていない時代のものです。当然、電波も飛んでいませんでした。この頃、人々はどうやって暮らしていたのでしょうか?
例えば水。流し台のような物はありますが、蛇口がありません。変わりに大きな甕(かめ)と柄杓(ひしゃく)があります。人々は近くの井戸、川に行って水を汲み、それを甕に溜めておきました。必要なとき、甕から柄杓で水をすくって使いました。日常に水汲みという家事がありました。
例えば炊飯。電気が無いので炊飯器もありません。米を入れた釜を釜土に設置し、下で薪を燃やして炊きました。
釜土に安定して置けるように、でっぱりのある釜を使いましたが、これを羽釜(はがま)と呼びます。
このように、昔の人は生活環境に合わせて道具を工夫して使っていました。現代では使われなくなった物も、材質を変えながら現代に引き継がれている道具もあります。
それらを調べにいらっしゃいませんか?令和5年7月20日から8月31日まで、通常より道具を多く展示する「昔の道具調べ展」を実施します。道具に触れることができます。
クイズ!
水甕と羽釜には似たような木の蓋があります。この蓋、どちらが重いでしょうか?
答えは旧山辺学校校舎で持って確かめてみてください。
(学芸員:岡野)