Vol.096 松本で『和食展』を考える (R6.11.5 文責:川上)

 現在開催されている特別展『和食―日本の自然、人々の知恵』は国立科学博物館で開催され、その後各地を巡回する展覧会です。巡回してくるからそのまま展示すればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、ただそのまま展示するだけではもったいないですよね。松本のことも少しは知りたいと思いませんか?というわけで、松本の要素を独自にプラスしようということになりました。

 松本に関することを松本の和食は何か、郷土食は何かと市史などを調べると、毎日の食事が楽しみだったと語られることは少なく、「ご飯に味噌汁、漬物程度で粗末だったという話のほうが多い」などという記述があります。昭和30年代のことで、まだ多くの家庭で白米に雑穀(粟・麦など)を混ぜて食べていたそうです。それほど遠くない過去の話です。ちょっとびっくりしてしまいます。確かに今のように食べたいものがなんでも食べられる時代ではなかったとは思います。

 しかし、暮らしには季節感があり、食べ物には旬がありました。質素ななかにもその季節にしか食べられないものを待つ楽しみがあり、旬のいちばんおいしい時を味わうという和食の原点ともいえるものがあったはずです。また、食材が不足する時期を見据え保存食にするという工夫。これも暮らしから生まれた和食の知恵だと思います。

 毎日の食事はともあれ、冠婚葬祭、お祭り、地区の集まりや季節の行事など特別な日は、普段食べないようなものや工夫を凝らしたごちそうが並び、楽しみにされていました。このようなときに頂いたものが松本の郷土料理として今でも食卓にあがっています。

 少し前になりますが、インターネットのニュース記事に訪日観光客の「日本」への本音というものがありました。便利でかわいい品物が1ドル以下で買える100円ショップやコンビニで買える弁当やスイーツ、回転ずしなどの食品にも期待を寄せ来日したそうですが、目の当たりにしたのは、母国では「足りない」とされる生活雑貨や食品は、日本には捨てるほどある、という現実でした。「日本は豊かな国だと思いますが、何もかもが必要以上にあって、SDGsの精神には全く反しており、コンビニでも売れ残った食べ物は廃棄されるときき驚いた。日本の豊かさの裏には、不都合な事実がある。だとしたら、日本のようにモノにあふれた生活はしたくないし、すべきではない」とありました。

 この記事にふれて、ハッとしました。昭和30年代頃のまだ貧しいと思われる頃のほうが、違った意味で豊かであったのではないかと気づかされました。

 現在の世界は、気候変動、戦争など不安要素が多くこの日本においてもいつ食料危機が起きてもおかしくありません。そんなときに和食のたどってきた道は現代人にいろいろな知恵を授けてくれるように思います。『和食展』を観ながらこれからどのように和食が発展していくのかだけでなく、綿々と受け継がれてきた知恵を生かす方法も考えていただければと思います。

干し揚げと切り昆布の煮物 お盆に食べる郷土料理で、収穫したばかりのじゃがいもで煮物を作ることに大きな意味があります。

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お盆に食べる郷土料理で、収穫したばかりのじゃがいもで煮物を作ることに大きな意味があります。

からし稲荷 冠婚葬祭時に食された油揚げの煮つけから生まれた名物と考えられます。

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冠婚葬祭時に食された油揚げの煮つけから生まれた名物と考えられます。