☆化石新聞第13刊~四賀キャニオンについて~☆
はじめに
こんにちは!四賀地区北部の虚空蔵山は、遊歩道が整備されており、初心者の方でも登ることができる里山なのでおすすめです。先日私も登ってきましたが、幸い天気も良く、頂上からの眺望は最高でした。頂上から戸隠まで眺めることができたのは驚きでした。
余談が長くなってしまい恐縮ですが、今回は四賀キャニオンについてのご紹介です。
四賀キャニオンとは?
皆さんは四賀キャニオンをご存じでしょうか?「ゴールデンキャッスルのこと?」「何かの化石の別名?」などと考えてしまいますが、その正体は…岩井堂の砂岩層と言う地層です。砂岩層がなぜ四賀キャニオンと呼ばれているのかと言いますと、砂岩層がとても大きく迫力があり、まさしくアメリカにあるグランドキャニオンのようであるからです。そのため、地元では四賀のグランドキャニオンだとか、四賀キャニオンという呼び名で親しまれています。「四賀のグランドキャニオンとは、ちょっと大げさすぎやしないか?」と私も思っていましたが、初めて訪れた時びっくり仰天!本家のグランドキャニオンに行ったことはありませんが、「これは…まさにグランドキャニオンだ。」と感じました。厚みのある地層に、美しい砂色、背景に映える青空。自然のすごさと太古の歴史を肌で感じ、力がみなぎってきました。theパワースポットという感じですので、コロナ禍での不安や悩みをすっきりさせるために、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?ただし、断崖絶壁で危険な箇所もありますので、小さいお子さんや高所恐怖症の方は十分にお気をつけ下さい。
四賀キャニオンの歴史
四賀キャニオン(以下、岩井堂の砂岩層)は、旧会田村字岩井堂観音山(現在の松本市会田)の山肌にある雄大な砂岩層です。地質年代はシガマッコウクジラやシガウスバハギが生きていた約1300万年前(別所層)より比較的新しい、700万年前頃(浅海性の小川層)のものだと考えられています。砂岩層という名前ですが、通称波の化石と呼ばれるリップルマークや虫の巣穴の跡のほか、石炭で形成された炭層も観察できる素晴らしい地層です。小学生や中学生のお子さんは、理科の勉強にもってこいの場所です。砂岩層がある岩井堂という地域は、「岩井堂炭鉱」として栄えていたことでも有名です。明治12年(1879年)、紀州の金森信一郎一行が善光寺参りの帰り道に岩井堂観音山に露出する石炭層を発見しました。4年後の明治16年(1883年)、金森らは岩井堂で鉱区を設定し、炭鉱の鉱業権を獲得しました。金森は岩井堂炭鉱開鉱の先駆者となるとともに、その功績は近現代の諏訪・岡谷地域の養蚕業を支えた西条炭(現在の筑北村西条にかける一帯で産出した石炭)の発見に至るきっかけともなりました。岩井堂炭鉱での石炭の出荷が軌道に乗ると、明治26年(1893年)には、規模にして採炭量200トン以上を誇ったとされています。明治30年代に西条炭が開発されると、明治後期から大正時代にかけて黎明期を迎えました。
おわりに
今回は四賀キャニオンこと岩井堂の砂岩層のご紹介でした。以上見てきたように、岩井堂の砂岩層は人類が誕生する前の太古を感じられるだけでなく、人類誕生後の文明が大きく花開いた時代の歴史の足跡を追うこともできます。歴史と自然を学ぶには一石二鳥のスポットですので、天気のよい日にお出かけしてみてはいかがでしょうか。皆様のご来館をお待ちしております。